ここから読めてくることは、公孫氏=中国人であり、仮に天皇が正統の中国史道教の流れから出たと知れば、次期中国共産党主席や胡錦濤現主席が、今上天皇に謁見の儀式を経て主席の座に上り詰めたことも理解できる。
飯山一郎氏のブログ底下底下◆2011/02/18(金) 金王朝の “深い深い謎” -81-から転載開始
「天皇」は、5世紀中国の「道教ブーム」から…
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。きょうもよろしくおねがいします。
昨晩は小生、旅の疲れが出て、文章が緩慢冗長になってしまいました。
言いたかったことは…、
「卑弥呼が鬼道につかえていた…」と正史が書いたのは、卑弥呼が倭人や韓人では
なく中国人である、と中国の史官が考えていた証拠。
つまり…、
「卑弥呼は公孫氏の係累だから中国人だ」 と確信したからこそ、
「卑弥呼、鬼道につかえ…」
と正史を記述する官吏は記述したわけです。
卑弥呼が倭人か韓人だと思えば、「卑弥呼は“鬼神”に仕え…」と書くはずです。
(このことは、じつは、日本では初めての発表になります。)
上のことを、少々詳しく説明します。
卑弥呼の時代、「鬼道」とは「天師道」、あるいは「太平道」のことで、人民を惑わす
“妖術”と思われていました。
しかし、鬼道・天師道・太平道は、道教の前身で、難解な中国語で書かれ、非常に
精緻な宗教哲学(神学)大系になっていました。
つまり、中国語に精通した中国人でなければ、「鬼道」も「天師道」も到底習得でき
ない神学だったのです。
後年(5世紀)、北魏の太武帝(鮮卑拓跋族)は 「天師道」のあまりにも精緻な哲学
と、仰々しくも大袈裟な祈祷術に感激して「天師道」を国教化してしまう…。
これが「道教の国教化」と言われる中国歴史上の大事件であったわけです。
こうして道教神学は、鮮卑族、扶余族、倭族など、異民族国家にも浸透していく…。
卑弥呼は、道教神学の前身である鬼道を異民族(倭族・韓族)に宣教した嚆矢!で
あったのです。こういう卑弥呼像を、確実な史料をベースにして、憶測抜きに描く…。
こうでなくては本物の歴史学とは言えません。…山形史観は本物です。
匈奴・鮮卑・羯・氏・羌の五つの異民族が群雄割拠した「五胡」の時代に、道教神学
から借用した「天王」を名のる国王が続出します。
大趙天王、大秦天王、大燕天王、大涼天王、大夏天王等々、「道教神学」から借用
した「天王」が続出、まさに道教ブームです。
この「天王」は「皇帝」と同格概念です。「皇帝」の臣下になりたくなかった異民族の
国王の気概が感じられるエピソードです。
ちなみに「大燕天王」は、北魏馮太后の実家、『北燕』の馮跋(太祖文成帝)です。
ところで…、
道教神学における最高神である「天皇大帝」。この「天皇」という「最高神」の概念を
熟知していた大海人皇子は、だからこそ、自らを「天皇」と称した…。
これは7世紀のこと。
不思議なのは…、
4~5世紀の五胡十六国時代の国王達は、「天王(ティエン・ワン)」とは名乗ったが、
「天皇(ティエン・ファン)」とは自称しなかった! これは一体どうしてなのか?
この理由こそ、天皇が天皇たりえる「ツランの秘儀」に通じる最重要概念であるので、
当分は「秘儀」=秘密のままにしておきたい。
転載終わり
道教神学の最高神天皇と名乗るにはそれ相応の理由があるのだろう。今上天皇が百済の始祖の末裔を皇后に迎えたと仰った理由に繋がると思う。遣唐使の時代を見ても中国の皇帝と現天皇家は対等の付き合いをしていたのかも知れない。
飯山一郎氏のブログ底下底下◆2011/02/18(金) 金王朝の “深い深い謎” -81-から転載開始
「天皇」は、5世紀中国の「道教ブーム」から…
皆さん、こんにちは! 飯山一郎です。きょうもよろしくおねがいします。
昨晩は小生、旅の疲れが出て、文章が緩慢冗長になってしまいました。
言いたかったことは…、
「卑弥呼が鬼道につかえていた…」と正史が書いたのは、卑弥呼が倭人や韓人では
なく中国人である、と中国の史官が考えていた証拠。
つまり…、
「卑弥呼は公孫氏の係累だから中国人だ」 と確信したからこそ、
「卑弥呼、鬼道につかえ…」
と正史を記述する官吏は記述したわけです。
卑弥呼が倭人か韓人だと思えば、「卑弥呼は“鬼神”に仕え…」と書くはずです。
(このことは、じつは、日本では初めての発表になります。)
上のことを、少々詳しく説明します。
卑弥呼の時代、「鬼道」とは「天師道」、あるいは「太平道」のことで、人民を惑わす
“妖術”と思われていました。
しかし、鬼道・天師道・太平道は、道教の前身で、難解な中国語で書かれ、非常に
精緻な宗教哲学(神学)大系になっていました。
つまり、中国語に精通した中国人でなければ、「鬼道」も「天師道」も到底習得でき
ない神学だったのです。
後年(5世紀)、北魏の太武帝(鮮卑拓跋族)は 「天師道」のあまりにも精緻な哲学
と、仰々しくも大袈裟な祈祷術に感激して「天師道」を国教化してしまう…。
これが「道教の国教化」と言われる中国歴史上の大事件であったわけです。
こうして道教神学は、鮮卑族、扶余族、倭族など、異民族国家にも浸透していく…。
卑弥呼は、道教神学の前身である鬼道を異民族(倭族・韓族)に宣教した嚆矢!で
あったのです。こういう卑弥呼像を、確実な史料をベースにして、憶測抜きに描く…。
こうでなくては本物の歴史学とは言えません。…山形史観は本物です。
匈奴・鮮卑・羯・氏・羌の五つの異民族が群雄割拠した「五胡」の時代に、道教神学
から借用した「天王」を名のる国王が続出します。
大趙天王、大秦天王、大燕天王、大涼天王、大夏天王等々、「道教神学」から借用
した「天王」が続出、まさに道教ブームです。
この「天王」は「皇帝」と同格概念です。「皇帝」の臣下になりたくなかった異民族の
国王の気概が感じられるエピソードです。
ちなみに「大燕天王」は、北魏馮太后の実家、『北燕』の馮跋(太祖文成帝)です。
ところで…、
道教神学における最高神である「天皇大帝」。この「天皇」という「最高神」の概念を
熟知していた大海人皇子は、だからこそ、自らを「天皇」と称した…。
これは7世紀のこと。
不思議なのは…、
4~5世紀の五胡十六国時代の国王達は、「天王(ティエン・ワン)」とは名乗ったが、
「天皇(ティエン・ファン)」とは自称しなかった! これは一体どうしてなのか?
この理由こそ、天皇が天皇たりえる「ツランの秘儀」に通じる最重要概念であるので、
当分は「秘儀」=秘密のままにしておきたい。
転載終わり
道教神学の最高神天皇と名乗るにはそれ相応の理由があるのだろう。今上天皇が百済の始祖の末裔を皇后に迎えたと仰った理由に繋がると思う。遣唐使の時代を見ても中国の皇帝と現天皇家は対等の付き合いをしていたのかも知れない。