このブログをご覧の皆様、新年あけましておめでとうございます。
新年が輝かしい歳でありますように、ささやかながらお祈り申し上げます。
さて、2007年、平成十九年度の「筒井天王祭」は6月1,2,3日(6月第一金土日)
1日は夜のみ山車曳き(前夜祭)土曜日、昼は湯取車側自町内神皇車と奉曳き
夜は提灯をつけての山車曳き(前日)日曜日は、午前中徳川園?午後は神皇車側町内、奉曳き、夜はクライマックス何が飛び出すかわからない(千秋楽)
6月2日は旧暦に直しますと4月17日、三英傑の1人徳川家康公のご命日にあたり、乱世に終止符を打った御徳を偲ぶ「東照宮祭」となります。(尾張東照宮祭発行の暦を観て書いていますから、合っているでしょう)東照宮祭には数多の山車や警固、仮装行列が揃い、名古屋で名高き「橋弁慶車」「二福神車」などが曳かれました。東照宮に曳かれた山車は戦災で焼失。ただ桑名町で曳かれていた「湯取神子車」の古車は、江戸天保年間、東区情妙寺周辺の住人に譲渡され、筒井町「湯取神子車」は戦災を免れ、現在も現役で曳かれています。
東照宮祭(4月17日)を新暦に直すと6月の1か2日になり、春祭の心象深い東照宮祭ですが、今の表現ならば初夏の祭のおもむきでしょう。昔曳かれていた日と同じく今年は自町内を曳ける事になるとは、まこと感慨深いものがあります。
処変わり、姿、形、そして時代が変わっても、山車が動く姿に人は感動したのでしょう。その気持ちは今も昔も変わらないはず。
江戸期東照宮祭に曳かれていた頃、山車が祭礼に出せた感動、天保、情妙寺前の人々が山車を買い、自分達の手で山車を曳く喜び、山車は戦災に合わずとも、大打撃をうけた町内をにぎわす為、無私の境地で山車奉曳き、山車保存に関わった先達の苦労、そして、天王祭山車祭を継続する労苦をいとわない若い衆たちの思い、それらは山車を蔵から出し、町内を曳く事により時空を超えて想いを共有する、と考えています。
創業が大変か、存続が大変か?かつて中国の名皇帝、唐の太宗皇帝が家臣に問いかけました。答えは「どちらも大変」と出ました。このことは「貞観政要」なる書物に書かれています。(予断ながら太宗皇帝は書聖 王義之の大ファンでした また貞観政要は家康が愛読したと云われています)
山車を造るのも大変、曳くのも手探りで大変、0から1にするには、何年も及ぶ苦労がある。しかしまた、山車祭を時代の並みに供えつつ、10年先、20年…50年…100年と山車祭百年の大計をたて、存続させていくのも、大変な苦労があります。いや、山車祭を1年2年と数年執り行うだけでも、大変な辛苦があります。
山車関係者にはいつも山車祭が無くなる不安感との戦いともいえます。
私の肩にはあまりにも重い荷でありますが、それらを背負い、果てしなき道を行く者達がいます。
どうか山車祭を観る際には彩られた山車(表)と共に、苦難の道を行く者達(
裏)にも思いをめぐらせてみてください。
山車が行く姿に感動するのは江戸なら尾張当主(殿様)ですが、尾張殿が受けた感動は、あなたも時空を超えて想いを共有する事が出来るでしょう。
今期も末永く山車たちを見守りください、よろしくお願い致します。
P.S 6月2日は尾張の英雄「織田信長」が本能寺に倒れた日です。(旧暦6月2日)新暦に直すと、1ヶ月以上ずれますが、6月2日の祭礼について書いたのはこちら
信長が愛した天王祭
新年が輝かしい歳でありますように、ささやかながらお祈り申し上げます。
さて、2007年、平成十九年度の「筒井天王祭」は6月1,2,3日(6月第一金土日)
1日は夜のみ山車曳き(前夜祭)土曜日、昼は湯取車側自町内神皇車と奉曳き
夜は提灯をつけての山車曳き(前日)日曜日は、午前中徳川園?午後は神皇車側町内、奉曳き、夜はクライマックス何が飛び出すかわからない(千秋楽)
