山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

今日の散策

2010年07月13日 21時51分13秒 | Weblog
雨を縫って、金沢の日光の尾崎神社~高峰博士の家~堀浚渫工事の白鳥路~新築河北門~ゴルフ場と見間違う芝の金沢城内~山崎山の兼六園~伝統産業工芸館~武家屋敷の偉容を誇る塀の国立病院と歩いて、大粒の雨が降り出した。タクシーで片町の喫茶店で休憩してから、ホテルに戻った。大衆演劇の誘いで、姉の家に行ったら、義理の兄の体調不信で取りやめという。家でのビールとなった。本日の収穫は伝統産業工芸館。石川県のしっかりした多様な工芸基盤を確認できた。受付の女性の丁重なもてなしは入場者がいないからか。山崎山付近から卯辰山方面の市内の景色は濡れ瓦の家々はなくなった。時代の変化は観光名所も変える。季節の地魚は鮎を残しほぼ食べた。仙台の茶道ならず、酒道の先輩へ。来月末は白神山地の鰺ヶ沢へ行きます。ゴルフ場も予約し、山麓散策をハイライトにする予定です。秋は今年春から先延ばしした、我が指宿/鹿児島でしょうか。画像は兼六園の山崎山から撮影の金沢。濡れ瓦景色は浅野川の常盤橋あたりからが一番だろうか。
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近江町市場からバハカリフォルニアの記憶

2010年07月13日 15時55分16秒 | Weblog
昨年の姉からご馳走になった海鮮丼を昼飯と思い、市場から散歩を開始した。丼は料金とはかけ離れた、東京のちょっとした飲み屋のランチ程度のものだった。昨年は姉がいたから、責任者テ-ブルまで挨拶にきて、中身もよかった。一見観光客と足元を見ているか。羽咋産の岩牡蛎を魚屋の前で食べさしてくれるので、一口で食した。夏牡蛎を危ないメキシコの屋台で食べた記憶が甦った。炎天下の中、少年の出してくれた冷えた牡蛎は格別だった。 20年ほど前の湾岸戦争で、海外渡航自粛の頃、一人メキシコへ事情調査と称して、サンフランシスコでゴルフで遊び、バハカリフォルニアのCabo San Lucasに飛んだ。 アメリカ国境ティファナから約千キロ離れた半島突端にあり、半島は砂漠に近い赤茶けた荒地が延々と、いや炎々と続き、当時、無人の道路では山賊も出て、女一人の車運転は危ないと日本のテレビで放送されてたこともある。ホテルは地元系で、外資系はメリアだけが建築中だった。アメリカ人の金持ちが自家用機で別荘に来て、クルーザーでマグロ釣りに来る。パージンビーチが遙か彼方まで続き、特上のパラダイスだった。今は、ホテルもホノルルもどきで林立しているらしい。帰国後、取引先の釣り好き社長に話したら、翌週もう飛び立ったが、シイラしかあがらなかったが、ご満悦だった。 牡蛎は英語でERの月が一番というが、それは養殖の牡蛎だろう。
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今日は雨でがっかり

2010年07月13日 12時22分23秒 | Weblog
ホテルからもらった一日バスの市内フリ-パスは雨で使えない。昨晩は、姉夫婦から妹弟ともに招かれて、六角堂のステ-キをご馳走になった。三角円錐のビ-ルジョッキは意外と量が入らないから、5、6杯は飲める。最後は冷酒にした。肉は焼き方がよくうまかった。今日は東金沢方面の大衆演劇の小屋に行こうと声がかかった。暇だし、後学のため、是非もなく行くことにした。雨は半日散歩予定をすっかり狂わせる。写真は加賀毛針のピアス。最近、釣り道具としてではなく、アクセサリ-の世界でよく紹介されている。
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