御茶ノ水駅のプラットホ-ムから画像を撮影した。都心の桜はピ-クだ。立川から中央線で来たが、立川の駅中は買い物袋を下げた人が行きかう。消費税がらみだ。帰宅時に新宿のデパ-トでスラックスを求めて寄ったが、人出が凄かった。御茶ノ水から本郷通り沿いに坂を下って、小川町に出た。有名蕎麦店の前を通るからには寄らないわけにいかないが、3時近くでも混み合っている。最近蕎麦は細めより太めがこしがあって、うまさを感じる。つゆも鰹辛口が好みで、昔ほどうまさを感じない。そういえば姉妹店が吉祥寺のデパ-トにあって、立ち寄ったこともあるが、同じだ。さて今週は桜があちこちで楽しめそうだ。
週末に千葉へ行くとき、2階席のグリ-ンに乗車した。都心から千葉までの総武沿線は目線が高くなっても、コンクリ-トばかりが目の前に入ってくる。多摩と比較して、緑がないと云っていいだろう。従い、期待の桜も程遠かった。緑や桜は沿線から離れた奥に残っているのだろう。社会人になった頃、会社の独身寮が総武沿線あった。僅かな期間在住したが、当時の記憶が鮮明だ。江戸川を境にして緑があったが、それも遠い昔になっっていた。東西線の浦安あたりでは、今京葉線にあるTDLもまだ海中だった。将来は日本の人口が減って、人々は新幹線エリアに住むような予想が立つが、そのあたりは緑なき殺風景な環境かもしれない。それ以外のエリアは緑深き土地か、荒れ果てた土地かはわからない。もし少子化で環境がよくないということであれば、今自分たちは将来分までを先食いして謳歌していることにならないだろうか。画像は昔の熊谷駅の鳥瞰図を撮影。遠くに富士山と山々以外は自然のない殺風景な絵だと思う。富国強兵、殖産振興の時代の頃だろうか。何かしら今の政府と似ているような錯誤感がある。
去年の大山街道歩きでは太田道灌の墓を元職場のオヤジ達と見たが、先日は日暮里駅前で銅像を見た。他にも銅像があると思うが。後北条時代前後の関東の歴史は、日本史の主要にはならないがそれなりに歴史があって、興味深い。花粉で喘息も出てきたように思われる健康状態、早く花粉地獄が過ぎ去るように祈る気持ちだ。昨日のゴルフは、ティッシュ多量持参の忙しいものだった。中国電力、老朽松江原発1号が廃炉も視野に入っているようだ。決断の時が来た。決断の阻害をする者は誰もいないものとまずは今宵ぐらいは思いたい。
昨日用向きで浅草に出た。仲見世から歩いたが、平日にかかわらず、人ごみが凄いので、往来の雷門前に出た。ここも凄かった。前に歩けないので、写真撮影をしてみた。今日はあちこち桜の話題が一気に出た。去年より1週間以上は遅い。暫く暖かさが続きそのまま、4月の春に入りそうだ。コ-トもそろそろお別れだ。マレ-シア航空機の失踪はまだ明瞭でないが、日曜のMRサンデ-/フジTVはマレ-シア政府が捜索した機長宅、政敵元副首相と友人の線で安直な現地押しかけ放送をやっていた。それ以前にカナダ人の上級パイロットが想定されることを提示した。本来ならこういう観点での放送が必要と思う。オチャラカ報道の典型。ニュ-ス報道のジャンルでなく、芸能ドタバタ番組だろう。元々この放送局の系列の新聞は取材記事が少なく、意見が多い。スポ-ツ紙と抱き合わせ販売だろうか、蕎麦屋にセットでおいてあることが多い。取材費などがないなら、他人のふんどしでなく、桜便りあたりですますべきだろう。
