エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#聖書の言葉 #単独者の恵み #皮膚感覚

2019-01-02 06:51:30 | 聖書の言葉から

 

 

 

マハトマ・まど・みちおさんの言葉から



皮膚感覚は


じつは


人間関係では


特に重要なこと

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#生きている実感を取り戻す #素晴らしい天啓

2019-01-02 06:43:38 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#答え は #本人が応えるもの #ヨガの効用
 聖書の言葉: 佐々木正美先生から学ぶ 「響き合う心」    悪魔は、厚かましくも、顔見せがお好き   ヒューマンサービスの担い手が堕落するのは、この時  男と......
 

 

 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
 第19章。「応用神経科学:恐怖に急き立てられた心を脳にもう一回繋ぎ直す/コンピュータ関係工学」から。p.320,第3パラグラフ,3行目途中から。その前もご一緒に。



 セバーンは思い出を語ります,「リサが初めて私に会いに来たとき,秋だったわね。リサはぼんやりした眼で歩き回ってて,どこに行くにもカボチャを抱えてました。心ここにあらず,って感じ,取り付く島なしだと思いました」と。お話し療法は,リサには,無理でした。セバーンが,リサに気が重たくなるようなことを訊いても,リサは落ち込むか,パニックになりました。リサの話では,「子どものころにどんなことがあったのか,話そうとする度に,体が言うことを効かなくなるの。猫たちと一緒に起きても,情けなくて,食事ものどが通らないし,横になっても眠れません。」ということでしたね。
    リサは,いつどこにいてもありました。「私はいつでも怖がりでした。触られるのが,大嫌いでしたしね。いつもビクビクしていて,心配性でした。周りに人がいたら,目を瞑ることも出来なかったでしょう。目を開けた瞬間に,誰かに蹴飛ばされるかも,と思ってしまったんです。ですから,皆さん,不安になります。信頼出来ない人が部屋にいたら,皆さん、身体も気も休まれないでしょう。腕に触られたら,首を絞められた感じになります。」リサは,逃げ出すことが出来ないショックの中で,身動きができなかったんです。
     リサは,幼い頃に解離したことを思い出しましたけれど,思春期の後は,解離がもっと酷くなりました。「いろんな猫を追いかけ回すようになり,学校の人達はいろんな名前を私に付けるようになりました。決まった男友達が居なかったのは,解離している時には,別の男友達とデートして,しかも,それを覚えていなかったからでした。私は,眼を開けていても,目の前が真っ暗になって,綺麗で奇妙な様々な場面が見えたんです」。重たいトラウマを負わされた多くの人達と同様に,リサも鏡の中の自分が誰かも分かりませんでした。リサほど,生きている実感がズタズタにされたら,どうなるかを,ハッキリ言い当てた人は,今迄会った試しがありません。
リサが生きている実感を実感させてくれる人が誰もいませんでした。「私が16の時,重度の心の病で苦しんでいる青年達のためのグループホームに暮らしていた時,缶で深く自傷してしまいました。私は救急救命センターに運ばれましたが,何にも覚えていませんが。救急救命センターの医者は,解離性人格障害の人がいるのいうことは,全く認めませんでした。...精神衛生部門で働いていた人は,解離性人格障害の人なんて居ない,とじ ている人が多かったんです。『あなたは解離性人格障害ではないし,そもそも,解離性人格障害なんて人はいないんだよ』いう訳です」。

 退院して最初にリサがしたことは,薬を止めたことでしたね。「薬なんで誰にも効かないんだから。でもね,人によってはいい場合もあるわ。薬が必要な人もいるけど,私には合わなかったんだから。薬を止めて,ニューロフィードバックをする方が,はるかにマシよ」とリサは認めましたね。

