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合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

「逃走中」の亀治郎(猿之助)

2012-11-11 22:21:10 | Weblog
今回は役者さんのことを書こうかと思う。

最近、ドランクドラゴンの鈴木(塚地じゃないほう)が、フジの番組「逃走中」で、自首したばかりか、ミッションに参加する奴を罵倒したりとか、その言動があまりに酷いということでツイッターが炎上。本人がツイッターを閉鎖し、「芸能界を辞めたい」と言ったとか言わないとかが話題になっている。

気の毒なことだと思う。

鈴木はそういうへタレキャラ、憎まれ役を演じただけなのに……。
言ってみればプロレスのヒール、悪役を演じたレスラーのブログが炎上するようなもん。
まあ、ヒールなのだから憎まれてなんぼとはいえ。
演出ありのテレビ番組をさもリアル、ガチだと信じる馬鹿の何と多いことか…。

かつて歌舞伎の市川亀治郎(今の猿之助)もこの番組に出て、ろくにミッションにも参加せず、賞金50万を手にし早々に自首。ネット上で散々に叩かれたことがあった。
「最低」「金の亡者」「幻滅した」「二度と呼ぶな」「糞過ぎ」「死んだほうがいい」など……。

2010年の4月に放送されたこの回は長崎のハウステンボスが舞台だった。

2011年1月。同じフジテレビの「ウチくる?」で亀治郎がゲストで出たとき、この時の裏話が暴露された。
「逃走中」のプロデューサーが大学の同期の人間で、出演を頼まれた。当日の午後東京で仕事があると伝えると、「自首すればいいから出て欲しい」と言われたとも。(ちなみに亀ちゃんは慶応大学出身)

何のことはない。最初から自首が決まっていたのだ。(ちなみに捕まると、後で牢の中にいないのが不自然に映るからね)

亀治郎にすれば、舞台で悪役を演じるのと同じつもりで、友だちへの義理を果たそうと出たのかもしれない。
また、当日は博多公演の最中で、博多での芝居が終わった後長崎に移動し、わずかな仮眠の後、深夜から朝にかけて収録し、そのまま次の仕事に向かったという情報もある。

とてもではないがお気楽にテレビに出ていたわけではないのだ。



ところでこの番組、私は台本(シナリオ)があると思っている。

とゆうのは、当初深夜でやっていた「クロノス」の頃は、かなりミッションも単純だったりして、ガチでやっている気配が濃厚だった。

が、スペシャルの2時間番組になってから参加者も多く、ミッションも複雑になった。
中には、失敗するとハンター100体放出、というミッションもあった。
当然100体のハンターがいては最後まで逃げ切れるわけはない。
とゆうことはミッションは成功させねばならない。

100体とはいかないまでも、1分毎に1体放出という回もあった。
これだってミッションが成功しないと、逃走者は最後まで逃げ切れない。

ミッション成功のためには、最低でも3組がチャレンジ、任務を成功させねばならなかったりする。
そんな複雑なミッションが、完全に出場者の自主判断任せで成功できるだろうか?

また逆に、全ての参加者がミッションに参加しても面白くない。
正義感に燃える奴、ずるがしこい奴、卑怯な奴、参加したいけど怖くて出来ない奴……。
いろんな奴がいるから面白いのだ。
つまりそうしたシナリオがあらかじめ組まれていて、スタッフから指示があるとみるのが普通である。

プロレスと同じで、完全ガチ、真剣勝負がいかに面白くないかは、歴史が物語っている。

ハンターだって、ミッション中は、わざとその機械の周りから離れてないと、永遠にミッションは成功できない。
ハンターが誰を捕まえる、捕まえない、あるいは見てみぬふりをするとか、空間をあけておくなどの指示も当然スタッフからなされているだろう。

そして、実はここが重要なのだが、出演者に悪役や善人、成功者、逮捕者があらかじめ決まっているとしたら、当然賞金、すなわち自首や逃げ切ったことに対する成功報酬は、リアルには払われてない、と見るべきだ。だって、逃げ切る人以外の役を演じた人は損じゃないですか。汚名を浴びた上に、ただのギャラしかもらえないんですから。

では、その推測に基づいて、この手の賞金が嘘だとしたら……。(というか、ただでさえ制作費が馬鹿高いのに、この上賞金なんか本当に支払ってたら、番組つぶれますよ、普通は)
「賞金目当てに自主しました」っていう鈴木や亀ちゃんの動機は、そもそも成立しない、ということになりませんか?
(だから鈴木を叩くのは倫理上間違ってるんですよ。あーやっと冒頭につながった)


ちなみに、自分はエキストラをやっていた時に市川亀治郎さんとドラマで共演したことがあります。
エキストラを人間扱いしないスタッフや役者さんも多い中、亀治郎さんは実に丁寧な言葉をかけてくれました。
大河で主役を張る、歌舞伎界のプリンスですよ。エキストラから見たら天地ほど立場の違う人。当然天狗になってもいい立ち位置なのに、そうではないんです。

エキストラに丁寧に対応する役者。
実はそういう人、案外少ないんです。自分の記憶でも数えるほどしかいません。

おまけにものすごい痩せてるし。
もうそれだけで努力家だと分かりますね。
女形をやるだけあって妖艶だし。(ちなみに亀治郎さんはドラマ「JIN-仁-」では中岡慎太郎を。「龍馬伝」では龍馬を斬る刺客を。さらに舞台では龍馬の妻であるお龍を演じたことがあるそうです。やってないのは龍馬だけ)

