#忘れられない顔
#創造的現在「発達トラウマ障害 Enpedia」 をご参照ください。 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 ,第2章第3節......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。
としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。
Childhood and Society p.105の最後から。
一番大事な性差は,遊びの場を用いる場合,結局次の着眼点になります。男の子の場合は,優れた着眼点は,高さ、落下,強い動き(インディアン、動物、自動車),移動と逮捕(警官)です。女の子の場合は,動きのないインテリアでして,開いている場合もありますし,閉じている場合もありますし,穏やかな場合もあれば,闖入者が入ってくる場合もあります。男の子は高い建物を善く見せようとしますし,女の子は入口を善く見せようとします。
これまでに明らかになったのは,こういった積み木を司る場に漲るのは,この章で議論しています「創造の息吹」のスピリットだ,ということですし,こういった積み木を司る場に漲るものは,いのちが一巡する場になれば,男女それぞれの響き具合にとても近い,と言うことです。男の場合は,「お外」に響かせ,立ち上がり,ズカズカ入って来る性質でして,素早く動き回る精子細胞も動かします。女の場合は,「お家」に響かせ,一人静かに待っている卵子に通じる入口に「入れる」ようになっています。こういったことは,やがてやってくる,男になる経験のせいで、あるいは、女になる経験のせいで,それぞれの性器が良しとすることを,いまここで強く表現することになっているんでしょうか? 私の臨床的な判断から申し上げれば(また,学生らの「演劇上演」を少し良く調べて),場を良しとする判断に対する性差が与える大きな影響は,男女が場を良しとする感覚が全く違うことによる,と私は考えるようになりましたね。それはちょうど,性差が,人間の身体を形作る青写真で一番大きな違いになるのと同じでして,男女で身体が違うからこそ,生理的な体験も社会で果たす役割も違ってくる訳です。
遊びの積み木も,共に見る様々な形を空間的に示すものとみることが出来ます。ある男の子が,外に向けて,上向きの動きを出したいと願ったのは,自分が強くて,積極的で,自由に動けて,自立して,この世の中をやっていけるんだということを証明しなくちゃという発達上の意味があるのかもしれませんね。女の子達がお家のインテリア(インテリアは,赤ちゃんの頃にお人形で遊んだ後にくるものです)を遊びで示す場合は,お家を掃除したり,子ども等を世話したりするのを楽しみにしていることに夢中になっているのが判ります。
しかし,この当たり前の解釈は,答えを出すというよりも,問いをもたらします。もし,男の子らが高い建物などを作る際に,いまの役割や将来の役割について一番最初に考えるとすれば,なぜ、男の子は一番よく使う人形が男の子の人形ではないんだろうか? 男の子らが一番好きなのが警官ですが,警官になりたいと願う男の子はめったにいないと言えますし,男の子らに警官になってほしいと思っている人もあまりいないと言えるでしょう。男の子らが積み木遊びで,スポーツ競技場を並べないのはなぜでしょうか? 強い動機から生まれた創造力をもって,スポーツ競技場が出来たのです。それは,客席などもあるサッカー場を作る積み木で見た通りです。しかし,このサッカー場は,(訳注:男の子ではなくて)女の子が作ったものでした。この女の子は,当時,肥満でおてんばで,「気取ったショートカット」をしていました。これらはみな,この女の子の場合,特別な決め手を示しています。
サッカー場を作った女の子は,肥満でおてんばで,「気取ったショートカット」だったことから,さーかー場を作った,とエリクソンは見ているみたいですね。そして、このような積み木を作ったことは,この女の子の特別な決め手だったというわけです。