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ほっとかれママ ☆ Ready, steady, smile !

仕事人間の主人にも 大事に育てた息子たちにもほっとかれ。。。それでもめげない元気ママがある日突然、白血病に。

93歳母 初めて戦争体験を語る

2025-08-14 | 家族

8月15日は80年目の終戦記念日

戦争体験者の生の声を聞くには

もう「最後の節目の年」でしょう💧

 

中3の孫娘Coちゃんの夏休みの宿題も

「戦争体験者から話を聞く」というもの 📖✏️

幸いにも私の母が健在なので

一緒に話を聞きに行きました (パパ、ママも一緒に)

 

母も何をどう話したらいいのか

うまく伝わるか自信がなかったらしく

事前に、記憶を便箋8枚にまとめていて

びっくりしました💦

 

[戦争が始まる]

誤字、旧字があるので読みにくいと思い

私が1項目ずつ読み上げ

わからないところは質問するということにしました

 

戦争が始まった1941年

母は小学3年生、まだ9歳ですので

子供ながらの視点です

 

学校には天皇陛下の写真が飾られていて

「先生の命令は天皇陛下の命令と思え」という

言葉が多くなった 

 

[千人針とは]

私もどうやって作るのか知りませんでした

習字筆の毛を抜いた竹筒の輪に墨をつけ

手拭いにいくつも押し

輪の中心に赤い糸で瘤を作る

1人ひとつだけど

寅年の人は自分の歳の数だけ作ることができたので

(集める子供からすれば)

寅年の人に当たるとうれしかった

出征兵士は弾が当たらないように祈願して

腹巻きにした 

こんな感じと見本まで作ってくれました

 

項目はたくさんあり

学校生活、給食、靴の配給、肝油の配給、

服装、生理、千人針、召集令状(赤紙)、

空襲警報、防空壕、卒業式、食料難、

終戦、終戦後の生活など

 

[終戦]

天皇陛下のお言葉があると聞いて

近所の家に集まってラジオを聞いた

戦争が終わってほっとした気持ちと

残念に思えた気持ちはあったが

大人たちがなぜ泣いているのか

わからなかった 

 

母は小学校の高学年がまるまる戦争だったので

まともに勉強ができなかったこと

終戦の年が卒業だったので

卒業証書すらなかったことは

本当に残念で、気の毒に思います

 

食べる物も着る物もない子供時代

食料難は戦後ますますひどくなったそうです

父親は病で亡くなったので

3人姉弟の長女として

食料を手に入れるため、遠くの農家まで出かけたり

母親は着物と交換していたとも書いてあります

 

焼夷弾の降る話・・・🔥 🔥 🔥

おみくじの筒の形の焼夷弾

焼夷弾の時限装置と知らず

遊んでいて被害にあった近所の子の話もありました

                      ・・・・・

 

母の戦時中の体験は私も初めて聞きました

80年の間、母の胸にしまってあった暗い記憶を

私はもちろん

息子夫婦と4世代下のCoちゃんも共有できたことは

何よりもかけがいのない機会となりました⭐️

 

辛い過去を話したくない人たちも

最近になって

語り部として証言されていますね

時間はもう、限られていますから・・・

 

戦争は絶対ダメ!

 

最後に母は強く言いました

 

辛いこと思い出させてごめんね

一生懸命、書いてくれてありがとう💕


ピンクの部分がハートに見える

ベランダのサフィニア「ももいろハート」💕

 

未来が

平和でありますように💕

 

はてなブログに引っ越しました

 

 

 






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