 セバーンがリサをニューロフィードバックに招いた時,セバーンは何にも期待していませんでしたね。リサは,セバーンがニューロフィードバックをした患者で,解離がある患者の最初になりました。2人は週に2度面接して,右側頭葉の脳波が一定になってきまた。右側頭葉は,脳が恐怖を感じる中枢です。数週間後,リサは人が周りにいても自分はピリピリしてないなぁ,地下の選択部屋がもう怖くないなぁ,と気付いたんです。それで,大きな突破口になりましたね。リサは解離しなくなったんです。「私はいつでも頭の中で低い声で鼻歌を歌っていたんです。統合失調症になるのが怖かったんです。半年間ニューロフィードバックを受けてみて,頭の中の雑音が聞こえなくなりました。まとまったんだと思います。全てのことが一体になったんです」。

 リサは,自分が生きている実感が続くようになるにつれて,体験してきた様々なことを話せるようになりました。「ようやく自分からはなすことができるようになれました,子どもの頃に体験した様々なことも。初めて,セラピーを『する』ことができ始めました。それまでは,適当な距離を自分と保つことも出来まなければ,自分を落ち着かせることもできませんでした。みなさんも経験の渦中にいたら,自分の話しを話すなんで無理でしょ。私はセラピストと関わるために皆さんが心開くようにして,自分に触れて心開くようには,自分に触れることができなかったんです」とリサは言いました。これは,実に素晴らしい天啓でしたね。

 

 

 生きている実感を取り戻すことこそ,発達トラウマ障害の人の限らず,実に素晴らしい天啓です。

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#目覚めていなさい #キリストの教え #内的促しの中にある恵み

2019-01-02 05:41:54 | エリクソンの発達臨床心理

 
#エリクソンの預言 #豊かな未来 = #豊かな母子関係 + #母子を守る父親 
 インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 礼拝 と パンデミック    依存症と「裏取引」・「形だけのオザナリ」・「看板だけ」   子どもの人生を道具にしてい......
 

 

 発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70~80ケースの発達トラウマ障害(DTD)セラピーをしてきて,かなりのケースが善くなっていますよ。あなたも是非位一度連絡してください。料金は,母子家庭などは,割り引きます。



 Identity and the life cycle  『聖書の神様と一心同体になること と 聖書の神様の命が一巡すること』 p.87。 新しい節の第2パラグラフ,3行目途中から,です。


 いつも出来た,と言えるまで頑張ること 対 自分も人も貶めること

 

 

 最初の舞台は,人格は,「私は与えられた存在である」と確信したその確信を出来事にすることですし,第2の舞台は,「私は歓んでなろうとする存在である」と確信したことを出来事にすることですし,第3の舞台は,「私は,歓んでなろうとする存在をイメージしている存在である」と確信したその確信を出来事にすることだ,と人は言います。私どもは,第4の舞台,すなわち,「私は学んだ者である」と確信したその確信を出来事にするところに,歩みを進めなくてはなりません。第4の舞台の子どもが,ここで教えてもらいたいことは,大事なことを大切にする関わり方ですし,他人を大切にする関わり方です。

 このモノや人を大切にする関わり合いも,また,創造の初めから,始まっています。特に,聖書の神様の一人子,キリストの中から,モノや人を大切にする関わり合いは,始まっています。子どもたちは,物事がどのように成就するのか見てみたいし,物事を「出来た」と言えるようにしたいと願うものです。もしも,子ども達が恵みに与れば,裏庭や道で,気配りの利く人や意気盛んなたくさんの子ども達に囲まれますから,「試したらいい」と言ってくれる内的促しの中で,やれることや自分から関わる関わりが育ってくるにつれて,目覚めて試すことや,日常生活を礼拝にして聖書の神様がまします場を仲間と分かち合うこと,ができるようになります。

 

 

 エリクソンのライフサイクルの心理学は,日常生活を礼拝にする心理学です。

 ですから,徹頭徹尾,聖書の神様の心理学なんですね。今日翻訳したところも,聖書の教えそのものですもんね。

 内的促しは,私の実感にピッタリな,森有正の言葉ですが,本屋さんで売っている聖書では,最新の新共同訳はまだ見ていませんが,「命の泉」です。箴言にあります。

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#聖書の神様の仕業 #日常生活の礼拝の仕業 #遊びこそ恵みの宝物

