ここ鑓水の山の上には昭和38年に、明治42年から女修行者が住込みお堂を守った老婆が、強盗に全身メッタ刺し、喉と心臓をえぐられ殺害されるという事件があってから空家となり荒れ放題で、昭和60年撤去したらしい。老婆のすすり泣く声が聞こえると噂あり?
また、昭和48年、立教大学の助教授が不倫から教え子の女子大生殺害、遺体遺棄の事件発生。犯人助教授が自殺で女子大生の遺体不明、捜索難航中、死んだ女子大生の姿が絹の道で度々目撃されて、幽霊騒ぎが起き、幽霊の目撃証言の多いところで、遺体発見。
これからの夏向き話題かな。そういう訳でお堂跡の写真取りやめ。
また、昭和48年、立教大学の助教授が不倫から教え子の女子大生殺害、遺体遺棄の事件発生。犯人助教授が自殺で女子大生の遺体不明、捜索難航中、死んだ女子大生の姿が絹の道で度々目撃されて、幽霊騒ぎが起き、幽霊の目撃証言の多いところで、遺体発見。
これからの夏向き話題かな。そういう訳でお堂跡の写真取りやめ。
でも言いたい放題のプログ?なんだろうから、後先のことは考えずに…とりあえず人の誹謗中傷をしなければ問題ないだろう。
仲間に墓が好きで墓の写真ばかりを撮っている人がいる。それも現代の墓ではなくてもう殆ど残っていない昔の土葬の時代のお墓を専門にしている。
土葬の風習は日本では無いと思うがその片鱗が感じられる墓地は特に地方へ行くと少なくはなったがまだ残っているようだ。
日本のお墓というか埋葬の歴史はそもそも両墓性が基本になっていると理解しているが具体的に人に説明できるほどには詳しくは無い。
しかしその両墓性の名残りは今でも一部の地域の墓地には見られる。
埋め墓と参り墓のあり方は地方によって少しづつ違うようだが、埋め墓は亡くなった人を埋葬するお墓で場所はただただ何も無い野原のような場所である。
埋葬した場所がわかるようにせいぜい小さな木の印を立ててあるくらいのものだ。
埋葬した後はそこには特にお墓参りというようなことはしなかったらしい。
埋め墓に、土葬の時代には埋葬した人があった場合には土が盛り上がっているから一目でわかる。
埋葬してから何年か経過して土葬した人の骨を掘り起こしてよく洗い清めてから、今度はおまいりする専門のお墓に埋葬(納骨って言った方がよいのかもしれない)する。
こちらの参り墓には立派な墓石も建てて(勿論、甲斐性があればだが)時々のお参りも欠かさない、献花もするということになる。
中世から近世になって火葬の風習とかお寺に属するようになったりしてこの風習も変遷をしているが、そんなことは正確には理解していないし省略しよう。
埋め墓は一般的には特に都会では見ることは無いが、関東近県では茨城など、関西では近江近辺などに見ることが出来る。
今ではこれらの埋め墓には少なくとも木製の墓標は建っている、献花が備えてあるのを見受けられるが、立派な石柱が林立するという光景にはなくやはり、昔は野原だったという雰囲気も残っていて我々都会人には異様に感じられる。
何箇所かこのもの好きな仲間に連れられて埋め墓を見に行ったことはあるが、幸いにも幽霊の話しは聴いたことが無い。
しかしどこか荒涼とした風情の残る埋め墓には夜に一人で来るにはかなりの勇気が必要だろうなあって感じたことはある。
昔は墓標も立てないくらいだったのだから、それこそ埋め墓には何もなかったのだが、最近では埋め墓の入り口にはお寺なんかにも良くある六地蔵が建てられていることが多くなったようだ。
地球上に生まれた「もの」土に帰るのが自然なんだろうと思うが、こう世の中が立て込んできてはそうもいかない。
そのうちに公害だとかで火葬をすることも不自由になってしまうのではないか?
あの世へ行く手前のことでさえ大変になってきているが、こんな状態では果たして天国には行けるのかどうか甚だ疑問になってくる。
もしかすると天国も混雑してしまって入場制限がされているかもしれない…。