太陽系9番目となる未知の惑星が海王星の外側に存在する可能性が高いことを、神戸大のパトリック・S・リカフィカ研究員と向井正教授が、詳細な理論計算で世界で初めて突き止めた。
そこでみんなは天文学の歴史を知っているだろうか?今夜は私の好きな天文史を話そう。 1600年代に初めてコペルニクスが天動説を唱えた。それまでは地動説だったのを。みんなはこの地動説って理解しているのだろうか?地球は動かないで地球の周りを太陽や惑星が回っているのだという理論だが、ギリシャやローマ時代から1600年になるまで、ずっと地球の外側にまん丸く、水、金、太陽、火、木、土、天王星、海王星、冥王星と並んでいるんだと考えられていただね。 それを天体望遠鏡をも使わないで理論的にコペルニクスが天動説を唱えるのだから誰も信じないよね。彼は嘲笑の的になるのが嫌だったから‘天体の回転について’という本を亡くなる時に出版するように命令したらしい。彼がその本を目にしたのは死ぬそのときだったと言う。
ちょうどその頃に生まれてきた赤ん坊がケプラーだった。有名な惑星運動ケプラーの法則の彼だ。惑星の並び方は楕円系であって、しかも惑星は太陽に近づくときのほうが離れてゆくときよりも速く進む事を発見する。太陽からの平均距離が短い惑星ほど軌道を速く移動することを突き止めるのだ。彼は敬虔なカトリック教徒だったから古代からのの地動説をねじまげることにかなりの抵抗があったといわれる。でも斬新な理論を証明したみせたのだ。彼は自分の唱える本について「私は本を書く。後世に読まれようがかまわない。読まれるまでに100年かかってもいい」と言ったそうだ。
そこへ超有名なガリレオというコンパスを発明した数学者が出現する。彼は天体望遠鏡を持ってして‘星界の報告’という本に新しい恒星をいままでの10倍も発見し、しかも月の表面が地球と同じく陥没や隆起していることを唱えたのだ。 実は、それまでのコペルニクスやケプラーは、皮肉な事にメジャーな人間ではなかったために彼らの主張は、公にはされなかったのだ。 が、一方のガリレオは敵対する人たちを「人間という名に値しない輩」だと決め付けたものだから教会や神学者の皆は彼に警告を与えるのだ。ところがこの警告の発した約20年後に‘天文対話’という3人の天文学に対する対話集を出版する。 3人の一人はガリレオ風で、二人目は専門家ではないが教養豊かな紳士、最後は信心深いが頭の悪い男だった。 この本が出版されると、これまでの宇宙観を否定され、しかも公の場で罵倒されたことにカトリックの裁判所は激怒して、ついには有罪としてこの本は発禁となる。彼はフィレンチェの自宅で軟禁生活を送る。最後には視力さえ失ってしまう。
さあそれから後に、どういう力で惑星や恒星が宙にうかんでいるのだろうかという疑問に答えをだしたのがアイザックニュートンだった。 ニュートンがすごいのは、23歳の大学生の頃にペストが流行ったために自宅へ帰省したたった一年半の間に新しい微積分法を発見し引力の計算式の基礎を見つけるのだ。
残念ながらすでに亡くなったが、とてもわかりやすい解説で出版物も超売れ子だったカールセーガンは、後に‘地球はつまらない惑星’と評するのだね。古代からずっと地球を中心に宇宙があると信じられてきたが、結果人間の数よりはるかに多くの銀河が散らばる宇宙の中の忘れられたような片隅に横たわる銀河に紛れ、太陽という‘平凡な恒星のまわりをめぐって’いるのだというのだね。
最後にヨーロッパでは17世紀にこれらの天文学理論が世の中の天と地をひっくりかえすほどの騒動になったのだが、日本は、古代から天照大神という天を中心に考えられてきたものだから、この太陽中心説はすんなりと受け入れられたのだ。
人は宇宙の中心でもなんでもなかったとわかっても悲しみを感じなかった。 むしろ詩人たちはこの発見を歓迎した。
最後にニュートンの墓碑銘として有名な詩(アレグザンダーポープ)を紹介します。
自然と自然の法則は闇に隠れていた
神が言われた‘ニュートンあれ’と
すると
すべてが光に照らされた