そんな亀ちゃん、もとい、市川猿之助さんが50万のはした金(歌舞伎の舞台衣装って一着でン百万とかするんだよね。もう庶民とは桁違いの世界)に目がくらんで自首?
まああり得ませんね。考えられません。

舞台では本当に、一歩間違ったら大怪我をしかねない、死ぬかもしれない。そんなアクロバティックな動きもあるのです。
まさに歌舞伎に命をかけている。

従兄弟にあたる香川照之さんも別の意味で凄い役者ですが……。

以上、まだまだ誤解されているようなので、余計ながら弁護する次第。




キチガイ沙汰 橋下市制

2012-11-10 03:22:05 | Weblog
呆れてモノも言えん。

何のことかって? なにわの海の時空館。その廃止についてである。

176億円をかけて2000年に作られた大阪の博物館施設。

これが大阪市の仕分けによって本年度末に廃止されることが決まった。

年間2億円強の市からの補助金が出せません、というのがその理由である。

あほか・・・。


私はこう言いたい。

建設費の「176億円」は幹である。
年間の「2億円」は枝である。

つまり今回の決定は、枝が邪魔だから木を切れ、というに等しい。

もしここで木を切ったなら、176億円という巨額の金が「死に金」になってしまう。

もしそうなら、市民は本当の意味で176億円をドブに捨てることになる。

この仕分け経過のレポートを見て唖然としてしまった。

これだけの大事な物事を決めるのに審議の時間はたかだか1時間あるかないか。少なくともレポート自体は30分で読めてしまったので、リアルタイムで考えれば30分だ。
仕分け人はA~Eの五名。
何故仮名なのか? 何故実名を出さないのか? これでは、どんな立場でどんな見識を持つやつが仕分けしたかが見えないではないか?

結果は5人のうち四名が廃止に賛成。結果は廃止。

あほか。学校の学級会だってもう少しまともだ。

ここに出てきた意見を読むと、こいつらは(橋下を含めて)博物館というものがいったいナンなのか、全く分かってない。
大学にいって「博物館学」の講義を一度受けてみるといい。いや、テキストを開いてみても結構だ。

橋下市長を含めて一度聞いてみたい。
あなたは「博物館が何か、分かっていますか?」
「博物館の持つ意義とは。使命とは」
「博物館、記念館、資料館の違いは?」

そんな博物館について無知のやつらが決めた廃止。

開いた口がふさがらない。

何が悪いのか?

結論を言おう。

責任の所在が不明確なのだ。

この場合で言えば、仕分け人がA~Eで実名が登場しない。まずそこが問題。
だから仕分け人には一切責任が生じない。ゆえに発言もまたテキトーが許される。

137億。ばかにならないお金だ。
仕分け人による廃止決定で、この金は死に金に化けた。
50年は持つ箱物施設がたった12年で廃棄。
その137億を死に金に決定した人間の名前も公表されないとはどういうことか?

逆にそれを死に金とするならば、むしろそんな決定をした(つまらない、意義のない施設を作ることを決定した)、当時の責任者たちをどんどん呼んで吊るし上げ、責任を取らせるべきだ。
だってそうでしょう?
責任を取らせない、うやむやで終わらせるからそんなことになる。

原発の問題だってそう。
今度の福島のメルトダウンで、いったい誰が責任を取りましたか?
私が悪かった、私が間違っていた、国の方針は問題があったと認めて、謝罪し、責任を取ったやつがいましたか?
誰も責任を取らないから、その場その場で場当たり的な対応で終わるのです。

今回だって、当時の決定をした責任者たちを呼んで責任を取らせる。そういう流れにすれば逆に彼らが、「いや、なにわ海の時空館建設は正しかったんだ」と弁明をするでしょう。何しろ自身の責任問題にはってんするんですからね。
それをせず、現在の運営会社の人間を呼んで、廃止を通達しても意味がありません。単なる欠席裁判です。

その意味のない過程が、今回の仕分けの実態です。

コーディネーターという人物(これもレポートには名前がない)が、「この施設を見学してない」と明言したのには呆れました。

まるでインタビューする相手に、全く事前の取材はしてません、と名言する馬鹿のようです。

そんな職務怠慢の人間をコーディネーターにするだけで…。いや、そんな発言を臆面もなくして恥と思わない、その馬鹿さ丸出しの人間、それをコーディネータに選んでいるだけで、大阪市制が間抜けと断言して言いと思います。

いわばこの仕分けとは、「ちゃんと廃止を検討しましたよ」という茶番劇に過ぎないのです。あらかじめ廃止ありきだったと。

明確に責任を取らせる社会システムを作らねばいけません。
過去に遡って責任を取らせる仕組みを作れば、今回のような博物館の廃止に対する暴挙を防ぐことだってできるのですから・・・。

橋下市制は、文楽の例でもそうですが、間違いなく文化を殺しています。

あの男に文化の意義など分かるわけもありません。文楽も芸術も何も理解できないんですから。

私はずぶの素人で博物館の専門家ではない。

が、日本全国の博物館1700件を実際に回ってみてきた。

だからこそ言えます。

彼らには「博物館がナンなのか、まるでわかってない」

今回のことで一番の不幸は、死に金を払った大阪府民と、「なにわの海の時空館」を見ることが出来なくなった将来の日本の子供ですね。


ちなみに、勿論自分は見学済みですが。

「明大節」について

2012-09-27 05:46:41 | Weblog
突然ですが私の母校は明治大学です。所属していた部活は将棋研究会でした。今回は話の都合上そのあたりをカミングアウトしてからでないと話がスムーズにいかないので……。まあこのブログを細かく読んでいけば私の本名もバレバレでしょうし……。

