2016年8月12日(金) オフの日

2016-08-12 22:23:41 | 日記
今日はオフ。

オフの日に疲れがドッと出るパターンで、寝てばかり。
気分的にも低調で、なんだか心に引っ掛かりがある感じ。


今日は「新ベンチャー革命」8月12日号の記事の一部を掲載。
以前にも書いたことだけど、1985年のプラザ合意がその後の日本のバブル経済を導き、
日本人が堕落するきっかけとなったのでは、というのが自分の認識。
結局プラザ合意を成立させるために、アメリカは日本を暴力によって恫喝したのだろう。

 今日は2016年8月12日ですが、1985年の今日、日航123便御巣鷹山墜落事件が起きました。あれからもう31年も経っており、若い日本人は当時のこの衝撃的事件を知らないでしょう。本ブログでは、この事件にも、今の日本を乗っ取っている米国戦争屋が関わっていると疑っています。この事件の真相は、日航社員であった故・佐宗氏の暴露でほぼ明らかになったと本ブログでは観ています。その佐宗氏は真相暴露した直後に、不審死されています。

 なお、本ブログの見方では、この日航機墜落の原因(後部圧力隔壁の修理ミス)をつくった責任を認め、その罪を被った米戦争屋系企業・ボーイング社(ほんとうは無実)は、無実なのに故意に罪を被った見返りに、1985年にオスプレイ開発プロジェクト(2兆円)の受注に成功したと観ています。オスプレイとはミサゴ(鷹の一種)のことですが、御巣鷹(オスタカ)と英語のオスプレイ(鷹)を合成した命名と観ています。

 本ブログでは、この事件の背後で、ボーイングを含む米国戦争屋系軍事産業が暗躍しており、プラザ合意(強烈な人為的円高政策)を日本に強制するための恫喝(米戦争屋お得意のショックドクトリンのひとつ)だったと観ています。そしてボーイングはその作戦に協力したのです。ところで、事故当時の筆者はIHIに勤務していました。このプラザ合意の対日強制によって急激な円高が起き、IHIの受注していたドル建て輸出船が軒並みキャンセルまたは大赤字となり、IHIの経営が傾き、筆者は個人的に、日航機事故の翌年の1986年にIHIを辞職せざるを得ませんでした。まさに筆者は個人的にプラザ合意の被害者の一人です。

 ちなみに、上記、墜落した日航機に最初の異変が起きたのは相模湾上空でしたが、そのとき、相模湾にて自衛隊の護衛艦・まつゆきが試運転中だったのです。この艦は筆者の勤務していたIHIの東京工場で建造されています。この艦には、米戦争屋系軍事企業の製造した小型の地対空ミサイルが搭載されていました。自衛隊の護衛艦に搭載される兵器はほとんど米戦争屋系企業の製造です。当該日航機が相模湾上空で異変が起きたとき、護衛艦まつゆきは米国製ミサイル模擬弾のテスト中だったのです。

 さて、本ブログは日本を乗っ取っている米国戦争屋のウォッチをメインテーマとしていますが、上記のような筆者の個人的な経験が米戦争屋ウォッチの動機のひとつとなっているのは確かです。


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続いて、エコノミスト・高橋伸彰氏の最近のツイートより。
まったくその通りだと思う。

8月7日
イギリスの「ゆりかごから墓場までの」福祉国家は悲鳴が上がるほどの累進税を、富裕層に課して財源を調達して実現した。日本も社会保障を削る前に、富裕層や大企業に重税を課したらいい。福祉を削る前に、払える者から可能なかぎり絞り取るのが公平ってもんだろう。財政再建を口実にして福祉を削るな。

8月10日
中央銀行のやることか?戦後の占領期でも、こんな馬鹿げた市場操作はしなかった。安倍政権の私物と化した、史上最低の日本銀行。株上げて、金利下げる強者優遇の政策は即刻止めろ!→「円高でも堅調」 株式相場を動かす日銀の影:日本経済新聞

8月11日
「政治とは国民生活を引き上げ、社会保障を充実することである」。池田勇人元首相が就任後に自らの政策を記者団に語った言葉である。脱デフレだとか、アベノミクスだとか些末なことに固執する前に、政治家としてやることがある。何が重要かを見抜けない安倍のような小者が首相になると国民は不幸になる





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