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合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

明治大学将棋研究会の想い出

2013-10-13 21:19:07 | 明大将研
私は友達が少ない。知人も少ない。
このブログも、一体誰が読んでいるのか、読んでいないのか、さっぱり分からない。

しかしこのブログにリンクを張っているページがある。

それがこれ。

明治大学将棋研究会OB会・リンク集

ここに書かれてある「たおたお博物紀行」ってのがそうだ。


勿論当ブログは「合間の博物館旅日記」であって、「たおたお博物紀行」ではない。

実は「たおたお博物紀行」ってのは、8年前までに自分が開設していたホームページなのだ。

それは閉鎖してしまったのだが、何故かブログの方へリンクが張られ、名前はそのままになっているのだ。

別にそれはいい。

気になっているのはその先だ。

OB列伝というページに、将研OBの名前が連なっている。

その中の1981年入学の清水英幸というのが、オレ。

同学年に間瀬和仁の名もある。

しかしこの年には、もっとたくさんの、十数名の部員がいたのだ。

それがあたかもないことになってるのが悔しい。

この情報を補完するのも私の役目ではないのか?

過去の出来事を記述するのも自分の使命ではないのか?


……とまあ、そんな大それた話でもないのだが。


ざっと思いつくままに並べても、
小島、尾本、田中潔、高橋、蕪木、岡、中田、森本、藤田、柳岡……といった面々がいたわけで。

また一年後輩にも小林、二村、岩崎、佐藤の名前が載っているが、
山形、長島、荒、伊藤、諸藤、近藤、縄野、橋本、森谷……といった部員がいたのです。

一年先輩には大槻、石井、古屋、半田の各氏の名前があるが、
他にも、谷、涌谷、杉田、岩本といった方たちがいた。


……とまあ今回はここまでにしておこう。

最初に名前をのっけとかないと、あとあと話を展開するのに困るので…。


次回からはこんな内容について書こうと思う。

1 合宿の話
2 地獄名人戦
3 新人勧誘の話
4 部誌「雨の雁木坂」誕生秘話

なかなか楽しい話満載だと思うのだが、「私のことは書かないでほしい」という人がいたら是非コメント欄までご連絡を……。

考慮します。

ゆるキャラグランプリ

2013-10-09 05:02:44 | Weblog
今年もゆるキャラグランプリが開催されています。

昨日よりランキングが非表示となりました。

トップは出世大名家康くん(浜松市)みたいですね。

現在ブログはヤフーの方で更新しています。

こちらはたまにコメント管理で見に来るだけにしています。

ではまた!

記事を60日間更新しないと……

2013-07-23 23:00:04 | Weblog

最近はヤフーのブログばかりを更新してこっちを全く更新していない。

しかし、60日間ブログを更新しないと、見た目のフォーマットが変わってしまうそうなので、元の状態に戻すために更新する。

こんなブログでも、何故か見てくれる人がいるみたいだ。

不思議。

そういえば詰将棋全国大会、先週行われたらしいですね。

来年は東京とか。生きていたら見に行こう。

ヤフーでブログを解説してます

2013-05-23 03:57:02 | Weblog
四月よりヤフーでブログを解説、更新しています。

こちらの記事の更新は滞ってますが、両方更新するのも馬鹿らしいので、リンクを張っておきます。

みん検・ひでのブログ


漫画のこととか、ドラマのこととか

2013-03-18 00:29:40 | Weblog
3月19日に発売される「ビッグコミックオリジナル」に、いよいよ村上もとかの新作「フイチン再見!」が掲載される。村上もとかといえば、このブログでも随分何回も書いてきたけれど、数ヵ月に及ぶ世界旅行から帰ってきて、新作の発表が待たれていた。もっとも、新作が初期の少女漫画の世界を題材にすることは、今から半年前、村上氏が取材に訪れたちばてつや氏の書いたブログで分かってはいたけれど……。

