映画には秘密やウソを抱えた人々がしばしば登場し、それがサスペンスやドラマを生む。それらのウソは最後には何らかの形で明らかにされて観客にもカタルシスが生まれる。ウソや秘密は巧妙に取り込まれれば映画としてとても面白いモノになるのは、映画ファンはとっくにご存じだろうが、そんな映画の中で僕が最も好きなのが「ローマの休日」だ。
「ローマの休日」は主人公の男女がお互いに相手に対して隠し事をしていて、しかも観客はどちらのウソも知っている。もしも最後に秘密が明かされたなら悲しい結末になりそうな予感もしてしまう。ところがその結末は隠していた真実が明かされたにもかかわらず優しく暖かい人情に包まれ、登場人物にも観客にとっても美しく愛おしい想い出となって残っていく。
先夜、偶然に観たTV番組、NHKBSプレミアム『BS歴史館 シリーズ ハリウッド100年』は、最初のスタジオができて今年で百年を迎えるハリウッドの、一時代を画した名画を取り上げて、そこに纏わるエピソードからアメリカ現代史の光と影に分け入っていこうというモノだった。1時間の番組だったらしいが、僕が観たのは後半だけ。出演は東大教授の藤原帰一、映画評論家の上島春彦、女優の斉藤由貴、そして作家の中村うさぎ、ナレーターが奥田民義。この夜が2回シリーズの初回で、取り上げた映画が「ローマの休日」だった。副タイトルには“赤狩りの嵐の中で”と表記されている。
グレゴリー・ペック、オードリー・ヘプバーン主演のこの映画は、ストーリー上の設定として男女の主人公がそれぞれに秘密を抱えているが、実は映画の製作そのものにも諸々の秘密があったという、映画製作の裏話が明かされていて、面白い番組だった。
NHKの番組紹介を転載すると・・・
<1993年、ある脚本家の遺族に「ローマの休日」(53年)のアカデミー脚本賞が40年ぶりに渡された。受賞者の名はダルトン・トランボ。戦前はハリウッド有数の売れっ子脚本家だったが、戦後にアメリカ映画界から追放され、偽名で「ローマの休日」を書き上げていた。背景には、アメリカに吹き荒れた共産主義者追放運動、“レッド・パージ(赤狩り)”があった。ハリウッドもその嵐に見舞われるなか、希代の傑作が作り出される。>
トランボが使った偽名、イアン・マクレラン・ハンターというのは今までてっきり架空の人物だとばっかり思っていたが、この人は実在したイギリス人脚本家だった。トランボの友人で、名義貸しに協力したわけだ。
当初パラマウントが主演の二人にケーリー・グラントとエリザベス・テイラーを予定していたことも、今回のTV番組で初めて知った。ネットで調べると、最初に脚本に興味を示したのはフランク・キャプラだったが、キャプラの提示した予算が高額なモノだったので、パラマウントは監督にウィリアム・ワイラーを指名したらしい。
フランスとドイツの国境にあるアルザス地方出身のワイラーは苦労してハリウッドの大監督になったユダヤ人であり、ユダヤ人排除の意図もあった“レッド・パージ(赤狩り)”には最初から反対の意志を表明していた。しかしヒステリックなまでの世論には勝てず何人もの友人がハリウッドを追われ、無力感に包まれた。その後、彼なりの抗議運動を貫いた。その一つが「ローマの休日」の製作だった。
NHKの番組にはワイラーの長女もインタビュイーとして映像が出てきた。彼女は『ハッキリと本人から聞いてはいないが、父はこの脚本がダルトン・トランボの手によるものと知っていたと思う』と証言した。
プロデューサーも兼任したワイラーは、自由な製作が出来るようにハリウッド式のスタジオ撮影を拒否して、全編ローマでのロケーション撮影とした。その為に嵩んだ製作費を押さえるべくカラーではなく、モノクロフィルムにした。
『この映画は、撮影、編集の全てをローマで行った』
ワイラーは映画の冒頭にわざわざこんな注釈文を流しているが、何よりも、ハリウッドから離れることによって、赤狩りによって職を無くした友人達と仕事が出来ることを望んだのだ。
クレジットはされていないが、共同プロデューサーには戦時中に友人となったレスター・コーニグを選任しローマに連れて行った。コーニグもやはり赤狩りでハリウッドを追われた一人だった。
スタジオが構想していた主演の人選もワイラーは拒否した。主演のグレゴリー・ペックは、ワイラー等が設立した“赤狩り”抗議団体に最初に参加した俳優だった。
そんな風に、ローマにはワイラーの信頼の置ける人々だけを連れて行き、それ以外のスタッフは現地のヨーロッパの人々を使った。撮影は「美女と野獣(1946)」、「愛人ジュリエット(1950)」などのアンリ・アルカン、音楽には同じく「美女と野獣」や「夜ごとの美女(1952)」などのジョルジュ・オーリックと、フランスの大ベテランに協力を仰いだ。
