エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

インターメッツォ : ≪私≫の中心にあるもの

2016-04-29 10:02:18 | 聖書の言葉から
 
まど・みちおさんの場合 日々を不思議な ”窓” から見続けた人生
  今日は、まど・みちおさん。 私は「マハトマ」とお呼びしています。文字通り、「偉大な魂」。しかも、まど・みちおさんは、「自分は『ちっぽけな存在』と肝に銘じて...
 

 

 今日は、エリクソンの言葉から(The Galilean Saying and the Sense of "I ")。

 

 

 

 

 

≪決してウソのない約束≫ということが、ことの核心になります。この≪決してウソのない約束≫こそが、≪私≫が、身も心も、イキイキ、ピチピチ、生きることの中心です。

 

 

 

 

 

 エリクソンは、昨日のマザーテレサと同様の信頼の人であったことが、この言葉からハッキリと分かります。

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小学生よりも、高校生は重症

2016-04-29 03:58:53 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
子育てには本能的な知恵がある
  「良い行い」は、姿勢や動きの正しさから生まれます。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p35の第2パラグラフ...
 

 

 小学生と、鬼ごっこや指相撲やコラージュをしていればよかった、遊びのオジサンが、この4月から、高校生とその親たちの心理面接をするようになっています。

 正直に申し上げて、小学生と高校生を比べてみて、愕然としています。

 というのも、小学生よりも、高校生の方が、遥かに病態が重たくなっている、とビンビン感じざるを得ないからなんですね。重たいケースが多すぎる。小学生の内に、キチンと心理的支援をしないまま、高校生になってしまっているから、それだけ病態が酷くなっている、ということですね。小学生の時に見ていた子が、高校生になっているわけではありませんよ。でも、小学生で抑制タイプの愛着障害≒発達トラウマ障害の子どもは、目立ちませんから、ホットカレて来ることが非常に多い。そうすると、目立たなかったことが、身体化、行動化して、高校生になって表れていますね。恐ろしいことです。

 守秘義務があるのて、具体的に書きにくいので、デフォルメして書きますと、抑制していた気持ちが、いつまでも抑制し切れるものじゃぁないので、たとえば、ヴァン・デ・コーク教授が診断基準Fの中で言っているように、境界性人格障害がすでに発症していたり、すでに退学して、新たな学校に入り直していたり、家庭内暴力にあうようになっていたり…。どれもこれも、おしなべて重たいケースが多い。

 幼稚園か、小学生の内に、キチンとセラピーしておかないと、強く思うけれど、サイコセラピストの数も質も、全く足りないと感じます。政治的な決断が必要です

 

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演劇にして表現するという「救い」

2016-04-29 03:47:42 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
心に響き、人を納得させるもの 改訂版
  仏教的に申し上げれば、ルターは不思議な縁でヴィッテンベルグに行くことになりました。 Young Man Luther 『青年ルター』p196の第2パラグラ...
 

 

 PTSDだった退役軍人3人にとっても、演じることが、新しい自己発見、につながっていたみたい。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第20章 Finding your voice : communal rhyhtms and theater「自ふんの声を見つけてね:共通のリズムと劇場」p.333の、ブランク後の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 家もない退役軍人達の苦境を演劇に仕立て上げたくて、3人は、近所に住んでいた劇作家のデェヴッド・マメットを説得して、毎週自分達のグループが、自分達が経験したことから脚本を作ってもらっていたんですよね。おまけに、マメットは、アル・パチーノ、ドナルド・サザーランド、マイケル・j・フォクスを、「戦争画」と呼ばれる晩のためにボストンに来るように誘ったんです。その時集めたお金で、私が患者さんたちと会っていた、退役軍人局の診療所が、家のない退役軍人達のためのシェルターに生まれ変わることが出来たんですね。プロの俳優たちが演じる舞台に立つこと、ベトナム戦争のいろんな記憶について話をすること、それから、自分たちの詩を読むことは、それまで3人が受けて来たどんなセラピーよりも、治療効果があることは、火を見るよりも明らかでしたね。