6月2日は旧暦に直しますと4月17日、三英傑の1人徳川家康公のご命日にあたり、乱世に終止符を打った御徳を偲ぶ「東照宮祭」となります。(尾張東照宮祭発行の暦を観て書いていますから、合っているでしょう)東照宮祭には数多の山車や警固、仮装行列が揃い、名古屋で名高き「橋弁慶車」「二福神車」などが曳かれました。東照宮に曳かれた山車は戦災で焼失。ただ桑名町で曳かれていた「湯取神子車」の古車は、江戸天保年間、東区情妙寺周辺の住人に譲渡され、筒井町「湯取神子車」は戦災を免れ、現在も現役で曳かれています。
東照宮祭(4月17日)を新暦に直すと6月の1か2日になり、春祭の心象深い東照宮祭ですが、今の表現ならば初夏の祭のおもむきでしょう。昔曳かれていた日と同じく今年は自町内を曳ける事になるとは、まこと感慨深いものがあります。
処変わり、姿、形、そして時代が変わっても、山車が動く姿に人は感動したのでしょう。その気持ちは今も昔も変わらないはず。
江戸期東照宮祭に曳かれていた頃、山車が祭礼に出せた感動、天保、情妙寺前の人々が山車を買い、自分達の手で山車を曳く喜び、山車は戦災に合わずとも、大打撃をうけた町内をにぎわす為、無私の境地で山車奉曳き、山車保存に関わった先達の苦労、そして、天王祭山車祭を継続する労苦をいとわない若い衆たちの思い、それらは山車を蔵から出し、町内を曳く事により時空を超えて想いを共有する、と考えています。
創業が大変か、存続が大変か?かつて中国の名皇帝、唐の太宗皇帝が家臣に問いかけました。答えは「どちらも大変」と出ました。このことは「貞観政要」なる書物に書かれています。(予断ながら太宗皇帝は書聖 王義之の大ファンでした また貞観政要は家康が愛読したと云われています)
山車を造るのも大変、曳くのも手探りで大変、0から1にするには、何年も及ぶ苦労がある。しかしまた、山車祭を時代の並みに供えつつ、10年先、20年…50年…100年と山車祭百年の大計をたて、存続させていくのも、大変な苦労があります。いや、山車祭を1年2年と数年執り行うだけでも、大変な辛苦があります。
山車関係者にはいつも山車祭が無くなる不安感との戦いともいえます。
私の肩にはあまりにも重い荷でありますが、それらを背負い、果てしなき道を行く者達がいます。
どうか山車祭を観る際には彩られた山車(表)と共に、苦難の道を行く者達(
裏)にも思いをめぐらせてみてください。
山車が行く姿に感動するのは江戸なら尾張当主(殿様)ですが、尾張殿が受けた感動は、あなたも時空を超えて想いを共有する事が出来るでしょう。
今期も末永く山車たちを見守りください、よろしくお願い致します。
P.S 6月2日は尾張の英雄「織田信長」が本能寺に倒れた日です。(旧暦6月2日)新暦に直すと、1ヶ月以上ずれますが、6月2日の祭礼について書いたのはこちら
信長が愛した天王祭
竜虎なんたらかたらのことわざどおり、今年のセ・リーグも竜虎を軸にした展開になるとは思いますが、お互い相手に敬意を持っていい戦いにしたいですね。
今年もよろしくお願いいたします。
一応このブログ「歴史探索」系ブログでプロ野球(きょうろぐ)はサブの扱いなのですが、現在、歴史探索記事数、69 プロ野球77で野球の方が多くなりました。きょうろぐで面白いトラックバック企画に乗っかってこのようになったのですね。
話が前後しますが、2006年の阪神を振り返る企画で、多くの票を得た8月31日竜対虎の首位決戦、序盤に竜が先制し、エース川上が投げるも虎が総力戦で逆転勝ち。岡田監督、腹を括った時は「絶対負けれない試合」をものにするし、チームもそれだけの力がある。短期決戦、今期のプレーオフ虎は期待持てますよ。
しばらくは竜と虎がセリーグを引っ張るでしょう。ブロガーも正々堂々、気分よく記事書けます。それに虎相手ではナゼか悔しいと思うより、あれだけうてる手はうった、それで虎に力負けしたのだからしょうがない、虎を誉めるしかないよ。と思えるのです。
今期は共に首位決戦をしましょう。そして応援しましょう。
今年もよろしくお願い致します。