どうも最近南極大陸づいている。このブログでも三回連続で書き込みだ。では世間一般が同様に盛り上がっているかというとそんなこともない。
初回視聴率は22.2%とまずまずの数字だったが、二話目は18.9%。こないだの第三話は16%台にまで急落している。「家政婦のミタ」や「妖怪人間ベム」にまで抜かれてしまった。鳴り物入りで始まったドラマにしてはあまりの低空飛行だ。
ドラマの感想を書き込む「YAPHOOみんなの感想」というのがあって、そこを見ると得票数50以上のほとんどの感想が5点中1点の最低評価。その内容はまたほとんどが主役のキムタク批判。演技がいつも同じ。下手。茶髪を何とかしろ。しゃべり方も今風。昭和の男には見えない、など。2クール前の「JIN-仁-」の上位の感想が全て評価点5なのに比べると正反対だ。一体何が原因なのか?
「一体何が原因なのか?」
この言葉は、恐らくTBSスタッフが自問自答しているに違いない。裏には紳助がいた行列も、マルモもないのだ。フジはむしろ反日女優と噂のキムテヒを使ってさえいる。視聴率が伸びないのは何故なのか?
私には「南極大陸」と「JIN-仁-」は演出(つまりは脚本)の手法が全く同じに見える。音楽がそっくりなだけでなく、これでもかという感動優先。子供であったり、今回は犬も出ているが、感動を優先するあまり、話を変えている。その結局リアリティが失われてしまった。
「JIN-仁-」でいえば原作との違いによる不自然な展開だ。中には「原作を超えた!」なんて的外れな意見もあった。
唯一評価できる工夫は、主人公が現代の恋人を残して来ており、いつまでたっても優柔不断でどっちつかず。女心もまるで分からない駄目人間に設定したところか。原作の仁先生のように立派な人格者じゃないので、見てる方がかえって感情移入しやすくなった。仁の煮え切らない態度に不甲斐なく、「この先生は何とかしてやらなきゃ」と龍馬や咲、仁友堂のメンバーみたいに母性本能をくすぐられてしまった。そこが「南極大陸」との違いである。
「南極大陸」は第一話からすっかりキムタク劇場だ。まあ活躍すること活躍すること。
貧しい子供たちに人気のある「お兄ちゃん」、義理の妹には密かに慕われ、諦めたらそこでお終いだと仲間を鼓舞し、率先して(何故か専門外の)造船所で働き、タロジロを救出しては手を噛まれ、最後は隊長より長い演説を総理大臣ばりに国民にぶつ。あまりに活躍し過ぎて他の観測隊メンバーがみな木偶の坊にさえ見える。何故群像劇にしなかったのか?
二話においても急すぎる暴風、チャップリンの喜劇さえ連想させる船の揺れ。タイタニックか海猿か。救出劇で敵対する鮫島は「大将」と急に仲間に。
三話でもリアリティにかける演出は続く。クマという凶暴な犬が仲間を襲う。そんな犬、外せばいいだけの話だろう。宗谷碇泊中に氷が溶けて海に物資が流され……って、それだったらもっとオングル島に近付けるじゃん。っていうか、氷が溶けるのに気付くの遅すぎ。二度目も流され、ってどんだけ間抜けなの? コントかよ。隊長の許可も得ずに雪上車に乗り込んで燃料切れに気付かず遭難って……そんなウッカリさんでよく越冬できたもんだ。第一、何で走らない犬ぞりで救出に向かわせたの? 他の雪上車は?
もちろんこうした突っ込みどころ満載の設定は、史実を無視したか歪曲したせいである。
うちの本棚に西堀栄三郎著「南極越冬記」があった。恐らくむかし、西堀栄三郎記念館「探検の殿堂」に行った時に買ったものだろう。
前回このブログで食糧の多くが海に流されたと書いたが、事実は違うようだ。
観測隊の永田隊長は、必要最低限の物資が基地に届くのを見届けなければ越冬を許可しないと宣言した。西堀は、翌年宗谷が接岸できないことを想定して、二年分の燃料と食糧を計算し、昭和基地に運んだ。越冬隊員にはあらかじめ、二年南極にいてもいいという誓約書を書かせていた。また、文部省は予算の関係から、日本を発つ前に、越冬隊員は最大で10人にしてくれと言っており、西堀と永田は、隊長は隊員ではないという理屈で11人で行こうと話し合っていた。だからドラマみたいに、南極に行ってから越冬を頼み込み政府が了承した、なんて無茶な話は当たり前ながらなかったのだ。
物資が流されたのは確かだがそれは宗谷が去ったずっとあとで、燃料や犬の餌という優先度の低いもの。代わりにアザラシを18頭仕留めたことが本に書いてある。
さて、そんなドラマだが、皮肉なことに僕はかえって興味がわいて来た。越冬中は火事が起きたりしたが、史実はあまりドラマティックなことは起きていないのだ。これから最低でも四回は越冬中の話をやるだろう。史実にないドラマや事件を当然描かねばならない。隊員が遭難して死にかけたり、急病になって手術したり、あるいは衝突したり、物資を無くしたことで燃料食糧不足に悩まされたりと、どんな展開を持ってくるか……。
お手並み拝見である。
初回視聴率は22.2%とまずまずの数字だったが、二話目は18.9%。こないだの第三話は16%台にまで急落している。「家政婦のミタ」や「妖怪人間ベム」にまで抜かれてしまった。鳴り物入りで始まったドラマにしてはあまりの低空飛行だ。
ドラマの感想を書き込む「YAPHOOみんなの感想」というのがあって、そこを見ると得票数50以上のほとんどの感想が5点中1点の最低評価。その内容はまたほとんどが主役のキムタク批判。演技がいつも同じ。下手。茶髪を何とかしろ。しゃべり方も今風。昭和の男には見えない、など。2クール前の「JIN-仁-」の上位の感想が全て評価点5なのに比べると正反対だ。一体何が原因なのか?
