東北地方のドライブ旅行から帰って既に1月以上も経ってしまった。これほど間隔が空いたのは生来の筆不精に
加えて、ここ9日間ほど信州に出かけて家を留守にしていたためである。この間に福島・三春町で満開だった桜
前線ははや角館を通過しようやく稚内に達しているらしい。
西日本は昨日梅雨に入った。やはり日本は広い。
角館では残念ながら桜は蕾の状態で、来年の再訪を誓って角館を後にする。
さらに北の弘前城の桜も見たかったのだが、角館よりさらに北の弘前は
当然桜の開花はまだのはずなので、北上を断念して日本海側を戻ることにした。
次の目的地は以前から一度行ってみたかった山形・羽黒山。
羽黒山には国宝の五重塔がある。国内の屋外にある国宝五重塔が9基あり
そのうちこの羽黒山五重塔だけは写真でしかお目にかかったことがない。
それと、都合のいいことに羽黒山への途中で、鳥海山、象潟(きさかた)を
通る。松尾芭蕉が奥の細道で訪れたところであり、ここも一度行ってみたい
ところであった。
<角館から象潟へ>
角館を出て、秋田自動車道の協和ICから高速道に入る。一旦秋田市方向へ
北上して次の河辺JCTで日本海東北自動車道へ入る。日本海東北自動車道は
通行車両が少なくほとんど借り切り状態である。全通していないせいか秋田
空港(正確には岩城IC)から金浦まで約60kmほどが無料らしい。
金浦で一般道路に出るとすぐに象潟となる。
象潟は芭蕉が「奥の細道」で訪れた当時は海で、九十九島とよばれる多くの
小島が浮かんでいて松島と並ぶ景勝地だったという。
芭蕉が訪れたのは1689年。それから120年ほど後の1804年に起こ
った象潟地震により2mほど隆起して今は陸地になっている。
地理好きな身には非常に興味が惹かれる場所である。
国道沿いに道の駅「象潟ねむの丘」という6階建ての建物があり、最上階が
無料の展望台になっていてエレベーターで昇ることができる。
展望台から象潟を望むとかつて多島海だったという地形が良く判る。
かつての小島は松が残り、海だったところは今は水田になっている。
遠くに鳥海山が見えるが残念ながら頂上は雲の中であった。山容の大きな
ゆったりした山である。
左側(北)方面
説明板に芭蕉との謂れが明記されていた。
飽きずに眺めていたかったが家人が先を進むよう急かせる。
<羽黒山>
吹浦というところで国道7号線を別れ、国道345号線に入る。
謂れはわからないがここは飛鳥バイパスというらしい。
しばらくして最上川沿いを走る。ナビを見ていると川向こうに
余目という地名が目につく。確か10年くらい前、JR特急が橋を通過した
直後に突風に煽られて脱線し、線路脇の畜舎に突っ込んだ大きな事故
があったところである。この地帯は季節風が激しいところらしく、国道
沿いの各所に暴風壁が設置されていた。折りたたみ式の所もあり収納作業
やっていた。また、遠く海岸沿いに延々と松林の防風林が続いている。
事故現場も見てみたかったが先を急ぐのでパスすることにする。
五月雨を 集めて速し 最上川
「奥の細道」で余りに有名な最上川も川幅は意外と狭い。
最上川にかかる橋を渡り、狩川というところで出羽三山神社方面に
向かう。田舎道なので迷いやすいところだが、ナビがあるので心強い。
ほどなくして出羽三山神社に到着。
出羽三山神社
石段を下り、さらに踏み固められた雪道を進むと杉林の中に五重塔が現れた。
高さ29.0m、東北地方で最古の塔という。
杉木立の中に凛として建つ姿がまた美しい。
国宝の五重塔は屋外のもの9基のほか屋内の小塔が2基、合計11塔あり、
そのうちまだ見ていないのは奈良・海龍王寺の小塔残すのみとなった。
参道の大鳥居
<鶴岡>
羽黒山から高速道へ戻る途中で鶴岡市を通過。鶴岡といえば時代小説で
有名な藤沢周平の出身地。海坂藩という架空の藩がよく出てくるが、鶴岡城
がモデルなんだろうと思いながら車を走らせていると、偶然、今は鶴岡公園
となっている鶴岡城跡そばを通り、丁度鶴岡桜祭りの開催中であった。
先を急ぐがUターンして立ち寄ってみた。
正直なところ桜は3、4分咲きというところだったが、それでも盛大な人出で
あった。短い春が待ちきれないのだろう。
桜前線は山形まで来ていた。
帰りは、新潟から関越道に入り、川崎、横浜の次男、三男のところを経て、更に名古屋の長男のところにも
寄ってきた。その後、京都、岡山と中継しながら無事に帰りついた。
総走行距離は3,300km。旅の途中でエンジンオイルを交換する予定だったがとうとう変えずじまいとなり交換
なしで8,000kmも走ってしまった。
この旅で感じたことは、当たり前のことではあるが”日本中、どこを走っても道は同じ”ということ。それと
改めて振り返ってみると、この旅では18都府県を通過したことになるが、不思議なことに府や県境を一気に
走り抜ける高速道でさえ県境を越えるとその県のナンバープレートの車が急に多くなる。人の移動は意外と狭
いことに気付かされる。
また、ガソリン単価が県によって大きく差があった。原油先物価格変動の影響が大きいのだろう。
車で旅行すると地元の人たちと話しをする機会が少ないものの、道の駅での買い物などのちょっとした会話で
北国の人たちの純朴さが伝わってきて心がほのぼのとする。
この3300kmを一人で運転したのも凄いと思うが、助手席に乗って大人し<(?)付いてきた家人の方も凄い。/font>
