(1945/ビリー・ワイルダー監督・共同脚本/レイ・ミランド、ジェーン・ワイマン、フィリップ・テリー、ドリス・ダウリング、ハワード・ダ・シルヴァ、フランク・フェイレン/101分)
アルコール依存症の男が主人公のワイルダーの名作というのは知っていたけど、実は未見。「失われた週末」というタイトルの意味も謎として残っていました。こういうお話だったんですな。原題もそのまんま、【The Lost Weekend】でした。
ニューヨークの摩天楼を遠景で捉えたカメラがゆっくりと右にパンすると、近くのアパートの上階が見えてくる。開け放たれた窓の下には何やら紐にぶら下がった瓶の様なモノが見えているが、カメラはそれに構わず、窓の奥にいる二人の男に寄っていく。
男たちの会話で、二人が兄弟であること、弟の方が病院を退院したばかりで、その病気がアルコール依存症だった事が分かる。弟の療養を兼ねて、二人してこれから田舎の町へ週末を利用して列車で帰ろうと荷造りをしているところだった。弟は窓の外の酒瓶の存在を知っているようで、兄の目を盗んでそれを取り込もうとしている事も分かる。
弟の名前はドン・バーナム(ミランド)。
大学時代に学内誌に次々と文章を発表し天才と呼ばれた男。“リーダーズ・ダイジェスト”に売れた作品も有り、天才は卒業を待たずしてタイプライターを持ってニューヨークへ出る。何冊か小説を発表するが、どれも成功とは言えず、次第に自信を無くしていく。それがアルコールに溺れる原因だった。酒が入ると頭の中に素晴らしい作品が生まれるのだ。だが、酔いが醒めると全てが消え去ってしまう、そんな事の繰り返し。おかげで、33歳になるというのに、未だに真面目な兄のアパートで居候暮らし。お小遣いさえ貰っている。
さて、ドンと兄ウィック(テリー)が荷造りしている所に、一人の女性が訪ねてくる。ドンの恋人のヘレン(ワイマン)である。ドンの為に本やタバコ、ガム等を手土産に挨拶に来て、この後、もらったチケットでカーネギー・ホールのクラシック・コンサートを聴きに行くと言う。チケットは2枚あるが連れはいないというヘレンに、それは寂しい、余っているもう一枚を兄貴が使えとドンは言う。自分は荷造りした後に昼寝をしたいし、予定の列車には間に合いそうにないから一つ後の列車にしようと言うのだ。10日間断酒してきたドンだが、どうやらアルコールが恋しくなってきているようだった。
偶然、窓辺の酒瓶を見付けたウィックは、一人になって酒を飲む気だったのではと言うが、ドンは、それはずっと前に隠していたモノですっかり忘れていた、そんなに疑うのなら田舎には行かないぞと言い返す。弟を信用することにしたウィックは、酒瓶に残っていた液体を洗面所で流し、ヘレンと出かけるのだった。
『外に(酒を)買いに出かけないかしら?』
『金は渡してないし、ツケもきかないようにしている。それに、家中の酒もくまなく探して、全て捨てたから大丈夫だ』
二人が出かけた後のドンの様子が、依存症患者の浅ましさを表すと共に、これまでのウィックの苦労も想像させる。洗面所の物入れ、ベッドの下、そして掃除機の中、かつて酒瓶を隠していた場所を探っていくドン。やはり無い。あきらめかけていたその時、ドアをノックする音がする。誰? ドア越しに聞くドン。通いの家政婦だった。
『出直してくれ、月曜日にでも』
『週末だから、お給金をもらう日なんですが・・・』
この会話が、ドンの運命を変えた。家政婦から聞き出した場所にお金を見つけ、彼女にはお金は無かったと嘘をつく。早速街へ出かけて、そのお金で酒を買い、更に馴染みのバーに行く。うんざり顔のマスターに、酒屋で買ったモノは田舎に隠し持って行くつもりだと自慢げに話すドン。夕方の列車に間に合うようにと、マスターには45分前に知らせるように頼んでいたのだが・・・。
木曜の午後に始まった話は、この後火曜日まで続く。ほとんどは、ドンの一人芝居だ。
結局、列車の時間に間に合わなかったドンは、ウィックともヘレンとも顔を会わさずに金曜日を迎え、その日も朝から件のバーへ入る。このバーは度々出てきて、マスターのナット(シルヴァ)がいわば狂言廻しとなる。
