エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

心の貧困=根源的信頼感の貧しさ 

2016-04-30 06:35:20 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
「原始」社会の、本物の豊かさ
  子育てが豊かであれば、その社会は「原始」社会でも豊かです。子育てが貧困であれば、近代都市社会であっても、貧困の極みと言わなくてはなりません。もちろん、現在の日...
 

 

 子どもが危険な目に合わないように、危険を排除しすぎるほど、逆に子どもは、大きな危険な目に合いがちだ、という翻訳をした当日、まことに不思議なことに、そういう子どもと、その親の面接をすることになりましたね。「せいぜい、今できることは、親としても切ないことですけれども、子どもが失敗することを見守ることでしょうね」と私が申し上げると、その母親は涙を流していました。親が「危険」を排除しすぎたために、決して小さくはない「危険」を冒さざる負えない状況に立ち至っている、という訳です。

 それにしても不思議でしょ。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.240の 下から14行目途中から。

 

 

 

 

 

同時に、私どもはバランスを取らなくちゃね。それは、薬を使ったり、喧嘩をしたりするような間違いを、人生を脱線させてしまうほどの大惨事までに、大きくするようなことをするようなことなどしない、と言うんじゃぁないんですよ。不幸なことですが、これが、私どもが現在「厳罰主義(寛容0)」政策がやっていることそのものですね。すなわち、一つでもルールを破ったら、退学させる、ということです。

 

 

 

 

 

 ルールやルールの運用は、その人の根源的信頼感と正比例します。根源的信頼感が豊かであればあるほど、ルールは、人を慰め助け、励まし、笑顔になってもらうために、その目的(立法趣旨)に従って、使われます根源的信頼感が乏しい人がルールを運用すると、人を辱め、貶め、がっかりさせ、泣かせるために、目的を無視して、細かい数合わせに拘って、使われちゃいます

 

  厳罰主義は、心の貧困=根源的信頼感の貧しさ の証明です。

 

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