将棋研究会では年に何回か集まって飲む機会がありました。例えば新人歓迎会、卒業生の追い出しコンパ、公式戦である大学リーグ戦などの打ち上げ、あるいは夏冬に行なわれる合宿などの打ち上げとか。

私が学生の頃ですからもう30年も前の話。大学があった(勿論今もあるが)のが京王線の明大前。つまり和泉校舎です。勿論御茶の水にある駿河台校舎も明治ですが、部室があるのは和泉校舎。とゆうわけで明治は、3・4年になると部室へ行く回数が極端に減ります。よほど将棋好きでない限り、部室へは行かなくなってしまう。(遠いから)
1・2年が部の中心メンバーとして活躍し、私らのように将棋が弱い部員はほとんど参加しなくなってしまうという弱点があります。ま、それはそれとして、話を飲み会の方に戻します。

大学が近いのでコンパの場所は主に新宿の歌舞伎町の安い居酒屋チェーンということが多かった。なんせ学生ですから。
当時はカラオケもなく、飲みが始まってしばらくすると、先輩たちが余興で歌を歌い始めるんですね。今居酒屋でそんな風に歌ったら他のお客のいい迷惑でしょうが、当時は部の集団の飲み会に歌は必須だったので、あらかじめ襖で仕切られた部屋を借りてるわけです。
最初はもっぱら春歌、いわゆる猥歌ですね。「金太、負けるな」という歌詞の「金太の大冒険」やら、「リンゴのリの字をマに変えて」という合いの手の入る「リンゴの唄」。「一つ出たホイのよさホイノホイ」というやつは何と十二番まであります。「胸も出ました毛もはえた」で始まる「青い山脈」の替え歌。「吉田松陰が芯舐める」とか、いろいろな歌をここで学んだものです。

オリジナルの替え歌を作って歌う猛者もいました。自分の二年先輩のUさんはこの替え歌を作る天才で、沖田浩之の「E気持ち」やあみんの「待つわ」の替え歌などをよく歌ってました。特に前者は、当時明大将研三大手筋と呼ばれた「桂馬のふんどし」「香車の田楽」「銀の割り打ち」を指した時の気持ち良さを歌ったもの。ついでだから歌詞をちょっとご紹介しましょう。

そうさ、ふんどしは 王手飛車よりも厳しい
ふんどし かければ 誰でもヒーロー
定跡なんてぶっ飛ばせ
本筋なんて知らないぜ
ふんどしさえ かけられれば 駒損したって構わない
腕がうずく もう止まらない
ふんどし ふんどし アー
いい気持ち

どうです? 素晴らしい歌詞でしょう?
まあ当時は私も負けじといろいろな替え歌を作ったものです。

歌でなく特殊な芸を披露する先輩もいました。私の一年上のTさんのそれは何と裸踊り。素っ裸になって、しかし股間は道具を使って決して見せないのです。普段は扇子(これは将棋部員は大抵持ってますね)なのですが、ある時は制帽、またある時はチェスクロックを使ったこともありました。

で、宴会の最後に必ず歌われたのが、明大節と校歌です。これは円くなって肩を組み、左右に揺れながら歌います。
明大節は歌の前に前口上があり、これが難しい。自分の一年上には口上ができるSさんがいたのですが、自分の代でいなくなり、そのためか、ついに三年の時に明大節が、四年の時には校歌も歌われなくなりました。今の現役の学生は到底これらの歌を宴会の席で歌う習慣はないでしょうから、多分校歌自体が歌えないんじゃないかと思います。

話を「明大節」に戻します。こんな歌詞です。

ここはお江戸か 神田の街か
神田の街なら大学は明治
大学明治の 学生さんは
度胸一つの 男立て

で、ちょっと気になったので「明大節」をネットで調べてみました。すると興味深いことが分かりました。実はこの歌、元は日本大学の日大節だったんですね。
さらに日大は、兄弟校である近畿大学の応援団だかOB会か知りませんが、「近大節」のパクリであるから、公式に歌わないように申し入れを受けているとのこと。
さらにこの歌は戦時中の学徒出陣の際に歌われた「報国節」が元になっていると。
なるほどそれで合点が行きました。実は歌詞の中に「可愛いあの娘は いつでも捨てる 母校のためなら命懸け」という件があり、いつもそこで引っ掛かっていたんです。別に学校のために命なんかかけないよと。
つまり元歌が「報国節」ですから、お国のために命を捨てるという歌詞だった。それが戦後大学の応援歌となった時に、「御国」→「母校」となった。歌詞はその名残だったんですね。

ちなみにこの歌の最後は

命捨てても その名は残る
大学明治の名は残る

となり、さらに

ついでに 将研の名も残る

となるのです。
これが四年生の追い出しコンパだと

ついでに○○さんの名も残る

と一人一人歌いあげてくれます。実はこれが嬉しいのです。

将棋研究会というのは、ある意味実力の世界。先輩だろうが何だろうが、将棋が強くないと役に立ちません。当然負けるのが嫌なので勉強しますが、そうは強くならない。負けるのが嫌で辞めて行く部員もいます。そんな中で取りあえず四年間やってきた。そして追い出される立場になり名前を呼ばれる。感無量なわけです。