実はこの号には、もう一人私の好きな作家が載る。
山川直人の「写真屋カフカ」である。

山川直人は特別な漫画家だ。作風は確立されており、特にスクリーントーンをほとんど使わないのは有名である。年齢は私と同じだから五十歳のはず。
今から十年前、山川直人の時代が来るかどうか、漫画に詳しい友達と飲み屋で激論を戦わせたことがある。私は来るといい、友達は来ないと言った。
しかし、芥川龍之介を主人公とした「澄江堂主人」を描き上げ、その勢いでビッグコミックオリジナルに登場。村上もとかの新作掲載という、注目を浴びる号に載るというのは前代未聞のチャンスのはず。ぜひ、これまで山川直人の名や作品を知らなかった読者の心を射抜いて、これを切っ掛けに売れてほしいものである。

さて。

漫画はこのへんにしてドラマの話をしよう。

土曜日夜9時、日テレで放送されている「泣くな、はらちゃん」が面白い。
私はドラマはほとんど見ないのだが、これはお勧めである。
次回が最終回。予断を許さない展開だ。
見るべし!


あと、前回触れたやななの重大発表ですが……。

何とやなな主演の映画が制作決定とのことでした。
公開は来春予定。

やれやれ。
一年先まで生きているかな?

やななの卒業式 in 関東

2013-03-12 03:19:41 | Weblog
3月9日、埼玉県志木市へ、「やななの卒業式in関東」のイベントに行って来た。

やななとは、岐阜県柳ヶ瀬商店街の非公式ゆるキャラ。頭にダンボールを被った色っぽいお姉さんである。

自分がやななの存在を知ったのは今から1年前。当時自分はゆるキャラそのものには何の興味もなかった。せいぜい「ひこニャン」とか「せんとくん」の存在を知ってるだけで、半分馬鹿にしていた感があった。

偶然、横を向くと千葉県の形をしている「チーバくん」というキャラの存在を知って、チーバくんそのものではなく、彼の歌の動画をYOUTUBEで見てすっかりハマッてしまった。よく考えればこの歌も動画も、いわゆる「職人さん」が勝手に作り上げたもので、本家のチーバくんの関係者は全く関与していないのだが、チーバくんの可愛さにやられてしまったのだ。
それで「ゆるキャラ」についてちょっと調べてみようと思い、見つかったのが岐阜の「やなな」である。

設定は体長8cmの人魚。岐阜特産の枝豆を食べると身長が20倍になる。頭のダンボールは商店街のアーケードの形をしている。足のように見えるものが見えるが足ではなく、スカートは尾びれ。切れのあるダンス、Y字開脚、コマネチポーズ、毒舌(喋れないので筆談)、喋れないのにラジオのコーナーを持つなど、いちいち存在自体が斬新だった。

それだけではない。

通常ゆるキャラというのは、移動の時は普通の人である。本体(というか着ぐるみ)はスタッフが車で運ぶなどして、イベント会場の控え室かなんかで着替え。イベントの合間は着ぐるみを一部脱いで休み。終われば元の人間の姿になって帰る、というのが普通である。

やななは違う。

何と、移動の時さえ「やなな」。控え室で休んでる時さえ「やなな」なのである。

YOUTUBEで、東京駅に止まった新幹線からダンボール娘が降りてくる姿は衝撃的だった。これでさえ撮影用にわざと撮ったのだと思った。
が、違ったようだ。

ブログで「やなな」について検索してみたら、3月10日に東京から新幹線に乗って名古屋に着いたとき、後ろの席にやななが乗っていてビックリした人の記事がアップされていた。やななは新幹線でも山手線でも、一人であの姿のまま移動するらしいのだ。

これってどうゆうことなのか?

あの格好では飲食はできない。
何時間も飲まず食わずなのか?

今回、「やななの卒業式in関東」のイベントで初めてやななの実物を見た。

その中で鬼マネが語っていた、2年前の3月11日の話が印象的だった。
その日鬼マネと旧マネージャーだったドキンちゃんは、ゆるキャラが出演する番組収録のため、東京はお台場にあるフジの湾岸スタジオに向かう予定だった。渋谷にいる時、震度5の地震に襲われた。交通機関がストップすると予感した鬼マネはタクシーを拾いフジに向かった。やななは単独行動で、テレコムセンターの駅で落ち合う予定だったが、メールも途中でつながらなくなったという。
それでも何とかやななと合流してフジテレビについたが、モニターもない部屋でずーっと軟禁状態。撮影が中止なら帰してくれといらだつほかのゆるキャラのスタッフたち。何時間も部屋から出られず、情報もなく、鬼マネたちも流石に体力が底を付き、床に横になったという。
それでもやななはやななのままで、あまつさえ、いらだつゆるキャラやその関係者たちを、例の筆談その他で励まし続けた。「こんな非常時に何でダンボール被ってんだ!」と心ない事を言う奴もいたらしい。それでもやななは「やなな」に徹した。鬼マネはその時、5年間一緒にいて、初めてやななのファンになったという。

