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都 市 公 園 にもいろんな由来があるのよ
東京には多くの公園があります。読んで行くと結構面白い事に気付きます。
◎ 日比谷公園=ここは江戸時代の武家屋敷跡を利用して明治36年に,日本
で始めての洋式公園として花壇や公会堂、音楽堂、図書館などの当時
としては、最新施設を整えた公園だったそうです・・・
明治期のにわか貴族や貴婦人がなれない洋装でこの公園で楽しんだこ
とでしょうね・・・・ホホホ
◎ 清水谷公園=ここは大久保利通公が、明治11年に紀尾井坂で刺殺され
たことを痛み、ここに公園を作ったといわれます。
大久保公は、暗殺されてしまいましたが・・西郷隆盛公と違い、リアリスト 日 で日本の置かれた現状に冷静に対処した,大政治家だと私は思います。
◎ 芝公園=ここは太政官布告にもとづいて設置された最初の5公園の1つ
なそうで、この公園内には5~6世紀ごろに作られた丸山古墳があります。
今は東京タワーや増上寺、ホテル等がありますが・・なだらかな坂があ
り、相当の規模だってろうナァ・・・と忍ばれます。以前はこのあたり一体
は増上寺境内であり、幕府の菩提寺であり、歴代の将軍の多くの墓石
があります。その面影すらない近代的ビル群に囲まれて可愛そう
◎ 台場公園=ここは寛永年間ペリー来航に際して、徳川幕府が築造した
海上の保塁跡を公園にしたものだそうです・・・
こんな歴史を知ると、「ペリー来る」で江戸は緊迫した、徳川末期の
日本人が忍ばれます。
◎ 戸山公園=ここは江戸時代の尾張藩の下屋敷だった所らしいです。
藩侯の戸山山荘の名残なそうです・・・
尾張藩といえば、徳川御三家の一つでありますが、この藩からはと
うとう、将軍が出なかったわね・・・
◎ 上野公園=この公園は当時最大の規模を誇り、明治政府の太政官布
告で作られた5つの公園の1つであり、徳川末期にこの地は、幕府側と
新政府側との決戦の場でもあり又、徳川時代は寛永寺跡だった所で
すが・・・今は動物園、美術館、博物館等があり、桜の名所でもあり
ます。
◎ 錦糸公園=ここは大正12年の関東大震災後に帝都復興の都市計画
事業として作られた公園だそうです・・・
関東大震災では、東京府は多くの人々がなくなり、悲しい歴史を今
は、知っている人も少ないほど、その面影がありません。
現在は体育館、柔・剣道場があり、また噴水池を配置した休憩広場、
プール、テニスコート、ナイター設備の整った野球場があり、過
去にそんな悲惨な出来事が遭ったなんて知らぬげに平和な公園と
して都民の愛されております・・・
◎ 戸越公園=この公園は熊本藩主・細川備中の守重利の屋敷の一部
なそうで・・・東海道五十三次の風景をかたどり、遠州流回遊式築山
の山水庭で、池を回りながら季節で変化する風情を楽しむ形式な
のだすうです。正門は武家屋敷をしのばせる薬医門と築地塀を設置
しております。
◎ 和田堀公園=この公園は大宮八幡宮の敷地の一部が公園となり、
園内の高台には都内で最初に発掘された「方形周溝墓」の和田堀
公園大宮遺跡があります。この遺跡はは対岸にある松ノ木台地
に住む古代人の墓地として使われたとの説があります・・・
そのほかもっと面白い由来を持った所があるのですが・・・今日はこ
の辺でまたの機会に書こうと思います・・・・