ワイラーがこの映画の監督を引き受ける条件に主役を自由にキャスティング出来る事もあげていて、主演のアン王女には、当時ブロードウェイで上演されていた「ジジ」の主役を務めていたオードリー・ヘプバーンの演技を見たワイラーがヒロインに抜擢した。
ベルギー生まれのイギリス人だが、第二次世界大戦中には母方の国であるオランダで暮らしていた。スクリーンテストの映像も幾つか残っているが、番組で紹介した面接映像では、戦時中はバレエの公演で得たお金をレジスタンスに渡していた事も明かしている。
この映画の中でも有名なシーンに“真実の口”の前でのやりとりがある。
“真実の口”は海神トリトーネの顔がレリーフのように刻まれている石の彫刻だが、小さく空いたその口に手を入れると、偽りの心がある者はその手首を切り落とされる、あるいは手が抜けなくなるという伝説がある。
グレゴリー・ペック扮するジョーがアン王女を案内し、伝説を聞かせた上でその口に手を入れることを提案する。無邪気な王女はビビって断るが、替わりにやって見せたジョーは、突然腕ごと口の中に引き込まれ・・・、というユーモラスなシーンだ。
これ、実はトランボの脚本には無かったシーンで、ペックの演技もアドリブだったらしい。多分、ローマに着いた後に伝説を聞いたワイラーが付け加えたのだろう。
『嘘をついている二人が主人公だから、どうしてもこのシーンは映画のどこかに入れたいと思っていた』
NHKの番組では、当時“赤狩り”の中で虚偽の証言をして同業者を陥れた人々も居ただろうから、これは意味深なシーンですよね、と言った出演者もいた。
番組の中には、トランボの娘さんもインタビュイーとして出てきて、デジタル・リマスターによって、「オリジナル・ストーリー by ダルトン・トランボ」とクレジットされた「ローマの休日」を観ていた。彼女はラストシーンでのジョーと王女の別れ、そして王女の言葉に涙した。ジョーの誠実さに感謝した王女の、私は人間を信じていると言う言葉は、父の言葉に間違いないと言って・・・。
尚、「ローマの休日」を直訳すれば「Holiday in Roma」となるはずだが、実際の原題は「Roman Holiday」。これにはローマ帝国時代、一般の休日に奴隷の剣闘士を戦わせる見世物を市民たちが楽しんだことから「他人を苦しめ楽しむ」、「面白いスキャンダル」といった意味があるらしい。(ウィキペディア参照)
「ローマの休日」は主人公の男女がお互いに相手に対して隠し事をしていて、しかも観客はどちらのウソも知っている。もしも最後に秘密が明かされたなら悲しい結末になりそうな予感もしてしまう。ところがその結末は隠していた真実が明かされたにもかかわらず優しく暖かい人情に包まれ、登場人物にも観客にとっても美しく愛おしい想い出となって残っていく。
先夜、偶然に観たTV番組、NHKBSプレミアム『BS歴史館 シリーズ ハリウッド100年』は、最初のスタジオができて今年で百年を迎えるハリウッドの、一時代を画した名画を取り上げて、そこに纏わるエピソードからアメリカ現代史の光と影に分け入っていこうというモノだった。1時間の番組だったらしいが、僕が観たのは後半だけ。出演は東大教授の藤原帰一、映画評論家の上島春彦、女優の斉藤由貴、そして作家の中村うさぎ、ナレーターが奥田民義。この夜が2回シリーズの初回で、取り上げた映画が「ローマの休日」だった。副タイトルには“赤狩りの嵐の中で”と表記されている。
グレゴリー・ペック、オードリー・ヘプバーン主演のこの映画は、ストーリー上の設定として男女の主人公がそれぞれに秘密を抱えているが、実は映画の製作そのものにも諸々の秘密があったという、映画製作の裏話が明かされていて、面白い番組だった。
NHKの番組紹介を転載すると・・・
<1993年、ある脚本家の遺族に「ローマの休日」(53年)のアカデミー脚本賞が40年ぶりに渡された。受賞者の名はダルトン・トランボ。戦前はハリウッド有数の売れっ子脚本家だったが、戦後にアメリカ映画界から追放され、偽名で「ローマの休日」を書き上げていた。背景には、アメリカに吹き荒れた共産主義者追放運動、“レッド・パージ(赤狩り)”があった。ハリウッドもその嵐に見舞われるなか、希代の傑作が作り出される。>
トランボが使った偽名、イアン・マクレラン・ハンターというのは今までてっきり架空の人物だとばっかり思っていたが、この人は実在したイギリス人脚本家だった。トランボの友人で、名義貸しに協力したわけだ。
当初パラマウントが主演の二人にケーリー・グラントとエリザベス・テイラーを予定していたことも、今回のTV番組で初めて知った。ネットで調べると、最初に脚本に興味を示したのはフランク・キャプラだったが、キャプラの提示した予算が高額なモノだったので、パラマウントは監督にウィリアム・ワイラーを指名したらしい。