花粉が厳しい。桜散るまでの我慢。金沢から戻ってから、風邪気味から喘息が加わったのは花粉症だろうか。鼻水と咳に悩む。腰痛もあって、晴天の今週のゴルフは不調だろう。今回のゴルフは4月宮崎同一メンバ-だから、前哨戦にあたるが白旗状態の体調だ。画像は金沢の亡きポン友の町、港のある金石の地元醤油屋の戸口。隣町の大野の醤油と同じく、魚料理のためのもの。大野のものは、今や海外で珍重されている。さて、今気になるのは政府の解釈憲法だ。絶対君主でもあるまいし、首相の一任でいとも簡単に憲法を換骨奪胎しようとしている。日本をどこへ行かせようとしているのか。実際には高価格、環境破壊の原発推進にこだわるのは、プルトニウム欲しさか。きな臭さのエスカレ-トは、東アジアに戦雲、血が流れる。
納骨も終り卯辰山の松魚亭で中陰の席だった。その前に市内浅野川の遠景を撮影したが、雪の滑りを良くした釉薬をかけた濡黒色瓦の家が少なくなった。晴れた日には、特に浅野川あたりは光を反射して風情があった。その家々も少なくなって川沿いにマンション群が林立したが、マンション住人から見える景色も、一変していて、つまらないものだろうと思った。お銚子は正味4本半とビ-ルを飲んだ。ホテルで着替えて、駅~近江町~金沢城~兼六園~香林坊とほろ酔いで歩いた。1万歩で、腰痛が出たので諦めた。兼六園の桜は蕾が膨らんでいて、東京より2週間ほど例年は遅いが、今年は1週間ぐらいのような気がした。上流に景色を求めなければならなくなった。
列車は六日町に到着。一面まだ銀世界だ。もう晢く豪雪地帯を列車は走駆する。叔父の法事で金決へ。夜の友の墓参りもあり、早朝に家を出た。今晩は明日も会えるので、わが姉妹とは会わずにどこかで独り飯の予定。明日もあるので、飲みすぎは注意だろう。昨晩のテレビで法制局長官の傲岸というか、立法の議員を小馬鹿にした態度、税金でサラリーを頂戴している公僕を忘れてしまっている。番犬と揶揄されたが、犬HKと言われところの長もおかしい。今度は理事任期短縮して1年と言う。独裁ぶりがよく見える。---------「はくたか」が金沢に着いたら、新幹線開業あと1年、来年3月14日にとのニュ-ス。ホテルに荷物を預けて、親父の墓参から夜の友、ポン友の眠る海辺の寺へ。寺で墓を探すのはつらいが、見つけたが果たして同姓だったら困るので、くまなくチェックして墓参となった。確認したく、寺に電話しても誰も出てこないなかのものだったので、少し不安があった。安らかにと祈るのみだ。
耐えて、生きていくと思った。2月放映の2003年のNHKア-カイブ、「知られざるロシア・アバンギャルドの遺産 ~スターリン弾圧を生き延びた名画~」を録画で家人ともに見た。2時間近い映像はまたたく間に過ぎ去った。ここの放送番組はMLBかオリンピックぐらいかと思っていたが、少し前までは質の高い番組も制作していたのかと感心してしまった。ロシア研究者一人者の名古屋外大学長のガイド力も大きいと思うが。シベリア収容所送りか銃殺かのスタ-リンの環境の時代でも、自由な世界以上の作品は創られた意義は驚異的だ。厳しい時代の中を潜り抜けて、サヴィツキーが画家たちの絵画を蒐集したのもサスペンスもどきだった。美術館の詳細や絵画はこのHPで確認することができた。犬HKとか言われるが、政府がTV広報をしたいのなら、籾殻会長とともに国営放送を別に設立したほうがよい。画像は「資本家」という絵画だが、色のついた部分は残されたところ、下半分はゲーペーウーに切り取られたらしい。右下の小さな人の群れはラ-ゲリ、収容所送りの人達の群れだろうか。