山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

2015年の回想

2015年12月31日 23時24分47秒 | Weblog

 

 今年は死に尽きた。暮れに四半世紀つき合ったゴルフ仲間のオヤジが逝去したこと。憲法が死文化したこと。つらつら死について考えが至る。明日からもう一つ年齢を重ねるが、死に向かっていることは確実だ。死は恐怖だ。末期の人を目の当たりにして、つき合っていけば、死は日常化して恐怖は薄らぐ。そろそろ写経でも始めて、心静かにする時間を持つのものもいいかもしれない。九月に国会前に多くの人が集まったが、機動隊の装甲車が路を塞ぐ。閉塞感を感じている、あれやこれという間に、世界どこでも戦争に出かけることができる安保法案が通過した。法律があっても、こじつけでどうでもなる恐ろしい状態だ。よく考えれば、戦時体制になったということだろう。米国は9.11から戦時体制のままだ。この法律の下では、米国の保護国レベルの国は要請があれば断れる状態ではない。間近に生物的でない、強制させられる死がある。こちらの死が日常化したら、他人事になり、身近に迫っていることが分からずに鈍感になる。 

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今年最後の忘年会も終わった

2015年12月30日 16時55分55秒 | Weblog

 亡くなったゴルフオヤジの店で、個人の命により忘年会を開催をした。手違いをおこして、1名不参加となった。お詫びのしるしに画像の玉川高島屋の福光屋で純米酒の黒帯を買って、持参した。久保田の万寿などもあり、酒に事欠かないが、一人を残して参加者は全員年上だが、飲酒のスピ-ドが早く、開始1時間過ぎてもう2時間は経ったかと、時計を見上げれば、まだ1時間。3時間半の忘年会は体にきつかった故人の良い人柄も偲ばれて、話は絶えない。帰りの同行仲間に誘われて、深夜営業の手打ち蕎麦屋でまた黒帯をやってしまった。今日はDEAD MAN、明日にならないとどうにもならない。まだ仕事がらみの整理と掃除が終わっていない。暮れゆく今年に天皇の言葉を記しておこう。

天皇陛下、82歳の誕生日 「先の戦争を考え過ごした1年」 

 この1年を振り返ると、様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います。

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今週を振り返る

2015年12月26日 23時14分25秒 | Weblog

画像はスクラップされた赤坂プリンスが新しくよみがえりつつあるものを24日に撮影。弁慶橋付近が変わる。21日は追加忘年ゴルフは清川CC。ようやく上り調子ゴルフも、早朝からボロボロ。Tee Offまでに体の掃除が終わっていないと、凡そゴルフはよくない。翌両日は就職相談のお手伝い。Iタ-ン、Jタ-ン、Uタ-ン希望者相手。アルファベットを並べるとIJU、移住となるのが、初めて分かった。23日のゴルフオヤジの葬儀の通夜には大勢の人が集まった。生前のセリフどおりだった。商いをするれば、葬儀は盛大になると言っていたが、早逝するとまでは聞いていなかった。オヤジとその仲間とこの10数年全国ゴルフ場を廻ったが、この数年金沢のポン友と同じ間質性肺炎でゴルフはこの数年できなくなっていた。予想通り肺ガンとなってしまった。残念だ。話好きで、見舞いに行くと、帰るなというから長時間の世間話になった。最後の頃は昼と夜が逆転しているという。死が目前だから、息苦しいのと相まって不安と恐怖が支配していた。早い告別式もあり今週は遅寝早起きが続いた。その成果は、今日のジムで一番きついと言われるボディシェイプサーキット50プログラムに出た。息が上がって、最後はバテバテだった。喘息兆候も出ており、年の瀬は薬を服用しながら、肺炎を念頭に行動だ。

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5連続日目の忘年会

2015年12月20日 21時39分56秒 | Weblog

画像は吉田類の酒場放浪記に出た根津にある居酒屋の通り。元の職場仲間との忘年会場となった。幹事が吉田類のBS放送を見て、予約した本人も初見参だった。囲炉裏囲んでの飲み食いだが、居酒屋にあ理想なものはみんあある。店には日本酒は秋田の両関、石川の萬歳楽、焼酎が並んでいた。4時間半飲み食いして一人6千円強は、さすがに安い。前々日の溝の口の日本酒メインの居酒屋は同じ時間で、一人小1万円だから、焼酎が絶対安いということか。来週は、今年最後の忘年会だったが、会場となっている店のゴルフオヤジが17日に旅立った。急きょ、偲ぶ会となってしまった。オヤジとの付き合いも4半世紀だったが、5歳年長で、年の順で逝去した。肺気腫、間質性肺炎、肺がんとなって、頑張った2年強ばかり、先月初めまで、酸素マスクをしながら店にいた。病院見舞に来いと呼ばれて、よく行った。最後は昼と夜が逆に寝ているよと言ったのは、夜の一人病室の死の恐怖もあった。死因は呼吸器というより、心臓であっけなかった。苦しさを我慢して、朗らかに語り合ったのが、よい想い出となった。

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海老名へ出た

2015年12月16日 20時37分46秒 | Weblog

以前の大山街道徒歩の旅以来になる海老名西側へ出た。今秋ららぽ-とがオ-プンしたので、2013年1月にこの界隈を通り過ぎた状況と一変してしまった。JR相模線の海老名駅も小さいが、小田急の駅とうまく動く歩道とつながっている。2階入口から人気のIVORISHがあり、午後4時ごろでも外で順番待ちだ。1階の画像中央のBAKEは焼き上がりを待つため、20名以上が順番をついている。反対の東側にあるオ-プンモ-ルのVINAWALKと比べてセンスの良い店が多いのと、レストランが多い。このままじゃ、SC勝負は明瞭だ。お土産にIVORISHの冷凍品を買った。昨日は、大山街道を歩いた昔の職場の同期と2人で、いいちこのボトル2本を空けた。酒が入る前から、オイ、国会に何回行ったかの話が始まり、世情の話からやがて昔話に花を咲かせた。今日はさすがに不調だ。今週は忘年会があと2つある。大酒くらうのはほどほどにしよう。

