約一ヶ月ぶりに書き込みます。
1月15日から入院していた九州にいる母親の様態が悪化。3月2日早朝静かに息を引き取りました。88歳7ヶ月での大往生でした。長年の心疾患のために手術も不可能と宣告されたいたので、苦痛がなくて本人も病床で満足しておりました。
今年3回ほど九州に見舞いをしていた中で、ある日、うわごとを言う母親を見て、思わず‘早く電話で親父に知らせなきゃ!’と入院室をでてから、3年前にすでに他界した親父のことを気づいて、‘俺、何考えてるやろか?’と思った後に、ふっと不思議な気持ちになりました。
知り合いでも若い時代に両親がいない方がいるのだが、さすがに自分にもこんな場面がくると、不思議な気持ちでいっぱいだ。高校卒業時に自宅を離れ、ずっといつも頭の中に両親がいた。勉強や仕事の怠慢や、堕落した生活、健康を害する日々など、いないはずの両親がいつも頭の中で‘にらんでいた’。
私にとっての神様であり、お目付け役であり、守り神だった両親の他界で、私もやっと一人前になった気がする。人類の歴史と同じように。今度は、息子たちにとっての逆の立場になった。長生きが、どれほどすばらしいことかとわかりました。
「歩いて○分」から書き込みがしばらく無いので心配していました。私も仕事の関係で、追い込みだったので失礼しました。
3月で父は、傘寿、7月で母は喜寿です。人ごとではありません。「そなえよつねに」孝行しておかないといけないと思いつつ、甘えてしまう自分でした。
合掌