ちなみに自分の将棋の実力は、大学時代、個人戦に七回出場した成績は1勝7敗。一年の時の初戦で一勝しただけであとは全敗です。まあ大したものではありません。一応道場では三段で指してましたが……。

映画のこと

2012-09-14 00:39:39 | Weblog
このまえCATVで「ショーシャンクの空に」というのをやってたので見た。
原作がスティーブン・キングで監督がフランク・ダラボン。この二人は「グリーンマイル」や「ミスト」でもコンビを組んでいる。感動の名作という触れ込みだが、残念ながら全く感動できなかった。

この話は、無実の罪で捕らわれた主人公が、刑務所を脱獄して夢を勝ち取る--そんな話である。刑務所内で知り合ったレッドという人物と親友になるが、彼は夢や希望を持つのは危ういと説く。どんなに模範囚としてふるまったところで仮釈放の許可も下りない。刑務所の中は囚人たちにとっては、全く絶望的な状況だった。それこそ、看守らが生殺与奪の権利を握っており、ささいな自由や権利を手にすることさえ難しかったからだ。しかし主人公はその大胆な行動で、少しずつ所内の環境を変えていく。
そしてついに、脱獄に成功し、彼を酷い目に合わせた所長に復讐し、念願の自由を手にする。どんなに絶望的な環境においても諦めない事が大切だ、と映画は教えてくれているかのようだ。

しかし、である。
ここに出てくる脱獄の成功が何ともお粗末なのだ。リアリティがない。19年間も壁を掘り続けたというが、持ち物検査や牢内の検査でそれがばれないのも不自然。夜中に壁を削っていたら音がするはずだ。よしんば見つからずに抜けられても、下水管がそんな簡単に穴が開くはずもないし、どこに続いてるかも分からない。仮に抜けられても、どうやって服や必要なものを調達し、怪しまれずに逃亡できるのか……。全てにリアリティがなく、説得力がない。
そしてやはり脱獄が実際のところ不可能だとしたら、映画が語る「夢や希望を持ち続けよ」というメッセージまでも空しくなってしまうのだ。


今日は同じくCATVで「ジェネラルルージュの凱旋」を見た。これは面白かった。よくできた映画だと思った。
邦画というと最近は軒並み駄目で、特にテレビドラマのシリーズの映画化は見れるものがほとんどない。駄作ばかりで見る気がおきない。
そんな中、本作はうまくできていると思った。
堺雅人という役者のうまさはいまさら言うまでもない。
期待しているのは今月15日に公開される「鍵泥棒のメソッド」。堺雅人と、私の好きな香川照之が共演。売れない役者と殺し屋が、ひょんなことから入れ替わるというコメディだ。ぜひ劇場に足を運んでみようと思う。
それにしても香川さんは、歌舞伎役者となったにもかかわらず、映画にも出まくっている。
恐ろしい役者さんである。


今日の「笑点」で…

2012-08-19 20:24:19 | Weblog
今日は一日中勤務。夕方休憩中に控室でたまたま「笑点」を見る。
大喜利の挨拶のコーナーで円楽が
「みんな分からないこと言ってますが…8月19日は俳句の日。俳句と川柳は何が違うかと言ったら季語のあるなしだそうです。俳句といえば芭蕉。落語の世界でバショウといえば金原亭馬生師匠。随分お世話になりました。一方、川柳といえば我々の大師匠、円生の弟子でさん生という方が今は川柳。おかしなおじいちゃんです。何を言ってるのか分からなくなってきました。円楽です」
と挨拶していた。(うろ覚えだから正確ではないが…)

前回の記事でとりあげた川柳川柳の名を、わざわざ円楽が挨拶で口にしたのだ。一体どういう政治的意図なのか?

ご存じのように三遊亭円生一門は、落語協会を脱退し新組織を設立するが、東京の各寄席がこの連中を上げないと明言。志ん朝も談志も三平も円鏡も結局は不参加となり、一門以外はみな協会に戻ってしまう。
この騒動であらかじめ話を聞いていなかったさん生と好生が不信感を持ち協会に残る。円生から名前を取り上げられ、さん生は柳家小さん門下となり、川柳川柳を名乗る。一方好生はよりによって円生と犬猿の仲だった林家正蔵の世話になる。

さん生(川柳)と全生(先代の円楽)の間にはいろいろと確執もあったろう。川柳は円生に恨みこそなかったろうが全生には相当の恨みがあった、かもしれない。
円生の死後、円生一門以外(円窓、円丈など)は落語協会に戻る。がその後にもこの三者は、7代目円生襲名問題でもめにもめるのだ。

勿論今の円楽(楽太郎)にはそうした目上の先輩たちと揉める要素はない、はずだ。彼が敢えて川柳の名を口にしたのは、何かのラブコールではないかと見る。決して思い付きや遊び半分で言ったのではあるまい。二人の間に個人的な関係があるかないかは知らない話だが、もう故人のしがらみを除いて落語界発展のために歩み寄ろうというのか。川柳がまだ高座に上がって元気に今のうちに………。