加えて、ここ9日間ほど信州に出かけて家を留守にしていたためである。この間に福島・三春町で満開だった桜
前線ははや角館を通過しようやく稚内に達しているらしい。
西日本は昨日梅雨に入った。やはり日本は広い。
角館では残念ながら桜は蕾の状態で、来年の再訪を誓って角館を後にする。
さらに北の弘前城の桜も見たかったのだが、角館よりさらに北の弘前は
当然桜の開花はまだのはずなので、北上を断念して日本海側を戻ることにした。
次の目的地は以前から一度行ってみたかった山形・羽黒山。
羽黒山には国宝の五重塔がある。国内の屋外にある国宝五重塔が9基あり
そのうちこの羽黒山五重塔だけは写真でしかお目にかかったことがない。
それと、都合のいいことに羽黒山への途中で、鳥海山、象潟(きさかた)を
通る。松尾芭蕉が奥の細道で訪れたところであり、ここも一度行ってみたい
ところであった。
<角館から象潟へ>
角館を出て、秋田自動車道の協和ICから高速道に入る。一旦秋田市方向へ
北上して次の河辺JCTで日本海東北自動車道へ入る。日本海東北自動車道は
通行車両が少なくほとんど借り切り状態である。全通していないせいか秋田
空港(正確には岩城IC)から金浦まで約60kmほどが無料らしい。
金浦で一般道路に出るとすぐに象潟となる。
象潟は芭蕉が「奥の細道」で訪れた当時は海で、九十九島とよばれる多くの
小島が浮かんでいて松島と並ぶ景勝地だったという。
芭蕉が訪れたのは1689年。それから120年ほど後の1804年に起こ
った象潟地震により2mほど隆起して今は陸地になっている。
地理好きな身には非常に興味が惹かれる場所である。
国道沿いに道の駅「象潟ねむの丘」という6階建ての建物があり、最上階が
無料の展望台になっていてエレベーターで昇ることができる。
展望台から象潟を望むとかつて多島海だったという地形が良く判る。
かつての小島は松が残り、海だったところは今は水田になっている。
遠くに鳥海山が見えるが残念ながら頂上は雲の中であった。山容の大きな
ゆったりした山である。
左側(北)方面
説明板に芭蕉との謂れが明記されていた。
飽きずに眺めていたかったが家人が先を進むよう急かせる。
<羽黒山>
吹浦というところで国道7号線を別れ、国道345号線に入る。
謂れはわからないがここは飛鳥バイパスというらしい。
しばらくして最上川沿いを走る。ナビを見ていると川向こうに
余目という地名が目につく。確か10年くらい前、JR特急が橋を通過した
直後に突風に煽られて脱線し、線路脇の畜舎に突っ込んだ大きな事故
があったところである。この地帯は季節風が激しいところらしく、国道
沿いの各所に暴風壁が設置されていた。折りたたみ式の所もあり収納作業
やっていた。また、遠く海岸沿いに延々と松林の防風林が続いている。
事故現場も見てみたかったが先を急ぐのでパスすることにする。
五月雨を 集めて速し 最上川
「奥の細道」で余りに有名な最上川も川幅は意外と狭い。
最上川にかかる橋を渡り、狩川というところで出羽三山神社方面に
向かう。田舎道なので迷いやすいところだが、ナビがあるので心強い。
ほどなくして出羽三山神社に到着。
出羽三山神社
石段を下り、さらに踏み固められた雪道を進むと杉林の中に五重塔が現れた。
高さ29.0m、東北地方で最古の塔という。
杉木立の中に凛として建つ姿がまた美しい。
国宝の五重塔は屋外のもの9基のほか屋内の小塔が2基、合計11塔あり、
そのうちまだ見ていないのは奈良・海龍王寺の小塔残すのみとなった。
参道の大鳥居
<鶴岡>
羽黒山から高速道へ戻る途中で鶴岡市を通過。鶴岡といえば時代小説で
有名な藤沢周平の出身地。海坂藩という架空の藩がよく出てくるが、鶴岡城
がモデルなんだろうと思いながら車を走らせていると、偶然、今は鶴岡公園
となっている鶴岡城跡そばを通り、丁度鶴岡桜祭りの開催中であった。
先を急ぐがUターンして立ち寄ってみた。
正直なところ桜は3、4分咲きというところだったが、それでも盛大な人出で
あった。短い春が待ちきれないのだろう。
桜前線は山形まで来ていた。
帰りは、新潟から関越道に入り、川崎、横浜の次男、三男のところを経て、更に名古屋の長男のところにも
寄ってきた。その後、京都、岡山と中継しながら無事に帰りついた。
総走行距離は3,300km。旅の途中でエンジンオイルを交換する予定だったがとうとう変えずじまいとなり交換
なしで8,000kmも走ってしまった。
この旅で感じたことは、当たり前のことではあるが”日本中、どこを走っても道は同じ”ということ。それと
改めて振り返ってみると、この旅では18都府県を通過したことになるが、不思議なことに府や県境を一気に
走り抜ける高速道でさえ県境を越えるとその県のナンバープレートの車が急に多くなる。人の移動は意外と狭
いことに気付かされる。
また、ガソリン単価が県によって大きく差があった。原油先物価格変動の影響が大きいのだろう。
車で旅行すると地元の人たちと話しをする機会が少ないものの、道の駅での買い物などのちょっとした会話で
北国の人たちの純朴さが伝わってきて心がほのぼのとする。
この3300kmを一人で運転したのも凄いと思うが、助手席に乗って大人し<(?)付いてきた家人の方も凄い。/font>
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