前回記した、福井の米軍空襲の辛酸を語った中学校の教師名前が出てこないが、思いだした数学の恩師。そして、当時口ずさんでいた歌の一節目がくちについた。その昔、銀座に勤めていた若い頃、しばし一人歌っていたことがある。しっかり覚えているつもりが、Daily Motionで聞いてみると霧を雨にしていた。歌詞は時代がっていて面白い。当時の歌の題名は確か、霧という文字が入った曲が多いと思う。霧の中の少女、霧の中のジョニー(Johnny Remember Me)、霧のサンフランシスコとか思い浮かぶ。この曲はヒットしなかったが、ネットで確認できるのはありがたい。そう言えば恩師は元気か。今、年賀状印刷しながら、このブログを記している。さて、今週も肺がん末期のゴルフ仲間のオヤジへの訪問だ。話をしていると、苦しみを忘れるから毎日来いよと言われるが、長時間会話は疲れる。先週は見舞い帰りの電車で、席を譲られた。そんなに、疲労したジイさんに見えたか。タニタの体重計では50代半ばと出るのだが。曲の一節目。
銀座八丁西東 紅いネオンも灯る頃、 あの娘 この娘も 帰る頃、
帰りきれない淋しさに 、 霧に濡れるか美年 、あああ 東京の美年
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