ゆるキャラは地域のPRが主な仕事である。
が、やななは違う。
やななのコンセプトは、やななのファンを作ること。そうすれば、やななに会いに、皆が柳ヶ瀬商店街に会いに来てくれる、というのだ。

くまモンやチーバくんなどは、実は何体もいる。中の人が変わっても「くまモン」であり「チーバくん」だ。(ゆるキャラに中の人などいない、という議論はここでは置いておく。)

が、やななは違う。
サインもするし、絵も描く。
独特の切れのあるダンスはする。
別な人だったら、すぐにばれてしまう。

やななは一人なのである。
その証拠に、驚くべき記憶術によって、一度会ったファンの名前と顔を覚えてしまうという。(自分の名前を覚えてるやななに感激するファンの人のブログもある。)

神か!?
--と、俺などは思ってしまう。

予定数を超えた年賀状にも、全てに手書きのメッセージを書いて返事を出したという。
ゆるキャラグランプリでも、最後まで自らチラシを配って投票を呼びかけた。
こんなゆるキャラは他にいない。
だからこそ、ゆるキャラの中で唯一、3年連続でベスト10以内に入るという快挙を成し遂げたのかもしれない。


今回冒頭にアップした写真は、山形県朝日町の桃色ウサヒと一緒に来ていたウサナ(スポンサー名の入ったダンボールを被った女性。3時間で作成したという)とやななのツーショットだ。
やななの他にダークやなな、さらには「コスプレやなな」もいて紛らわしかった。特にコスプレやななはスタッフと被災地の募金活動をして、募金してくれた人には誰彼かまわずハグしていたが、何人かは確実に本物のやななと間違っていたと思う。(あの時ハグを断ったのは俺です。)


イベント自体は大変楽しかった。

戸越銀次郎がキーボードがうまかったり、うどん脳の頭が取れたり、うなりくんの非公認ソングの歌詞が何故か「森田健作にも負けるな」だったり、南米で発見されたイノシシの土偶の「ペッカリー」の声が予想と違う可愛い女性声(しかも歌が本物のプロ!)だったり、ふなっしー人気が凄かったりといろいろ書きたいことはあるが、それはさておき……。


いずれにしても、やなな、お疲れ様。

本物の卒業まであと20日くらいだが、突っ走ってください。

16日の午後にはやななから重大発表があるとのこと。
自分の予想では、次の柳ヶ瀬のゆるキャラの発表(お披露目)と、やななからの引継ぎ式なのではないかと思っている。去年キャラを公募して1位が選ばれたけど、特に目立った発表はしてなかったからね。


竹書房から出るというやななの写真集と漫画をとりあえず予約しよう。
お金ないけど。

体罰とかいじめとか…

2013-02-03 20:52:16 | Weblog
大阪の高校のバスケ部だったか、キャプテンの少年が顧問の先生に殴られたとかで自殺し、大問題になった。橋下市長が入試を辞めさせるとかなんとかで大騒ぎして…。

今年に入ってオリンピックの女子柔道で体罰があり、うんぬんという話で、再び体罰が俎上に上がった。

だが、この両者を同列に論じるのはナンセンスだと思う。

後者は、問題提議した選手たちは国を代表しようという選手。大学生や社会人といった分別のある大人であって、彼らが訴える時点で、体罰やパワハラが問題であることは火を見るよりも明らか。しかも問題を隠蔽し、監督を辞めさせなかった時点で、組織自体が健全に機能してないことが明白に分かる。例の内柴の事件と同じで、日本の柔道界はもう腐り切ってると言えるのではないか。