お金があるうちは元気がいいが、切れたアルコールを補充する術が無くなると悲壮感が漂ってくる。ナットの前に徐々に違う顔をみせていくドンの様子に、そんなアルコール依存症の怖さが描かれていく。
『目が覚めたときに、冷や汗が出ることはないか? 外の明るさが朝なのか夕方なのか考えることはないか? 朝だったらガッカリする。ましてや、その日が日曜日なら最悪だ。酒場は開いてないし、日曜日なら夕方まで休みだ』
そんなアル中の嘆きをドンが告白するが、その後、その恐怖が現実のものとなっていく構成が上手い。
自分が隠した酒の場所も忘れ、金が無くなると他人のバッグを盗もうとする。せっぱ詰まったドンは、作家の命であるタイプライターを質に出そうとするが、その週の土曜日は店休日。ついには、知り合いの女性に物乞いのような事までする。
終盤では、依存症の男達が一時的に収容される場所が出てきて、そこでは幻覚におびえる様子が凄まじい迫力で描かれる。これも、その後のドンの幻覚症状の伏線になっている。
ラストは倫理上の都合からでしょう、希望的余韻を残したものとなっていますが、中身はスリラー映画のように緊迫感溢れるドラマでした。
ドンとヘレンとの馴れ初め、アルコールに溺れる理由などは、ワイルダーお得意の過去話の挿入により語られます。前年度の「深夜の告白(1944)」は中盤全てが回想という形式でしたが、今回は「情婦(1957)」のように、序盤に使われていました。
ラストシーンは、オープニングを逆まわししたような映像で、洒落てます。
チャールズ・R・ジャクソンの原作を、ワイルダーとチャールズ・ブラケットが脚色。ブラケットはプロデューサーでもあります。
不安な心理状態を表現した音楽は「ベン・ハー(1959)」でオスカー受賞のミクロス・ローザ。カメラ担当のジョン・サイツと共に、ワイルダーとは前作「深夜の告白」に続いての仕事です。
レイ・ミランドは、大根役者として有名だったらしいですが、この作品で見事オスカーを受賞、名優の仲間入りとなりました。私にはその後の、ヒチコックの「ダイヤルMを廻せ!(1954)」で妻のグレース・ケリーを殺そうとする夫役や、「ある愛の詩(1970)」のライアン・オニールの父親役で印象深い俳優です。
ジェーン・ワイマンは大昔、TVの吹き替えで観た「子鹿物語(1947)」で初めて逢いました。あの時は冷たいお母さん役だったように記憶していますが、今作では恋人を助けようと苦心するけなげな女性の役でした。
1945年のアカデミー賞では、作品賞、主演男優賞、監督賞、脚色賞を受賞、白黒撮影賞、劇・喜劇映画音楽賞、編集賞などにもノミネートされたとのこと。
その他、カンヌ国際映画祭 、NY批評家協会賞、ゴールデン・グローブ賞でもワイルダーやレイ・ミランドが栄誉に輝いたそうです。
アルコール依存症の男が主人公のワイルダーの名作というのは知っていたけど、実は未見。「失われた週末」というタイトルの意味も謎として残っていました。こういうお話だったんですな。原題もそのまんま、【The Lost Weekend】でした。
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ニューヨークの摩天楼を遠景で捉えたカメラがゆっくりと右にパンすると、近くのアパートの上階が見えてくる。開け放たれた窓の下には何やら紐にぶら下がった瓶の様なモノが見えているが、カメラはそれに構わず、窓の奥にいる二人の男に寄っていく。
男たちの会話で、二人が兄弟であること、弟の方が病院を退院したばかりで、その病気がアルコール依存症だった事が分かる。弟の療養を兼ねて、二人してこれから田舎の町へ週末を利用して列車で帰ろうと荷造りをしているところだった。弟は窓の外の酒瓶の存在を知っているようで、兄の目を盗んでそれを取り込もうとしている事も分かる。
弟の名前はドン・バーナム(ミランド)。
