移植についての思いは
毎年9月11日に綴ってきました。
ただ具体的なことは書いていません。
なぜならその辛さは人それぞれ違うし
どんな言葉を並べても伝わらないと思うからです。
言えることはただひとつ。
自分ひとりでは
決して乗り越えられなかったということです。
夫は仕事帰りに食事も取らずに
毎日病室に寄ってくれました。
それまで、ず〜〜〜〜〜っと
ほっとかれてたのに
皆勤賞でしたね (笑)

夫はどこまでも「ノー天気な人」です。
私の病気に関しても
どこまで理解していたかわかりません。
「気の利かない人」です。
一度だって「大丈夫?」などと
優しい言葉を掛けてくれたこともありません。
病気になるとその辛さをわかって欲しいのに
一番身近な夫がわかってくれない。
その「鈍さ」に苛立ちをぶつけ
険悪になったことも数知れません。
ところがその「鈍さ」が逆に私の心配や不安を緩和して
救われたのかなと思うことも多々ありました。
夫には反省と感謝の気持ちでいっぱいです

10年経った今でも夫は仕事第一。
今思うとあの入院していた1年間が
一番私に寄り添ってくれた貴重な時間だったと思います。
毎年9月11日に綴ってきました。
ただ具体的なことは書いていません。
なぜならその辛さは人それぞれ違うし
どんな言葉を並べても伝わらないと思うからです。
言えることはただひとつ。
自分ひとりでは
決して乗り越えられなかったということです。
夫は仕事帰りに食事も取らずに
毎日病室に寄ってくれました。
それまで、ず〜〜〜〜〜っと
ほっとかれてたのに

皆勤賞でしたね (笑)



夫はどこまでも「ノー天気な人」です。
私の病気に関しても
どこまで理解していたかわかりません。
「気の利かない人」です。
一度だって「大丈夫?」などと
優しい言葉を掛けてくれたこともありません。
病気になるとその辛さをわかって欲しいのに
一番身近な夫がわかってくれない。
その「鈍さ」に苛立ちをぶつけ
険悪になったことも数知れません。
ところがその「鈍さ」が逆に私の心配や不安を緩和して
救われたのかなと思うことも多々ありました。
夫には反省と感謝の気持ちでいっぱいです




10年経った今でも夫は仕事第一。
今思うとあの入院していた1年間が
一番私に寄り添ってくれた貴重な時間だったと思います。