前者については、私は体罰を認める気はない。
しかし、問題の本質はその生徒が自殺してしまったことにある。

なぜ殴られたくらいで自殺を選んでしまうのか?
いじめにしろ体罰にしろ暴力にしろ、人間の社会からは永遠になくならない。それは人類が生まれ持っている宿命みたいなものだ。
真の教育とは…真の人間形成とは…。そうした困難に直面しても、決して負けずに生き抜くことだ。
学校からいじめや体罰を駆逐しても問題は解決しない。社会に出ればより酷い悪意、犯罪、差別、事故、不運、悲劇が待っているのだ。そんな逆境においてもめげずに強く生きる人間を作ること。それが真の教育なのだ。今回の問題では体罰ばかりが問題視されて、そこの議論がまるでなされていない。

昔は体罰なんて当たり前にあった、と言う人は、そういう反面教師があったから今の強い自分がある、といいたいのかもしれない。
暴力や体罰、いじめを肯定するわけではない。
が、人間の社会からそれらを完全に駆逐することはできない。仮に学校からそれらをなくして、無菌状態で子供たちが育ったらどうなるか? 社会に出て、無防備な彼らがどんな目に会うか? 考えるだに恐ろしい。

繰り返すが、真の教育とは学校から体罰やいじめをなくすことではなく、どんな困難に直面しても負けずに強く生きる人格を作ることなのだ。

「艱難辛苦、汝を玉にす。」
「子孫のために美田を買わず。」

蝶よ花よと安全に育ててはまともな人間はできない。

人間を育てるのは、育てる方も命懸けの覚悟が必要だ。

風邪でつらい

2013-01-25 03:12:34 | Weblog
新年早々風邪をひいてしまった。
今年の風邪はしつこく、なかなか治らない。仕事を二日休んだが、まだ完治しない。
いまだ食欲もなく、だるさが続いている。

今年はNHK大河ドラマ「八重の桜」を録画したが、どうにも見る気がしなくて放っておいた。
初回はその後の「香川照之(市川中車)-猿翁親子のドキュメント」だけはしっかり見た。1月1日に無事親子共演を果たしたはいいが、二日目以降猿翁の体調不良で猿之助が代役に立ってるという。その後の続報がないからなんとも分からないが、猿翁の体調不良ってどんな具合なのか、気になる。それはそうと、NHKの番組では藤間紫のことに全く触れていなかったが、これもお約束なのか?

翌週は、やはりダイオウイカをしっかり見た。体長3メートルとやや小さいのは残念なものの、メタリック・ゴールドに光る体と、まばたきする巨大な目は圧巻だった。これぞ、リアル・アバター。視聴率16をたたき出したというのもうなずける。

「八重の桜」は結局1話目だけ見たが、「ならぬものはならぬものです」の連呼がうっとうしかった。いい大人の西郷頼母が、まだ年端も行かない八重を、草鞋を落としたことに激怒するくだりはみっともなく、そんな融通が利かんから薩長に攻め滅ぼされんだよ、と言いたくなった。

ついでに書くと、山本八重は七人兄弟の三女だそうである。長兄山本覚馬と年が親子ほど離れてるのもそのためだ。が、ドラマには覚馬と、後に戦死する弟しか出てこない。三人兄弟のようだ。こうゆうところも手を抜かずに史実どおりにやってくれたら--。大家族ものは視聴率の取れる定番ではないのか?


家で寝ていた昨日と一昨日は、ケーブルテレビで「バットマンビギンズ」と「ハプニング」をやっていたので見た。そのために、風邪の熱でうなされてる悪夢に、スケアクロウやら「ハプニング」のグロシーンやらが出てきて参った。風邪のときはグロや暴力映画を見るべきではないね。

今年は1月の4日に柴又帝釈天に行って、三年越しに再び「凶」のおみくじをひき、寅さん記念館で山田洋次ミュージアムを見たりした。
どっかで「大吉」のおみくじをひかないと、いいことが巡って来ないのかもしれない。

あけおめことよろ

2013-01-01 00:59:54 | Weblog
2013年になってしまった。

ブログを更新しない間に、自民党が圧勝し、米長邦雄が死に、年があけてしまいました。

紅白で美輪明宏が「ヨイトマケの唄」を歌ったシーンをYOUTUBEで確認する。

今回は珍しく紅白を録画したんだ。

美輪明宏のこともあるし、市川猿之助の口上も見たいので。いつもは「ガキつか」の笑ってはいけないシリーズを録画してるんだが、今回は正解でしょう。

美輪明宏のあんな格好を今の人は初めて見るんだろうね。
放送禁止歌とかなんとか言われてるけど
民放ではともかく
自分はNHKの教育テレビで10年くらい前にフルバージョンを見ている。
今、美輪明宏は77歳だとか。
やっぱり声量が落ちている気がするんだけど気のせいかな? 77だから。