フランスとドイツの国境にあるアルザス地方出身のワイラーは苦労してハリウッドの大監督になったユダヤ人であり、ユダヤ人排除の意図もあった“レッド・パージ(赤狩り)”には最初から反対の意志を表明していた。しかしヒステリックなまでの世論には勝てず何人もの友人がハリウッドを追われ、無力感に包まれた。その後、彼なりの抗議運動を貫いた。その一つが「ローマの休日」の製作だった。
NHKの番組にはワイラーの長女もインタビュイーとして映像が出てきた。彼女は『ハッキリと本人から聞いてはいないが、父はこの脚本がダルトン・トランボの手によるものと知っていたと思う』と証言した。
プロデューサーも兼任したワイラーは、自由な製作が出来るようにハリウッド式のスタジオ撮影を拒否して、全編ローマでのロケーション撮影とした。その為に嵩んだ製作費を押さえるべくカラーではなく、モノクロフィルムにした。
『この映画は、撮影、編集の全てをローマで行った』
ワイラーは映画の冒頭にわざわざこんな注釈文を流しているが、何よりも、ハリウッドから離れることによって、赤狩りによって職を無くした友人達と仕事が出来ることを望んだのだ。
クレジットはされていないが、共同プロデューサーには戦時中に友人となったレスター・コーニグを選任しローマに連れて行った。コーニグもやはり赤狩りでハリウッドを追われた一人だった。
スタジオが構想していた主演の人選もワイラーは拒否した。主演のグレゴリー・ペックは、ワイラー等が設立した“赤狩り”抗議団体に最初に参加した俳優だった。
そんな風に、ローマにはワイラーの信頼の置ける人々だけを連れて行き、それ以外のスタッフは現地のヨーロッパの人々を使った。撮影は「美女と野獣(1946)」、「愛人ジュリエット(1950)」などのアンリ・アルカン、音楽には同じく「美女と野獣」や「夜ごとの美女(1952)」などのジョルジュ・オーリックと、フランスの大ベテランに協力を仰いだ。
ワイラーがこの映画の監督を引き受ける条件に主役を自由にキャスティング出来る事もあげていて、主演のアン王女には、当時ブロードウェイで上演されていた「ジジ」の主役を務めていたオードリー・ヘプバーンの演技を見たワイラーがヒロインに抜擢した。
ベルギー生まれのイギリス人だが、第二次世界大戦中には母方の国であるオランダで暮らしていた。スクリーンテストの映像も幾つか残っているが、番組で紹介した面接映像では、戦時中はバレエの公演で得たお金をレジスタンスに渡していた事も明かしている。
この映画の中でも有名なシーンに“真実の口”の前でのやりとりがある。
“真実の口”は海神トリトーネの顔がレリーフのように刻まれている石の彫刻だが、小さく空いたその口に手を入れると、偽りの心がある者はその手首を切り落とされる、あるいは手が抜けなくなるという伝説がある。
グレゴリー・ペック扮するジョーがアン王女を案内し、伝説を聞かせた上でその口に手を入れることを提案する。無邪気な王女はビビって断るが、替わりにやって見せたジョーは、突然腕ごと口の中に引き込まれ・・・、というユーモラスなシーンだ。
これ、実はトランボの脚本には無かったシーンで、ペックの演技もアドリブだったらしい。多分、ローマに着いた後に伝説を聞いたワイラーが付け加えたのだろう。
『嘘をついている二人が主人公だから、どうしてもこのシーンは映画のどこかに入れたいと思っていた』
NHKの番組では、当時“赤狩り”の中で虚偽の証言をして同業者を陥れた人々も居ただろうから、これは意味深なシーンですよね、と言った出演者もいた。
番組の中には、トランボの娘さんもインタビュイーとして出てきて、デジタル・リマスターによって、「オリジナル・ストーリー by ダルトン・トランボ」とクレジットされた「ローマの休日」を観ていた。彼女はラストシーンでのジョーと王女の別れ、そして王女の言葉に涙した。ジョーの誠実さに感謝した王女の、私は人間を信じていると言う言葉は、父の言葉に間違いないと言って・・・。
尚、「ローマの休日」を直訳すれば「Holiday in Roma」となるはずだが、実際の原題は「Roman Holiday」。これにはローマ帝国時代、一般の休日に奴隷の剣闘士を戦わせる見世物を市民たちが楽しんだことから「他人を苦しめ楽しむ」、「面白いスキャンダル」といった意味があるらしい。(ウィキペディア参照)
真実の口のシーンの裏話やラストの王女のセリフに込められた意味、十瑠さんのおかげで聞き逃していた部分を補完できました。
シンプルで王道なのに誰からも愛されるのは、こうやってこの作品を生み出した人々の想いを、無意識のうちに感じ取ってるからかもしれませんね~。
>誰からも愛されるのは、こうやってこの作品を生み出した人々の想いを、無意識のうちに感じ取ってるからかもしれませんね~。
そういうとこ、あるでしょうね。えてして、名作というのはそう言うところがあるものかも知れません。