山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

オリンピック終り、MLBはオープン戦

2018年02月27日 08時49分18秒 | Weblog

冬季オリンピックの選手の競技の裾野は5千人と聞いた。メダルの数は薄い層にもかかわらず、良く獲得した。▼日本国内のスケ-ト場などは往時と比べて激減したことを思うと、欧米とは育成支援の土壌が違うのは残念だ。選手はやむなく海外で練習になる。竹槍で金メダル、獲得すれば日の丸画像のアベ画像がツィ-トされる▼MLBでは既にオ-プン戦始まり、日本の報道では大谷がクロ-ズアップされている。ヤンキ-スはオ-プン線は好調にスタ-ト。ジャッジ、スタントンのホ-ムラン王も故障なく参加。3塁の名手がヘッド-リ-が金銭トレ-ドされて、プロパ-と新人が奪い合う。穴はうまるか。▼ようやく、スポ-ツで春の訪れがわかるようになった。今日は外の光も強く感じられる。

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ここまで外国客が

2018年02月26日 08時02分23秒 | Weblog

今日も寒い。23日の鍼は脚治療にしてもらった。▼鍼師の四谷3丁目のバス停でバスを待っていると、大型バス2台バがス停先に並んだ。何事かと思っていたら、画像の南昌飯店から大挙して人が出てきた。ここで旅行客の昼ごはんが済む頃を見計らっての配車だった。この飯店には入ったことがないが、昭和40年代後半の時代にあちこちあった町の中華屋さん。ショ-ウィンドウに単品サンプルが並んでいて安い。要は早くて安いのだろう。団体のバジェットは@千円ぐらいか。▼町の大衆的な店にどんどん国籍を問わず外人客が来襲しているのだ。金沢に帰っても、大衆的な店には外国人がいある。お店の人は言っていた。相手するのに多少は苦労するが、来なくなると困る状態にまでなると言っていた。

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記憶に残るホテルとその風景

2018年02月24日 15時22分42秒 | Weblog

 LAGUNAは一泊しかしなかったが、美しい浜辺と丘陵は記憶に残る旅先だった。▼存在を知ったのは、その昔30年ほど前「星からの国際情報大森実ロス衛星中継」という夜のテレビ東京の番組だった。さかんにラグナを口にするその在住のジャナ-リスト、故大森実から大宅映子が国際情勢を聞き出すという番組だった。当時、サテライトを使ってのレギュラ-番組だった。▼その番組が終わった数年後、システム統合視察の名目で会社の5人プラス部外者で米西へ行った。現地視察、翌日はゴルフの半ばお遊びというか、ゴルフのための旅行だ。▼まずSFへ。ホテルは一流で、安背広の夕方ホテルうろつきはやめ、そそくさとバ-タイムまでノブヒルからユニオン広場へ。ユニオンの角の公衆電話が鳴り、仲間が取った。どこからのビルかホテルから、我々を観察しながらからかう電話。(脱線した)▼SFの次の泊りはロスでなくラグナだった。リッツカ-ルトンの第一号ホテルとの記憶しているが。あたりの環境は大森実が人生の最後をここで過ごしたか、よくわかり、羨ましく思えた。アメリカの金持ちが住むここは、銃とは程遠い、のどかな世界だ。このホテルも夕食時間には安背広ではまずいので、マリ-ナのレストランへ行ったw。最近ラグナもホワイトからアジア系の宿泊者が増えて、雰囲気が変わっているという。ゴルフ場はSFがよかった。ここラグナはガラガラ蛇がヤバイ。前者はその後3回プレ-したお気に入りだった。▼肝心の視察テ-マのシステム統合は帰国して会社に先取りを訴えたが、実行に移されたのは10数年後の時代に取り残されそうになってからだ。残念も心も何もない。経営不在だろうとしか。

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残る昭和の銀座

2018年02月23日 22時41分37秒 | Weblog

20日に銀座へ出た。昔の会社へ挨拶へ出かけ、夜は銀座の中華で会食との予定だった。夜までに4時間半ほど時間が残っている。脚の調子が良ければ、歩けるのにと思いながらブラブラ歩いて無為に時間を過ごした。▼有楽町からソニ-ビル跡を見て、長年通った勤め先の銀座コアビル、コアビルの裏通りへ。三原小路にはあづま大明神次郎長が昔のまま残っていた。次郎長では横綱北の湖が来るとかで、夕方大きな旨そうな鯛を外に持ち出した火鉢で、店前で焼いていたのを想い出す。今どきの予算、お一人様5万とか聞く。鯛は明石産。あと店が2軒あったが今はない。「ぽんた」、「博多」という名前だったろうかと記憶。この2軒の店で上司にご馳走にもなったが、若いサラリ-マンの給料では無理で、会社経費でしか行けない店だった。コアビルの真裏にある画像の店は昔とあまり変わらないが、トリコロ-ルの看板だけでなく、違うブランドであちこちに店舗があるようだ。▼コアビルから旧松坂屋、GINZA SIXへ。入口で中国人グル-プが大挙しているので、このコンプレックスは避けた。残る三越、松屋のデパ地下を見て回った。三越は昔と一変していて、美味しそうな洋菓子が並んでいが、好みは和菓子。松屋で買い物となってしまった。▼時間潰しもここまで。ようやく会食まで残り1時間前で、風月堂でケ-キとコ-ヒ-で着席のんびりした。味はそのあたりの沿線洋菓子の味と変わらずも千五百円。トリコロ-ルにするべきだった。銀座の中華は酒場というべきところ。禁酒中ということにして、食事だけにしたが、半分手を付けて終わりの店だった。自前では行かない。