数日前にミラクルひかるが笠置シヅ子の「東京ブギウギ」を物真似してて、
それで笠置シヅ子の「東京ブギウギ」のYOUTUBEの再生回数が極端に伸びたらしいけど、
「買い物ブギ」と「酔いどれ天使」で歌う「ジャングルブギー」の方を是非見て欲しいもんだ。

「ヨイトマケの唄」もそうだけど、
今より何十年も前に凄い歌手、凄い歌があったということを知ってほしいね。

エノケンもそうだけど。

温故知新、ってのを今の若い人にね。


「温故知新」で思い出したけど、

亡くなった将棋の米長さんが将棋雑誌の随筆で、
女流プロ(清水市代だったかな?)の指した手にヒントを得て開眼したとかで、
「○ンコ知新」て書いてたな。

この人は別の回でも、
「薄い卵焼きで餡を来るんだ菓子を考えた。名前をオム・アンコ。どうです? 美味しそうでしょう?」
と書いていた。

同じ頃に弟子の林葉直子もエッセイで「ボッティチェリ」のことを「ボッキチェリ」とか書いてたっけ。
「師匠が師匠なら弟子も弟子だ」と当時思った。

その後林葉は例の失踪騒動でインドへサイババに会いに行き、騒がせた責任を取って棋士を辞め、かと思ったら中原誠との不倫騒ぎが噴出し、何か豊胸手術を受けたり、タロット占いをしたり、自己破産したり……。

米長氏がなくなる直前に関西のローカルテレビに出て、その変貌振りがネットで大騒ぎになった。
司会のブラマヨ吉田や観客がひくほどだったとか。
将棋ファンは半年ほど前に、女流プロと対局する林葉の姿を見てるからそれほどショックでもない。
……と、思うけどどうかな?

米長氏は前立腺の癌で亡くなったが、
セックスできなくなるのが嫌で全摘を拒否したとか。
若い頃から千人斬りを公言し(600人くらいまでいったそうだ)、数々のセクハラ疑惑まで巻き起こした米長氏らしいと言えば言える。

米長氏はプロ棋士で唯一、「藁っていいとも」のテレホンショッキングに出演した人物らしい。
テレホンショッキング以外のコーナーなら、元プロ棋士の桐谷広人氏がちょっと前に出ている。
元棋士、という肩書きではなく、「株主優待で生活する節約男」として。

この桐谷氏、過去に2度も「週刊新潮」で米長氏を告発する文章を書いている。
何と自分の婚約者として紹介した女性を米長氏が愛人にしてしまったとか。
「怒りの告発」を書いた直後に棋士を辞めた。米長氏の葬儀に出席したのかどうかは知らない。
過去の経緯を考えれば、出なかったと見るのが正解か。とゆうか米長氏が生前葬儀に来て欲しくない人物の実名を挙げていたのだそうだ。おそらくその中に、数名のうちの一人として入っていたのだろう。
ちなみに林葉直子も葬儀には出なかったらしい。(行けば行ったで騒ぎになるしね)


将棋関係でもう一つ書くと、
羽海野チカの「3月のライオン」8巻読みました。
過去に発行された将棋漫画の中でも、圧倒的にすばらしいと思います。
「5五の龍」も「ハチワンダイバー」もこれに比べれば飛車落ち以下。「月下の棋士」なんか6枚落ち。
手合い違いだ。

これ、監修が実は先崎さんなんだよね。
そのせいか……8巻の表紙の老棋士。
モデルは大山さんなんだろうけど見た目は米長さんに似てる。

で、
主人公が姉と呼ぶ香子(元奨で棋士を断念させられ、後藤というプロ棋士と不倫中)の姿がどう見ても林葉に重なる。
羽海野先生はストーリーは自分で考えてるだろうから先崎さんの影響がどこまであるのか分からないけど。


連盟会長といえば

「全詰連会長のブログ」が9月30日の「永井英明氏ご逝去」で止まっているのはどうにかならないのか?
せめて立場上、「将棋連盟会長米長邦雄氏ご逝去」をアップするべきではないのか?