大学時代に学内誌に次々と文章を発表し天才と呼ばれた男。“リーダーズ・ダイジェスト”に売れた作品も有り、天才は卒業を待たずしてタイプライターを持ってニューヨークへ出る。何冊か小説を発表するが、どれも成功とは言えず、次第に自信を無くしていく。それがアルコールに溺れる原因だった。酒が入ると頭の中に素晴らしい作品が生まれるのだ。だが、酔いが醒めると全てが消え去ってしまう、そんな事の繰り返し。おかげで、33歳になるというのに、未だに真面目な兄のアパートで居候暮らし。お小遣いさえ貰っている。
さて、ドンと兄ウィック(テリー)が荷造りしている所に、一人の女性が訪ねてくる。ドンの恋人のヘレン(ワイマン)である。ドンの為に本やタバコ、ガム等を手土産に挨拶に来て、この後、もらったチケットでカーネギー・ホールのクラシック・コンサートを聴きに行くと言う。チケットは2枚あるが連れはいないというヘレンに、それは寂しい、余っているもう一枚を兄貴が使えとドンは言う。自分は荷造りした後に昼寝をしたいし、予定の列車には間に合いそうにないから一つ後の列車にしようと言うのだ。10日間断酒してきたドンだが、どうやらアルコールが恋しくなってきているようだった。
偶然、窓辺の酒瓶を見付けたウィックは、一人になって酒を飲む気だったのではと言うが、ドンは、それはずっと前に隠していたモノですっかり忘れていた、そんなに疑うのなら田舎には行かないぞと言い返す。弟を信用することにしたウィックは、酒瓶に残っていた液体を洗面所で流し、ヘレンと出かけるのだった。
『外に(酒を)買いに出かけないかしら?』
『金は渡してないし、ツケもきかないようにしている。それに、家中の酒もくまなく探して、全て捨てたから大丈夫だ』
二人が出かけた後のドンの様子が、依存症患者の浅ましさを表すと共に、これまでのウィックの苦労も想像させる。洗面所の物入れ、ベッドの下、そして掃除機の中、かつて酒瓶を隠していた場所を探っていくドン。やはり無い。あきらめかけていたその時、ドアをノックする音がする。誰? ドア越しに聞くドン。通いの家政婦だった。
『出直してくれ、月曜日にでも』
『週末だから、お給金をもらう日なんですが・・・』
この会話が、ドンの運命を変えた。家政婦から聞き出した場所にお金を見つけ、彼女にはお金は無かったと嘘をつく。早速街へ出かけて、そのお金で酒を買い、更に馴染みのバーに行く。うんざり顔のマスターに、酒屋で買ったモノは田舎に隠し持って行くつもりだと自慢げに話すドン。夕方の列車に間に合うようにと、マスターには45分前に知らせるように頼んでいたのだが・・・。
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木曜の午後に始まった話は、この後火曜日まで続く。ほとんどは、ドンの一人芝居だ。
結局、列車の時間に間に合わなかったドンは、ウィックともヘレンとも顔を会わさずに金曜日を迎え、その日も朝から件のバーへ入る。このバーは度々出てきて、マスターのナット(シルヴァ)がいわば狂言廻しとなる。
お金があるうちは元気がいいが、切れたアルコールを補充する術が無くなると悲壮感が漂ってくる。ナットの前に徐々に違う顔をみせていくドンの様子に、そんなアルコール依存症の怖さが描かれていく。
『目が覚めたときに、冷や汗が出ることはないか? 外の明るさが朝なのか夕方なのか考えることはないか? 朝だったらガッカリする。ましてや、その日が日曜日なら最悪だ。酒場は開いてないし、日曜日なら夕方まで休みだ』
そんなアル中の嘆きをドンが告白するが、その後、その恐怖が現実のものとなっていく構成が上手い。
自分が隠した酒の場所も忘れ、金が無くなると他人のバッグを盗もうとする。せっぱ詰まったドンは、作家の命であるタイプライターを質に出そうとするが、その週の土曜日は店休日。ついには、知り合いの女性に物乞いのような事までする。
終盤では、依存症の男達が一時的に収容される場所が出てきて、そこでは幻覚におびえる様子が凄まじい迫力で描かれる。これも、その後のドンの幻覚症状の伏線になっている。
