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山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

金沢城の石垣工法は多々あるらしい

2007年06月20日 11時24分35秒 | Weblog
写真左は結構高いが、往時の半分程度らしい。工法は時代ごとに違う。日進月歩だから当然なんだろうが。見学コ-スもできている。兼六園側の石川門がシンボルとなっているが、記憶では本丸は明治時代前にたびたびの落雷・火事で無くなっていたらしい。城跡には金沢大学が入っていたが、移動してしまっている。天守閣構想があるらしいが、余計な税金食い虫の話だ
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地道な観光施設 (Unknown)
2007-06-21 08:40:02
こんな観光スポット(施設?)があったのかあ? 何回か行ったことがあるけど気が付かなかったねえ。
地元の小学生なんかの郊外学習には使ってるかもね。

石垣のほかには何も無い?
観光施設としてはなかなか難しいスポットだねえ。
根拠の無い武家屋敷だとかの何か造作をするとやはり、違和感があって心を打つ見所にはならないからね。
そういう観光施設は山ほど見てきたけど、ほとんどが自治体の箱物行政の例に漏れずに、数年か数十年で跡形も無く消えている。

城跡や城壁などは都市開発、宅地開発の波でも来ない限り文化財?として保存されるから維持しやすいだろう。
しかし、そこにコンクリートの天守閣を作ってよいのか悪いのか?は別問題だと思う。コンクリート製で有名なのは会津若松城だろうが、これは白虎隊の知名度のお陰ででそこそこの入場者があったようだ。

明治の廃藩置県で各地のお城が取り壊されて以来、数多くの天守閣やお城が再建されたが、土地の政治家と土建屋の利益にはなっても、県民、市民のためになったものは数えるほどしかない。

さて、視点は変わるが、江戸城再建を運動しているグループがあるやに聞くが、そのあたりはよくよく健闘されているのであろうか。
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