8月15日の過ごし方

2012-08-17 03:35:09 | Weblog
8月15日は終戦記念日である。
この日は日本の敗戦を振り返ってしんみりするのが常道なのだが、周囲の国が竹島や尖閣諸島に上陸したりして今年はそれどころではない。いったい彼らは日本を軍事国家に邁進させたいのか、よく分からん。このまま挑発行為が続くと、いよいよもって日本の外交は弱腰。きちんとした軍隊を持って武力行使するべきだの論調が大手をふるうだろう。憲法9条を廃止して再軍備の道へ進むのは時代の流れなのか・・・。

なんてことを考えながらも粛々と8月15日は過ぎてゆく。

この日は休みをもらっていたので朝から大忙し。
まずは新宿バルト9へ映画を見に行く。
椎名誠原作の「ぱいかじ南海作戦」。
阿部サダヲが主演。職と妻を同時になくした男が、住まいも荷物も整理して南の島へ出かけるところから始まる。ヤマネコも棲む西表島のどんづまりに美しい浜があった。そこで4人のホームレスと出会い意気投合。一緒にサバイバル的キャンプ生活に入る主人公。が、焚き火の宴会で最高に酔っ払った翌朝、四人のホームレスは持ち物ごと姿を消していた。主人公の全財産も一緒に・・・。
無一文・無一物となった彼は途方にくれる。本来なら島の警察に届け出るべきところだが、信じていた四人に裏切られ、かつ南から吹く風「ぱいかじ」に打たれた彼は、なんかもうどうでもよくなって、網にくるまり、寝てしまっていた。
そこに突然現れる旅の若者、オッコチくん。主人公はサバイバルの達人を装って彼の信頼を勝ち得ると、当面の食料を彼から調達することに成功する。二人の奇妙な共同生活が始まる。やがて浜にはうら若い二人の女の子キャンパーもやってきて……というストーリー。
この映画は何と言っても西表島の美しい海と空に尽きる。そしてホームレスや主人公たちの、ビールの飲み方、カップヌードルの食い方。都会に住むわしらは、あんなうまそうに酒を飲んでいるか、メシを食べているか? 生きるとは、喜びを感じるとは?

まあなかなかに上質の、いい映画だった。

取りあえずその後朝飯兼夕飯を食べる。時間つぶしに1円パチンコを打ってから、再びバルト9へ。
映画「トータルリコール」を見る。ポール・バーホーベン監督、シュワちゃん主演の名作映画のリメイクだ。
しかし、館についたのが遅かったおかげで、開いてる席が1席しかない! 最前列のど真ん中。おかげで目が疲れた。平日なのにお盆休みだからこんなに混んでるのか?
面白かったが、旧作の出来には一歩も二歩も及ばない感じだ。

夕方高円寺に移動して、「川柳川柳の大ガーコン祭り」を見る。このためにわざわざ休みにしていたのだ。
川柳川柳は自分の大好きな落語家。大学生の時に知って好きになったからもう30年はたつか。
現在81歳! 今も池袋や浅草の演芸場でガーコンをやっては軍歌を歌いまくるという、ステキなお爺さんである。
今年の春に車にひかれたとかで足を怪我しているそうだが大丈夫なのか。
弟子である女性落語家、川柳つくしの新作落語に始まり、三遊亭白鳥(円丈の弟子らしい)の川柳師を主人公にした新作落語「天使がバスで降りた寄席」で爆笑。続く柳家小さん(この人は鈴々舎馬風一門)の「ガーコン 上」で中入りとなる。
客の入りは8割以上。ほぼ皆が川柳のファンなので温かい雰囲気が流れている。
で、待ちに待った師匠の出番。約50分。前半が小せんに取られたので、唱歌や「紀元二六〇〇年奉祝歌」が歌えずちょっとやりにくそうだ。マクラが喋れず、いきなり噺に入ったのもファン的には残念。聞きなれたガーコンそのものの噺より、マクラのほうに興味がある。尖閣や竹島の噺、オリンピックや高校野球に触れるかと思ったが、流石に8月15日だからか、すぐに続きに入ってしまう。
声量自体も前に比べると小さくなってるようだ。NHK「日本の話芸」の収録は2年前だったか。あの時の方が声も見た目も若かった。が、仕方ない。

この日一番大きな声は日本兵の話。敗戦でいろんなデマが流れた。男はみんなキン○マを抜かれて奴隷にされる。女はブスは皆殺し。無論そんなことはなく、アメリカの兵隊は優しくてチョコをくれた。川柳師、終戦時は14歳だ。日本の兵隊の方がよっぽど怖かった。何か変なことを言おうものなら「何だと、貴様!」(この一喝の声が一番でかく感じた)
昔、チェ・ゲバラだかが広島の原爆資料館を見学した際に、日本人は何故アメリカに復讐しようとしないのかと聞いたらしい。あれだけの酷い目を受けながら、日本人は何故アメリカ人を憎まないか。何故、感謝し、親しみを覚えるのか、その精神構造が分からないと。もっともな話だ。だが、理由は多分これだ。アメリカ人はやさしかったのだ。日本人以上に。
鬼畜米英だと思ったら、確かに鬼みたいにでかくて強かったが優しかった、だからたちまち懐柔された。洗脳や教育も思いのほかうまくいったのだろう。ダグラス・マッカーサーさえ、昭和天皇と並べるときわめてでかかった。
だが私は抵抗する。原爆を落としたのは間違いなく彼奴等なので。東京大空襲の悲惨さを見たか。ナガサキ・ヒロシマだけでなく、沖縄戦の悲惨さを。非戦闘員を片っ端から虐殺する彼らをどうしてゆるすことができるのか。
だから自分はディズニーランドへは行かない。
川柳川柳が何故ガーコンばかりやり続けるのか。何故軍歌ばかり歌うのか。一年中、夏だけでなく、ガーコンを………。