ラストは倫理上の都合からでしょう、希望的余韻を残したものとなっていますが、中身はスリラー映画のように緊迫感溢れるドラマでした。
ドンとヘレンとの馴れ初め、アルコールに溺れる理由などは、ワイルダーお得意の過去話の挿入により語られます。前年度の「深夜の告白(1944)」は中盤全てが回想という形式でしたが、今回は「情婦(1957)」のように、序盤に使われていました。
ラストシーンは、オープニングを逆まわししたような映像で、洒落てます。
*
チャールズ・R・ジャクソンの原作を、ワイルダーとチャールズ・ブラケットが脚色。ブラケットはプロデューサーでもあります。
不安な心理状態を表現した音楽は「ベン・ハー(1959)」でオスカー受賞のミクロス・ローザ。カメラ担当のジョン・サイツと共に、ワイルダーとは前作「深夜の告白」に続いての仕事です。
レイ・ミランドは、大根役者として有名だったらしいですが、この作品で見事オスカーを受賞、名優の仲間入りとなりました。私にはその後の、ヒチコックの「ダイヤルMを廻せ!(1954)」で妻のグレース・ケリーを殺そうとする夫役や、「ある愛の詩(1970)」のライアン・オニールの父親役で印象深い俳優です。
ジェーン・ワイマンは大昔、TVの吹き替えで観た「子鹿物語(1947)」で初めて逢いました。あの時は冷たいお母さん役だったように記憶していますが、今作では恋人を助けようと苦心するけなげな女性の役でした。
1945年のアカデミー賞では、作品賞、主演男優賞、監督賞、脚色賞を受賞、白黒撮影賞、劇・喜劇映画音楽賞、編集賞などにもノミネートされたとのこと。
その他、カンヌ国際映画祭 、NY批評家協会賞、ゴールデン・グローブ賞でもワイルダーやレイ・ミランドが栄誉に輝いたそうです。
・お薦め度【★★★★★=大いに見るべし!】
ご存知のように(ご存知でない・・かも^^)
歌習ってる関係で、ライヴに行くでしょ、
ジャズでしょ、コンコロモチいいでしょ、
やっぱ、飲んじゃうのよね~これが~。(笑)
でも
以前みたいにアホタンキョな飲み方は、やめました。
だいたい、私しゃ、ディーン・マーチンじゃないんですから
酔うほど飲みますと、歌えなくなりますもの~(笑)
>希望的余韻を・・・
ミランドがあまりにもお酒に支配されている描写が強烈過ぎて、
にわかには、幸せになれるん?この人~でした(--)^^
やっぱね。飲んじゃいますよね
前回の「夜を楽しく」を見てから、ドリス・デイのCDをレンタルして、その後は、ビル・エヴァンスやハービー・ハンコックもレンタル、昔の“バード”やスタン・ゲッツのCDも聴き直しています。
>にわかには、幸せになれるん?この人~でした(--)^^
現実的に考えれば、とてもじゃないが、そう簡単には治りそうにないドンでした。
ただ、あちらの映倫は倫理上の問題に敏感なので、多分ああいう風に描かざるを得なかったと読みましたです。
なにせ、「泥棒貴族」のケーリー・グラントとグレースのラブ・シーンに文句を付けて、花火のシーンに替えさせたくらいですからネ。
レイ・ミランドって、この作品で始めて認識した役者さんでした。ちょっとジェームズ・スチュワートとケーリー・グラントに似ているなーと思いました。未見の「ダイヤルMを廻せ!」がもうすぐNHKBSで放送予定なので、楽しみにしてます。
その後「ある愛の詩」。これは劇場でしたね。ツルッ禿の恰幅の良いオジさんで、如何にも名家の出という感じが良く出ていまして、昔大根だったなんて信じられませんでした。
「ダイヤルM」は面白い映画なので、今回は録画しようと思っています。
中毒患者の苦しみをリアルに描き切り、演じ切った映画として、「黄金の腕」(1956年.オットー・プレミンジャー監督.フランク・シナトラ主演)と双璧だと私は思います。
ユダヤ人の質屋が全て休業している場面が特に印象に残ります。
横並びの一斉休業。日本みたいだなぁと変な感想を持ちました。^^