 

 

 

 

 

 ヴァン・デ・コーク教授が提供していた治療よりも、3人の退役軍人自らが体験したことを演劇にして、自分も演じ、詩を朗読することに、遥かに治療効果があったことを、ヴァン・デ・コーク教授自らが報告しています。自分よりも、真理が、≪超越≫していることを、ヴァン・デ・コーク教授は知っているから、できることなんですね。自分の業績で自分が偉くなったように思う、タケノコ、「無知無恥」とは、出来が違いますね。

 経験を演劇にすることに、何で治療効果があるのか?

 それは、自分の経験を単に主観的、受動的に内に秘めていることを止めて、演劇にして表現して、対照的に、能動的に、再体験する、受け止め直すことが、治療に、「救い」になり、圧倒的で、しかも、静かな悦びに至るんですね。それは、「罪(的外れ)」を主観的に、受動的に、内に秘めている時には、「罪(的外れ)」でしかないのに、それを、神様との真実な関係において、表現(告白)して、対照的に、能動的に、再体験する、受け止め直す(神様に許していただく)と、「救い」に至り、圧倒的で、しかも、静かな悦びを体験するのと、全く同じことですね。

 

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重い十字架 :発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達は、上手く出来ないことだらけ

2016-04-29 02:40:13 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
まど・みちおさんの場合 日々を不思議な ”窓” から見続けた人生
  今日は、まど・みちおさん。 私は「マハトマ」とお呼びしています。文字通り、「偉大な魂」。しかも、まど・みちおさんは、「自分は『ちっぽけな存在』と肝に銘じて...
 

 

 今晩も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の28日目。

 今晩からは、 診断基準F. 上手く出来ないことだらけ」の節に入ります。

 

 

 

 

     診断基準F. 上手く出来ないことだらけ

     発達トラウマ障害のためにできないことの領域を数えたら、かなりの出来ないことが予測されます。かなりできないことが、NCTSN(国立子どもトラウマ・ストレス・ネットワーク)の核になるデータと、CANS(非営利団体「思春期以前の子どものニーズと人間力」)のデータでは、犯罪に関わること、仕事上の困難、家族のもめ事、健康上の問題、家庭での問題行動の点で、見つかってきています。他の出版されたデータによれば、友人関係にもいろんな課題が報告されています。フォード、オコーナー、ホーク(印刷中)によれば、精神科受診が続けられない子ども達の集団では、発達トラウマ障害の診断基準Aを満たす履歴のある子ども達は、様々な問題行動や低体重に基づいてカウントした他の子ども達とは、区別されました。それが示していることは、発達トラウマ障害の診断基準Aを満たすと、行動上も健康上も、上手く出来くなる、ということです。

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達が、いかに多くの困難を抱えることになるのか、わかります、発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達は、精神疾病の総合デパートです。あらゆる精神疾病の元になります。しかし、今晩のヴァン・デ・コーク教授が指摘している診断基準Fは、問題は精神疾病だけではない、ということです。千葉大生の中学生拉致事件、秋葉原無差別殺傷事件などの犯罪、仕事を続けられない(失業の繰り返し)、学校を続けられない(退学の繰り返し)、離婚や家庭内暴力などの家庭内トラブル、喘息、アトピー、自律神経失調症、神経性胃炎などの身体表現性障害〈心身症)…。発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもは、成長過程でも、大人になってからも、上手く出来ないことだらけです。病気にならなくても、生きることがますます困難になりますよね。それでも、北欧のように、社会保障と福祉が充実している社会ならばいいでしょう。しかし、今のニッポンは、社会保障も福祉も、人間の尊厳を踏みにじるくらい貧困です。いったん発達トラウマ障害になると、いかに、発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもが重い十字架を背負わされるか分かりますでしょ。

 

 

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