2019-01-02 04:18:11 | エリクソンの発達臨床心理
 
#エリクソンの命懸けの叡智 #ライフサイクル とは #神様の命の回転 #100万ピースのジクソーパズルの最後の1枚発見 #現象と心の内奥は母子関係
 アンソニーの発達トラウマ障害(DTD)は、母親譲り    「もうダメだぁ」 心が挫かれる体験   ヒューマンサービスの担い手が堕落するのは、この時  男と女の......
 

 ロバートは先生にも恵まれていたので、本当に良かったと思います。「自分から物事をはじめても良いという感じ(自発性)」が、「自分は悪い子という感じ」に勝って、のびのびとした小学生になっていったと想像します。子どもの不安をハッキリ言葉にすることがいかに大きな恵みか分かるだろうと思います。もちろん、ロバートにとっても大きな恵みであったことは間違いありません。前にも申し上げましたように、ヌミノースと言っていいほどの体験を、ロバートはその時に必ずしているはずだからです。そのヌミノースのおかげもあって、「自分から物事を始めてもいいんだ」と子どもは感じるのです。

 今日は、この先生のように子どもの不安をハッキリ言葉にすることになったことを、エリクソンは詳しく論じます。Toys and reasons p.37の第2パラグラフと第3パラグラフ。

 

 

 

 

 しかし、もしその先生の言葉が、今回のように意義深いやり取りのある言葉になったとしたら、この先生の言葉は、個人的な(不安をハッキリ言葉にする)表現としてそうであるばかりではなくて、あらゆる世界に対する見方に対して重要な一定の変化をもたらす一つのお告げとしても、意義深いやり取りのある言葉となりました。その変化とは、その先生の生涯のおいても、この子の生涯においても、一方では、人権運動によってもたらされてきた変化ですし、他方では、近代教育によってもたらされてきた変化でもあります。子どもの生きている実感を引き出すことを日常生活の中で礼拝にするものと呼ぶものについては、後ほど論じることにします。互いに相手の下に立つ 聖書の神様がまします場だけが、発達を可能にし,発達する勇気を子どもに与えることができますし,2人が互いに豊かな心で相手の下に立ち,大事にし合うことを約束します。

 ですから、遊びを読み解くと,内側に宇宙を作りだそうとする子どもの心と,仲間達の常に変わり行く世の中に対する見方を,発見的に繋ぎ合わせるものだ,と分かりますね。だからこそ,遊びこそは,ひとりびとりの子どもが,自分自身の時間と空間を創造するように導くものだ,として私は活用していますし,遊びこそ,世の中に対する,既存と,あるいは,進歩しつつある見方の時間と空間といつもやり取りする命があるものだ,と私は歓んで受け容れようとします。

 

 

 積み木に、作った人の心の世界とその時間と空間が映し出されているだけではなく、作った子どもが属している社会の文化にある時間と空間も映し出されている。これはほとんど日常的な意識ではとらえられないものではないでしょうか?通常は、「単なるお遊び」と見なされて、あまり顧みられません。エリクソンはそこに、子どもの心の時空を見て取るばかりではなく、その子の社会の文化における時間と空間までも見る、なんと素晴らしく奥行きのあるものでしょうか?

  今回ハッキリ出てきた、学校の日常を礼拝にする礼拝、すわなち、学校が子どもの礼拝を日常生活の中で行うことは、これまた、とてつもなく大事ですね。このロバートのその先生のやり取りの中に、その一端が現れていることを、指摘しておきます。

 聖書の神様がまします場で,互いに大切にしあう日常生活の礼拝だけが,私が生きている実感を育て合い,それぞれが発達することを可能にします。

 遊びこそ,聖書の神様が,全ての子どもに与え給う,恵みの宝物だとわかりますね。

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