日本は再軍備の道を突き進んでるようだと冒頭に書いた。多分アメリカも、諸外国もそれを望んでいるのだ。石原や橋下なんかの動きは、その表層の現象の一部に過ぎない。

特攻で死んでいった兵士、玉砕した兵士、マラリアで死んだ兵士、魚雷を受けて沈没した輸送船や商船。
本土で爆撃を受けた人々。家を焼かれ、親兄弟を殺され、すべてを奪われた日本人……。

だから私も軍歌を歌おう。あの、愚かな戦争を忘れない、忘れさせないために。

太平洋ひとりぼっち

2012-07-23 01:02:51 | Weblog
CATVをつけたら市川崑監督の映画「太平洋ひとりぼっち」をやっていた。

面白かった。

石原裕次郎が太平洋単独ヨット横断の堀江謙一青年を演じている。関西弁で、いつもの裕次郎のイメージとまるで違う。

時は1962年。(くしくも僕の生まれた年)
日本ではこの偉業も、当初は密出国・密入国の犯罪者扱いで報じられたというから、日本と言う国はほんと酷いものだ。

ヤフーの映画評(ユーザーレビュー)が十数件あった。
読んでみると、何で主人公が冒険に出るにいたったか、その動機が書かれていないのが駄目、みたいな意見が見られた。

僕はそうは思わない。

主人公の心情をまるで理解しない両親の姿を見れば痛いほど気持ちが分かる気がする。

そもそもこうゆう気持ちを理解できないのは旅をしたことのないひとたちではないか?

自分は自転車でほんの数ヶ月(トータルでは1年半に及ぶが)日本のあちこちを旅しただけだが、根本の心情は同じである。

世界的にも凄い偉業と、安全が確保されたただの自転車旅行と、比べるなといわれそうだが、気持ちは同じである。
仕事をやめて数ヶ月の自転車旅行に出る。いったい何のために? リスクばかりではないか?

そう、リスクばかり。だが、やらねばならぬ。それが「人生」だからだ。
抽象的で他人にはまるで理解不能か?
だが、似たような旅をしてきた当事者には、この気持ちは分かってくれるはずだ。

最近も東京の夏は暑い。
こう暑いといっそのこと北海道へでも行きたくなる。旅人はそういうものだ。

今でも忘れられないのが北海道の羅臼の国設キャンプ場を訪ねたときのこと。三度目の北海道行の時だった。

旅の達人と言うか、風来坊みたいな人が何人もいた。

僕は彼らに混じって夕食を頂いた。

でっかい魚の焼いたのや、魚や野菜の味噌汁。
ご飯は自分で炊いたやつを持ち寄って、一人92円!の夕食。
何でそんなに安いのか?
野菜は買うが、魚は港などで頂いてきたからタダ!
彼ら旅の達人たちは、いかにお金をかけず北海道を満喫できるか、そのことに精通していた。
夕食の後は焚き火をかこんで焼酎(のお湯割り)を飲んだ
鹿肉の燻製も食った。
マシュマロを木の枝に刺して、焚き火にかざして食べた。
お互いをキャンパーネームで呼び、本名や仕事や素性などは互いに詮索しない。
不思議と一緒にいて気持ちいい人たちだった。
彼らとはその一晩しか一緒にいなかった。
翌日はものすごい雨で、自分は早々にテントに避難したが、風でテントがつぶれ、翌朝ほうほうのていでキャンプ場を後にしたからだ。

そんな旅の達人や風来坊たちは、冬になると温かい沖縄方面に移動したりする。
人生を根本から投げているのか、よく分からないが、確かにそんな人たちがいたのだ。
定職にしがみつき、必死でがんばっている人たちとは何かが根本的に違う。

彼らの存在を知ったら、何か真面目にがんばるのがバカらしく思えてくる。
とゆうか、どう生きるのも自由。こうでなければならないなんて価値観は、存在しないのだ。

自分はこの時の体験があるから、その後放浪癖が身についてしまって、いろんな小旅行がやめられないでいる。

ここ数年旅にさえ出ていないけれど、心の中には常に旅がある。

またそろそろ旅行の虫が頭をもたげてきそうな、そんな勢いである。

旅は心の中にある。

つれづれなるままに

2012-07-14 03:57:40 | Weblog
前回のブログ更新からなんか一月以上もたっちまった。でまあ、たまに書き込みをしてみようかと思う。

あれから何があったかなあと考えたが……。

何かこのブログ人の訃報ばかり描いてるけど、ザ・ピーナッツの片割れ、ジュリーの元奥さんがなくなってしまった。自分らの世代だと「シャボン玉ホリデー」をリアルタイムで見ていたし、特撮マニアの間ではモスラの小美人としてなじみがあるかもしれない。クレージーの面々も青島幸男も死んで時代はどんどん流れていくなあと思ったら、すぐに小野ヤスシが死んで地井武男も死んだ。