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週初めは小田原城の梅

2018年02月21日 07時00分45秒 | Weblog

近隣でも見れる梅、天気が良さそうなので、小田原に出てみた。意外と風が冷たく、多摩と変わらない。駅から15-20分だったか梅が見れるお城の蔵までたどり着いた。小田原城内は20年振りだろうか。晴と言うより曇天に近い、まだ昼過ぎと言うのに夕方のような光景で、すっかり気落ちした。梅には期待してなくて、湘南の温暖を楽しみたかったので、残念だった。紅白に蝋梅もあり、梅は今が見ごろだろうか。桜が圧倒的に城内外が多いから、ここに梅を求めるのは誤りだったか。▼亡くなった食い意地の張った指宿オペラオヤジが小田原が詳しかった。西口側に旨いのうなぎの店があると言っていたが、帰宅して調べたら、なかった。探さなくてよかった。箱根鉄道の風祭の近くにミシェラン推薦のうなぎ屋がある。縁があったら行ってみよう。▼脚を治してから・・・、3月には通常に戻したい。

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ヴァレンタイン当日は

2018年02月15日 14時58分00秒 | Weblog

Valentineは唄の歌詞の出足ではないがComicなのか、立川の横断歩道の青信号点滅時に走って左下肢を痛めて、本日は整骨院へ行って蟄居状態。去年、立川伊勢丹セ-ルで靴下ブランド良品を破格でゲットしたので、仲間の待つ吉祥寺へ行く途中に寄った。しかし空振りで、買うものはなかった。ゲットしたのは腰から下の痛み跛行。仲間に渡す既読の雑誌2冊をショルダ-に加えていたのがまずかった。老体にはこの僅かな重さが良くなかった▼立川駅中通路は何かしら出店はあるが、昨日はチョコレ-ト一色の店ばかり。ヴァレンタイン・チョコには積極的にかかわらないと声明を出したゴディバが、宣言と違うヴァレンタイン営業真盛りだった。▼明日はゴルフをリタイアの昔のゴルフファ-の新年会、幹事は休めないから、これからストレッチでいくらかは治しておきたい。ストレッチをしよう。

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今週は早かったが、寒い日が続いた

2018年02月10日 21時57分21秒 | Weblog

今週前半は浅草駅前を通り過ぎた。画像朝日の黄金うんこビルで、その昔その役員から昼飯をご馳走になった。出来立てビ-ルが旨くて、大ジョッキでお代わりをお願いした想い出がある。▼雷門では人力車とインバウンド客でそこそこ賑わっているが、車に相当数の空きがある。やはり寒さでオフということか。オンはのべつくまなく流れる、期待のメダル・ラッシュの掛け声でのオリンピック中継だろうか。▼懐かしソウル五輪では開会式に空席がでた。全斗煥大統領が怒った。期間中、五輪を仕切る会社のトップとお話で、ソウルは何故不調なのかの話題になった。サテライトでテレビ中継がフルに視れて、外国の入場者も少ないと口が滑った。不機嫌を呼んで、慌てたことも。実際には宿泊施設が足りず、ぼったくり民泊がそれを補うとの噂が飛び交った。▼平昌冬季オリンピックが始まった。日本での情報では、開会式の席も相当数の空席で、座席が埋まらないとの報道もあったが、埋まったようだ。事前の報道では、北朝鮮がらみで「平壌五輪」とか言われ大騒ぎのようだったが。何か変なバイアスがかかり過ぎだろう▼オリンピック賛歌を美しいソプラノで歌う若い歌手は誰かと思ったが、まさかのスミ・ジョ-だった。整形もして、マイクも近いのか、声にとうがたたず、声量もあった。10年ほど前にコンサ-トで聴いたが、40歳を過ぎていて、カラヤンのお声がかりの歌手とも思えなかったが。トリノのオリンピックではパヴァロッティが口パクをやったが、今回はまさか・・・。

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スピ-カ-・ケ-ブルを変えた

2018年02月01日 16時00分55秒 | Weblog

 

 以前から気になっている古いスピ-カ-・ケ-ブルを変えた。今日の雪を見越して、昨日ヨドバシへ行った。担当者に相談したら、BELDEN STUDIOと言われ、予定のAUDIO TECHINICAをやめた。よくわからないが、音が平均的で色合いがないらしい。▼計り売りのケ-ブルの長さは、予め調べてあったものの、長さのセッテイングはたるみも含めて丁度良かったが、危うくショ-トするところだった。計り買いは余裕+αがないとよくないことを痛感した。▼アンプやスピ―カ-裏の配線は思ったよりほこりにまみれていて、掃除から。先ほどネットで調べたら、コネクト先にプラス、マイナスがあってそれに合わせれば良いという。赤と銀色、どちらがプラス、マイナスかわからない。近いうちにチェックして合わせよう。▼お試しに廃盤の画像のCDを10年振りぐらいだろうか、聴いた。音がすっきりして、音量が変わり、ライブ感が違った。1976年のパバロッティ、フレ―ニ、ご両人の生まれ故郷モデナの凱旋的コンサ-ト。この頃は同じベルカント歌唱の先生に学んだ二人は世界のひのき舞台に立った記念的名盤だが、再発売はなく、MP3のダウンロ-ドしか見当たらない。YouTubeも探せない。一番の好み曲は、わが友フリッツの二重唱。▼最近探したYouTubeのパバロッティのお宝映像。ベルカントの説明付きで、安定した声を上げていく時の、美しい輝かしい歌唱が楽しめる。彼の前の時代のステファノも出てくるが罰点を貰っている。でも彼は天才で別だ 

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