と、

余計な事ながら不肖の元弟子が心配しております。

ああ、

新年早々将棋一色だー!
何故!?

「詰む将棋パラダイス」について

2012-11-23 22:12:44 | Weblog
「詰ルンルン」というブログで、自分が過去に出した「詰将棋パラダイス」のパロディ誌「詰む将棋パラダイス」が、ご丁寧にも画像入りで紹介されていた。あまりに懐かしいので自分も少々振り返ってみたい。

この頃(奥付を見ると「平成三年」とあるのだが)、私は詰将棋に狂っていた。まさに本の中に書かれた「踊るポンポコリン」の替え歌にあるように、「誰でも彼でもみんな 詰棋(つめき)に狂っているよ」…な状態だった。パラやその他の詰棋書を読みまくり、暇さえあれば盤駒を取り出して、詰将棋のことばかり考えていた。

とはいえ、ここに収録されている作品は、どいつもこいつも入選にはほど遠く、実際投稿もしていなかった。
表紙を飾る13手詰は、簡素な初形に加え、意表を突いた歩の成らずもあり、一見好作に見えるが、作意の他の二つの変同(変化同手数)は、むしろ醜い「尾わかれ」と呼ぶべきもので、どう贔屓目に見ても入選に値する作品ではない。
自分は、この後都合11回ほどパラで入選を果たすのだが、その中に「詰む将棋パラダイス」収録作がほとんどないのを見ても、作品のレベルの低さを裏書きしていると思う。だからこそ照れ隠しの意味を含めて「詰む将棋」という蔑称を加えた、読み物主体のパロディ誌にしたわけである。


さて。
東京詰将棋工房の会合(当時はまだ「ACT―2」の名前を引きずっていた)に初めて参加し、詰めキスト(詰将棋を趣味にする人達をこう呼ぶ)なる存在を初めて目撃した自分は、そこで知り合った摩利支天さんと詰パラ編集部に、できたばかりの「詰む将棋パラダイス」を送った。
私はそれまでパラに解答を送って短評が載ることはあっても、基本的にパラ読者にとっては、どこの馬の骨とも知れない謎の人物であった筈だ。

それが、変なパロディ誌を作った謎の人物として有名になり(大阪の詰将棋全国大会では、催し物をよそに、ひたすら「詰むパラ」を寒い廊下で売っていた)、さらにはそれが将棋ジャーナリストである湯川博士氏の目に止まって、「週刊将棋」の取材まで受けてしまう。さらにそれが元で会社の社内報にまで紹介されることになるのだが……。

しかし今「詰む将棋パラダイス」を見直しても、若い読者は何のことか分からないに違いない。
例えば、「詰むと絶連 湯川詰子」というエッセイは、この頃パラに載っていた「詰めば都」という湯川恵子さんのパロディだ。本家では、パラを読んでる湯川さんが難しい顔をしているのに、こちらでは「詰むパラ」を笑って読んでいる。こういう細かい所を作者としては注目してほしい。

猪木が人質を解放した直後で「総理大臣になりたい」と抱負を述べているところ。前田日明がWESTという缶コーヒーのCMに出ていたが、UWFが分裂して、藤原組はメガネスーパーがスポンサーに付いたSWSに参加したこと。ジャイアント馬場が入院し、兄貴と慕うラッシャー木村がマイクパフォーマンスで心配してるところまで、「結果稿」には書いてある。また、プロレスラーの名に混じって、何故かバトルロイヤル風間(漫画家)の名前があったり、作家陣では、当時「将棋ジャーナル」に団鬼六の肝煎りで何故か官能小説を書いていた丸茂ジュンの名があったりと、嫌でも時代を感じさせる内容だ。逆に言うと、今の若い人が見ても何のことだかよく分からないだろう。


あれから20年以上も経ってしまった。自分も詰将棋からスッカリ足を洗った状態だ。最後に駒を触ったのはいつだろう。ケーブルテレビの囲碁将棋チャンネルでプロ棋士の対局はよく見るけど……。

ちなみに、「詰むパラ」の「読者サロン」を見ると、この頃はまだ大山康晴がご存命なのである。
一方自分は、昨日でついに50の大台に乗ってしまった。
あの頃は若かった。まだ自転車で野宿旅をする前だった。

もはや何もかもが懐かしい………。