「一体何が原因なのか?」
この言葉は、恐らくTBSスタッフが自問自答しているに違いない。裏には紳助がいた行列も、マルモもないのだ。フジはむしろ反日女優と噂のキムテヒを使ってさえいる。視聴率が伸びないのは何故なのか?
私には「南極大陸」と「JIN-仁-」は演出(つまりは脚本)の手法が全く同じに見える。音楽がそっくりなだけでなく、これでもかという感動優先。子供であったり、今回は犬も出ているが、感動を優先するあまり、話を変えている。その結局リアリティが失われてしまった。
「JIN-仁-」でいえば原作との違いによる不自然な展開だ。中には「原作を超えた!」なんて的外れな意見もあった。
唯一評価できる工夫は、主人公が現代の恋人を残して来ており、いつまでたっても優柔不断でどっちつかず。女心もまるで分からない駄目人間に設定したところか。原作の仁先生のように立派な人格者じゃないので、見てる方がかえって感情移入しやすくなった。仁の煮え切らない態度に不甲斐なく、「この先生は何とかしてやらなきゃ」と龍馬や咲、仁友堂のメンバーみたいに母性本能をくすぐられてしまった。そこが「南極大陸」との違いである。
「南極大陸」は第一話からすっかりキムタク劇場だ。まあ活躍すること活躍すること。
貧しい子供たちに人気のある「お兄ちゃん」、義理の妹には密かに慕われ、諦めたらそこでお終いだと仲間を鼓舞し、率先して(何故か専門外の)造船所で働き、タロジロを救出しては手を噛まれ、最後は隊長より長い演説を総理大臣ばりに国民にぶつ。あまりに活躍し過ぎて他の観測隊メンバーがみな木偶の坊にさえ見える。何故群像劇にしなかったのか?
二話においても急すぎる暴風、チャップリンの喜劇さえ連想させる船の揺れ。タイタニックか海猿か。救出劇で敵対する鮫島は「大将」と急に仲間に。
三話でもリアリティにかける演出は続く。クマという凶暴な犬が仲間を襲う。そんな犬、外せばいいだけの話だろう。宗谷碇泊中に氷が溶けて海に物資が流され……って、それだったらもっとオングル島に近付けるじゃん。っていうか、氷が溶けるのに気付くの遅すぎ。二度目も流され、ってどんだけ間抜けなの? コントかよ。隊長の許可も得ずに雪上車に乗り込んで燃料切れに気付かず遭難って……そんなウッカリさんでよく越冬できたもんだ。第一、何で走らない犬ぞりで救出に向かわせたの? 他の雪上車は?
もちろんこうした突っ込みどころ満載の設定は、史実を無視したか歪曲したせいである。
うちの本棚に西堀栄三郎著「南極越冬記」があった。恐らくむかし、西堀栄三郎記念館「探検の殿堂」に行った時に買ったものだろう。
前回このブログで食糧の多くが海に流されたと書いたが、事実は違うようだ。
観測隊の永田隊長は、必要最低限の物資が基地に届くのを見届けなければ越冬を許可しないと宣言した。西堀は、翌年宗谷が接岸できないことを想定して、二年分の燃料と食糧を計算し、昭和基地に運んだ。越冬隊員にはあらかじめ、二年南極にいてもいいという誓約書を書かせていた。また、文部省は予算の関係から、日本を発つ前に、越冬隊員は最大で10人にしてくれと言っており、西堀と永田は、隊長は隊員ではないという理屈で11人で行こうと話し合っていた。だからドラマみたいに、南極に行ってから越冬を頼み込み政府が了承した、なんて無茶な話は当たり前ながらなかったのだ。
物資が流されたのは確かだがそれは宗谷が去ったずっとあとで、燃料や犬の餌という優先度の低いもの。代わりにアザラシを18頭仕留めたことが本に書いてある。
さて、そんなドラマだが、皮肉なことに僕はかえって興味がわいて来た。越冬中は火事が起きたりしたが、史実はあまりドラマティックなことは起きていないのだ。これから最低でも四回は越冬中の話をやるだろう。史実にないドラマや事件を当然描かねばならない。隊員が遭難して死にかけたり、急病になって手術したり、あるいは衝突したり、物資を無くしたことで燃料食糧不足に悩まされたりと、どんな展開を持ってくるか……。
お手並み拝見である。