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想い出した中学校の先生の口ずさんだ歌

2015年12月13日 21時17分47秒 | Weblog

前回記した、福井の米軍空襲の辛酸を語った中学校の教師名前が出てこないが、思いだした数学の恩師。そして、当時口ずさんでいた歌の一節目がくちについた。その昔、銀座に勤めていた若い頃、しばし一人歌っていたことがある。しっかり覚えているつもりが、Daily Motionで聞いてみると霧を雨にしていた。歌詞は時代がっていて面白い。当時の歌の題名は確か、霧という文字が入った曲が多いと思う。霧の中の少女、霧の中のジョニー(Johnny Remember Me)、霧のサンフランシスコとか思い浮かぶ。この曲はヒットしなかったが、ネットで確認できるのはありがたい。そう言えば恩師は元気か。今、年賀状印刷しながら、このブログを記している。さて、今週も肺がん末期のゴルフ仲間のオヤジへの訪問だ。話をしていると、苦しみを忘れるから毎日来いよと言われるが、長時間会話は疲れる。先週は見舞い帰りの電車で、席を譲られた。そんなに、疲労したジイさんに見えたか。タニタの体重計では50代半ばと出るのだが。曲の一節目。

銀座八丁西東 紅いネオンも灯る頃、 あの娘 この娘も 帰る頃、 

帰りきれない淋しさに 、 霧に濡れるか美年 、あああ 東京の美年

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時は過ぎていく

2015年12月11日 23時22分35秒 | Weblog

野坂昭如が他界した。学生時代の頃にエッセイ「風狂の思想」とかにお目にかかった。高校仲間の中井の下宿に転がり込んで、深夜のラジオを聴きながら、彼の話がよく出た。同じ早稲田だったからだ。オイ、大学で吉永小百合も見たぞとの話も想い出した。中学校教師が福井出身で、福井の空襲の体験を教室で熱くった。火の中を親とはぐれて、妹の手を引いて逃げ惑う話で、野坂の小説と同じだ。時間を敗戦直後に戻したら、今の政治的状況的思考はありえなかったろうと思う。野坂が言うように一夜に変わったものはもろいのかも知れない。

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民族大移動と思っている

2015年12月06日 13時42分29秒 | Weblog

今年の検査に脳検査があった。異常はなく、年齢ほど脳が委縮していないといわれた。認知を恐れるようになっているので、ホットしていた。今朝のTBSサンンデ-モ-ニングの終わりに、仏大統領の演説にテロと気候変動の関連の紹介があった。Years Of Living Dangerouslyでは、シリア政府の干ばつ無策に都市流民からの始まりだの映像がある。イスラムのテロリストが荒れ狂うのは、干上がったアフリカ、中近東からだ。シリアの避難民はある意味では、食糧難の民族移動でもあると思う。ナチスのユダヤ排斥虐殺、領土拡大も根っこには食糧確保が根底にある。このところ、NHK海外ドキュメンタリ-は見ごたえがあった。遺伝子組み換え戦争薬は誰のものかシリコンバレー その知られざる顔顧客情報を盗んだ男 ~スイス銀行 情報流出の波紋~の4本だった。遺伝組換え大豆の粉末を飼料とする養豚の奇形の発生、病弱は飼料に抗生物質などを混ぜることや、雑草に強かった遺伝子組換え大豆は、新たに力を蓄えた耐性の雑草に負けるので、除草剤はまき散らすこと映像で見ると、吐き気をもようす。大豆大産地の農場付近の農民の家族に、奇形、発がんなど多く見られるのも悲劇だ。先の4本はいずれも、国境を越える、政府を越えるグロ-バル企業の強欲が何をしているか、明快に取材をしている。新しい世紀は気候変動と強欲が織り交ざって、どこに行くのだろうか。米国一極からパワ-が多極拡散していく中、冷戦、復古のレトロ思考では20~30年先を見据えることはできない。これじゃ惚けようにも惚けられない。死ぬまでシッカリか。

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今年の健康チェックは残り歯医者のみ

2015年12月04日 22時54分09秒 | Weblog

胃、大腸、前立腺がんチェックは先月で完了し、このところ気が大きくなって深夜まで大酒をやっている。翌日はグレ-ドの高い酒を飲んでも加齢の身にはこたえる。今週は深夜も酔いどれて、ラストは溝の口の焼肉屋にいた。スマホの画像に記録が残っていた。さすがに翌日は酒のグレ-ドが悪かったか、マグロ状態だった。何を飲んだかは不確かだが、写真を撮ったところからみると、キンミヤの焼酎ととホッピ-のセットらしい。ホッピ-という言葉を知ったのは四半世紀前の赤坂だった。初めて口にしたのは、10数年前だ。ホッピ-は多摩川にある会社で、京王沿線の居酒屋には昔からあったが、最近は人気が出て、あちこちで見かけるようになった。この画像でHPで調べてみると、昔はビ-ルが高いので、飲めない人はキンミヤの焼酎で割って飲んでその気分になったらしい。云ってみれば、今の発泡酒ということか。この日は、ゴルフの会の飲み屋のオヤジの肺がんが進んで末期になっているところの見舞いだった。もう、何回か見舞いを重ねているが、ゴルフ仲間には切なくて見舞いに行きたくない人もいる。肺の病で亡くなった人は往々にして長いつきあいの人だ。つらいものだ。

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