テレビで見なくなった小野ヤスシはともかく、元気で散歩していた地井武男が亡くなったのはショックだった。歩くのは健康にいいはずなのに……。

亡くなったといえばパンダの赤ん坊も亡くなった。スカイツリーに続き、パンダ誕生で上野を盛り上げようと目論んでいた人たちにとっては相当の痛手だろう。まあ生き物だからなくなるのは仕方がない。それよりも、園長が泣きながら会見をしていたがどうにかならんのか? 組織のトップたるもの、そのくらいの危機管理ができなくてどうするのか? 男が簡単に涙を流すのはみっともない。それも組織の長が。もっと毅然とした態度を取るべきだろう。

他には映画「愛と誠」を劇場で見た。
まあつまらない映画。案の定客の入りも悪いらしい。原作で感動した自分からすると、原作の世界観をぶち壊した作品でしかない。岩清水弘が何か言うたびにスケ番グループからスリッパで頭をひっぱたかれてはただのコントである。

そういえば岐阜は柳ヶ瀬商店街の非公式ゆるキャラ「やなな」が、来年3月末をもって引退するらしい。自分がやななの存在を知ったのは一月ぐらい前なのだが、youtubeやブログなどですっかりファンになってしまった。先月末と今月頭には、やななが全国のゆるキャラを商店街に呼んで、実に2日間で12万人を集めたというから驚きだ。そのやなながまさかの引退会見。
いなくなる前にぜひ一度実物を見たいものだが岐阜は遠い。今月16日には宇都宮で「ゆるキャラ女子会」というのが行われ、そこにやなながゲスト出演するそうである。
行くかどうか迷っている。宇都宮まで往復4千円はかかるしなあ……。着いてもお昼からだしなあ。

以前にこのブログで書いた噺家の川柳川柳師匠。8月15日の終戦記念日に「軍歌を歌う」と題し、大ガーコン祭りをやるそうで見に行く予定である。チケットももう買ってしまった。今のうちにみておかないと81歳の師匠もこと、いつ見れなくなるとも限らないから。

他には、明日は海の日の前日ということで、長野で詰将棋全国大会が行われるらしい。私は詰将棋から離れたし行けないが、報告だけはネットでチェックしようと思っている。

それにしても、クソ暑い夏がまたやってきたなあ………。




大阪について

2012-06-11 21:08:06 | Weblog
大阪という町はよく知らない。何回か行ったことはあるが…。

大阪のイメージというとまず吉本。
通天閣、ずぼらや、花登筐の「どてらい奴」、秘密の県民ショーに出てくる「秘密の大阪」、藤山寛美、アホの坂田、浪花恋しぐれ、悲しい色やね、やしきたかじん、岸和田少年愚連隊、あとなんだろなあ……。

大阪に友人のT石君と二人で行ったのはもう何十年も前。あんときゃ驚いた。
天王寺の動物園を見ようと道を歩いてた。ちょうど雨が降ってて、傘をさして歩いてたんだが、道に数名の男達が何やらたむろしている。平日の午前中に彼らは何をしてるんだろう? と思った。
彼らは――何もしていなかった。ちょうど彼らの頭上に動物園の橋みたいのが掛かっていて、雨が防げる。何と彼らは雨宿りをしていたのだ。

別のタイミングで大阪を訪れた時もカルチャーショックがあった。
村田英雄の「王将」にも登場する通天閣。東京でいえば東京タワーにも匹敵する観光名所だと勝手に思っていたが、何とその真下に男が大の字になって寝ており、でかいむく犬が男のにおいを嗅いでいたのだ。
恐るべし大阪!

また数年後に大阪を訪ねた時も、天王寺駅北側の世界のお風呂を体験できる施設に泊まったのだが(確か叶姉妹が宣伝していた)、こちら側はジェットコースターや大阪プロレスのお店などもあるテーマパークだというのに、駅の南側へ行くと、途端に歩くのさえはばかられるような治安の悪さ、ガラの悪さを感じたからである。
これが大阪西成地区、いわゆるアイリン地区か……と身震いし、早々に退散したものだ。
この空気は東京にはまずない。
池袋や新宿の町を深夜にでも歩けば別の意味で怖さを感じるが、それとも違う。

ここのブログではかねてより橋下市長の悪口を書いて来たけれど、自分は一般論として述べており、大阪の異常性や特殊性はあまり理解していなかった。
こういう異常さに代表されるように、大阪に改善すべき点が多々残っており、それを一番実感してるであろう大阪市民が市長を支持するというのなら、関係ない都民の俺が口を挟むことではないのかもしれない。
生活保護が本当に必要な人のところに行かず、わけのわからない恩恵を受けている人たちのために国や自治体の財政が圧迫されてるとゆうのなら、まずそのあたりを全て明確にして国民に審議を問えばいい。

しばらく動向を静観してみよう。

「JIN-仁-」(村上もとか)の知られざる名シーン

2012-06-09 23:46:06 | Weblog
酷い下痢と高熱で体調不良です。医者に行ったら胃腸炎だろうとのこと。薬をもらい症状は快方に向かってますが、仕事を連日休むわけにもいかないので勤務についております。まともな固形物を食べてないので、じっとしていてもきつい。

