
昨日は何の特徴もないToreadorの歌を格安席で聴いた。ドン・ホセとカルメンは声はよかったから払った料金以上の内容でおつりが出た感じだ。帰りの電車でフトその昔見た、マドリッドの闘牛を想い出した。闘牛士は真剣勝負だが、こちらには「なぶり殺し」に見えた。初めは嫌がるご婦人達は、少しだけの時間と言いながら、血を見たら、帰る気配がなくなった。ツア-から殆ど闘牛観光が消えてしまった。休日と開催シ-ズンが決まってるからかいつでも見られるものでもないからか、それとも半日観光でお茶を濁したいからか。70年代初めは、スペインはフランコ総統の独裁下、夜間の治安体制が厳しく、一番楽しい深夜のフラメンコも帰りは気をもんだ。Toreadorはヘミングウェ-の小説の映画「日はまた昇る - The Sun also Rises」が印象的だった。この映画の風景、ホセ・アントニオ通りなどマドリッドの街の景色が70年代は残っていた。スペインは80年代初めにアンダルシアからリスボンの荒涼・殺風景な長距離をトラックに乗って駆けたのが最後か。
2回見たけど一回目は闘牛士が牛の角に疲れて怪我をして退場したりで、荒野の決闘のような砂の上でのある意味では命をかけた戦いに観客も興奮したんだと思う。
人間は本来残酷な生き物なんじゃあないだろうかって思う。そう肉食動物が自分の生存の糧の小動物の肉を食いちぎっているとを我々=人間は残酷だと感じる・思う人が多い。
牛を食うのは良くて何で鯨がダメなのかが分からない。やはりキリスト教の教えによるものなのか。
新聞・tvでもこの辺りの感覚というか理屈を分かりやすく教えてもらいたいものだ。
まさかグローバルスタンダードって言うんじゃあないだろうなあ。