昨夜はそんなわけで勤務を変わってもらい、サッカーのヨルダン戦を見ていた。相手が一人足りなくなったからといって、6-0というスコアはどーよ! ヨルダンもオマーンも弱すぎ。日本が過去に比べて特別に強くなった印象はない。(まあ過去に比べて意味のない横パスやバックパスは減ったけど)
圧勝でもつまらない試合というのはあるもんだね。吉田と香川の怪我の方が心配だ。次のオーストラリア戦に期待。


日本人の平均寿命が、男は78歳、女は86歳でまた伸びたらしい。年金制度の崩壊を思うと、一概に喜ぶべきでもないだろう。長く生きること=幸せに生きること、ではない。
要はどれだけ充実した人生を送れたかがポイントなんで。
長生きせずとも世に名を残した人はたくさんいる。幕末の志士なんかほとんど早死にではなかったか? あるものは斬られ、あるものは切腹し、またあるものは病に倒れた。
龍馬、中岡慎太郎、武市半平太、高杉晋作、吉田松陰、小松帯刀、新選組の面々……。
江戸~明治の平均寿命は40-50歳ぐらいであろうか?

村上もとかが漫画「JIN-仁-」を描こうと思った動機は、女郎たちが結核や梅毒などで20-25歳ぐらいでばたばたと死んで行く――その理不尽さに心を痛めたから、というのは有名な話である。
漫画の中では野風の先輩にあたる花魁が末期の梅毒にかかり、仁がペニシリンを開発して治療にあたる、というのが前半の山場である。
この一連の仁の治療を目の当たりにし、野風は仁を本気で想うようになるのだが、野風が色仕掛けをして、いざ男女の関係になりかけた時、火事が起きて未遂に終わってしまう。

こうして「JIN-仁-」をあらためて通して読むと、主人公の仁や龍馬、恭太郎や東修介などの男性陣はあまり印象に残らず、女性の登場人物ばかり印象に残ってしまう。特に咲と野風である。

咲は見合いをするが、結納の席で縁談を断り、野風の乳癌の手術の場に駆け付ける。三隅の扇動で手術を邪魔しにきた武士たちの前に立ちふさがり「わたくしは覚悟が足りなかった」と、喉に短刀をあて、「もはやこれまで」と死ぬ覚悟までして手術を守ろうとするのである。
しかしその代償は大きく、母の栄はショックで寝込み、勘当同然となってしまう。

さらにこのあと、三隅の姦計にかかり仁が入牢。野風は仁を助けるために自分の身を売って金を作る。やがて疑いがとけ仁は釈放されるのだが、拷問で足は傷だらけ。満足に歩くこともできない。その足に泣きながらすがりつく咲。一見非常にいいシーンだが、この時野風が密かに涙を流しているのを見逃してはならない。仁が釈放されたことを喜んでいる涙か。咲の先生を想う心に打たれたか。咲が言うとおりあまりの理不尽さに涙したのか……。
自分が思うには、自らの身を売ってまで助けた仁……しかしその足元にひざまずけるのは、自分ではなく、やはり咲さんなのだ。その思いが、二度と泣かないとさえ誓った野風に涙を流させた、と読む。

場面は飛び、野風とルロンの結婚式に仁と咲が呼ばれるシーン。
野風は横浜で、末期の梅毒患者の元女郎たちを収容する施設を作り、彼女らの看護にあたっていた。今でいうホスピスみたいなものか。
しかし火事が起こり、野風は歩けない患者を助けに火の海に飛び込んでしまう。火消しの千吉により無事に助かるが、仁は野風を「命知らずにもほどがある!」と叱り付ける。それに対して野風は「先生はあちきを心配して怒ってくれたのでおざんしょう。うれしくてまんだ胸がふるえていす」と答える。えっ? 野風の本当の気持はルロンではなく、まだ仁にあるのか?と思わせるエピソードである。

このあと、野風の癌が再発。すでに肺に転移しており、余命が二年もないだろうことが仁の診察で判明。
そして結婚式が終り、その夜のパーティーで。
「南方先生、咲さま…お二人もダンスをしんせんか? 次が最後の曲でありんす」と言う野風に
「い…いえ、わたしはダンスは出来ませんので」と未来人らしくなく断る仁。
それに対し咲が「あのわたくしも出来ませんけれど…ルロンさんに教えて頂けるのなら…」
さらに「先生も野風さんに教えて頂いたらいかがでしょう?」と水を向ける。
「それにしても驚きましたよ。咲さんがダンスをしたがるなんて…」
「いいえ、先生…それは違うと思いいす…咲さんは…」
力ない咳をする野風。
「ごめんなんし…もう大丈夫。曲が終わるまで踊りいす…」
「このダンスは…咲さんからのプレゼントでおざんしょう」


自分の身を他人に売ってまで慕った男と一緒になることができず、しかもそれがおのれの幸せであると嘘をつき、しかしまだ気持が続いていることを恋敵である咲に見破られている。そしてそれを言うことで間接的に自分の気持を相手に伝えている……。
自分が選ぶ漫画「JIN-仁-」の名セリフのナンバーワンです。

で、敢えてこんなことを何故書いてるのかといいますと、この名シーンがドラマには一切ないからなんです。
ドラマの「JIN-仁-」しか見てない人はこの名シーンを知らないわけです。だから伝えたかった。

原作を読んでない方、読んでも筋だけ追って流し読みした方、漫画だからと馬鹿にして読まなかった方。
この作品は凡百のくだらない漫画とは違います。まずこころざしが違います。
是非お読み下さい。