谷中の全生庵の「幽霊画」の公開を見てきました。http://www.theway.jp/zen/yuureiga_goaisatsu.html
8月1日~8月31日(土日祝祭日も開館) 午前10時~午後5時迄、入館料:500円
掛け軸が40点ほど。美しいの、怖いの、妙なの、グロいのと勢ぞろい。
でも総じて、重くなくすうっと、涼やか。やはりコレは夏にこそです。少しですが、絵ハガキが売られていました。
以下備忘録です。
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・丸山応挙は、元祖・足のない幽霊。静かな笑みに高雅さを保ちつつ、すうっとそこにたたずんでいる。特に恨みを残してなさそうで、ほッ。
・おおっと見惚れたのは、渡辺省亭。(こちらの3Pめの右端)。 火鉢の前で、よよと泣き崩れる幽霊。どんなに悲しい思いを残して亡くなったんでしょう。袖で覆った顔は見えないのに、美人画といっても過言ではない美しさ。火鉢の火があやしく赤く、けむりがあの世かこの世か。かすかに着物から手の指と、座り込んだ足のかかとと足の裏が見えて、その美しいこと。
・さすが師匠、王道のうまさ!と拍手したくなったのが、松本楓湖「花籠と幽霊」1875
今村紫紅や速水御舟ほか300人の師。片手では髪をつかみ、もう片手では花籠から恨みに任せてカーネーションをむしり取る。長押に掛けた画の月の光が、幽霊を浮かび上がらせる。線がたいへんに緻密に美しく、墨の濃淡も絶妙で、溜息もの。楓湖のお墓はこの全生庵にあるそうな。
・見られてうれしかったのが、飯島光峨。(こちらの1Pめの右端)。木魚が置かれているのだけど、不気味にどくろのよう。よく見ると、下方には無念さをストレートに放つ目が描かれている。これはむしろ付喪神とのこと。暁斎記念館以来の再会。当時は花鳥で売れっ子絵師だったそうなのに、今はなかなか見る機会がなく、ここで光峨にあえて良かった。
全生庵のHPを読むと、明治8年に柳橋の料亭「柳家」で円朝が怪談会を催し、会場に飾る幽霊画を、当時円朝が親交を結びはじめた光峨に依頼した、と。幽霊画はそういう催しの用途があったのね。
他にも円朝の旧蔵の幽霊画からは、円朝の交友関係が読み取れるという。川端玉章、光峨、永湖、暁斎、柴田是真、勝文斎は当時の「日本橋区」で円朝のご近所さん。そして彼らの弟子筋の幽霊画で構成されている。
・月岡芳年も、暁斎の師国芳の弟子というつながり。
「宿場女郎図」
どこかの宿場で実際に見かけた女郎であると解説があった。幽霊というよりも、辛い境遇に病み、老いた女性の現実感。幽霊画にしてしまってはあまりな。
・歌川芳延も国芳の門人。「カオナシ」みたい。
「うみぼうず」
浅草にたぬき汁の店を開いたっていう逸話も頷けるかも。円朝の落語に海ぼうずってあるのかな?。
・高橋由一の幽霊画が見られるとは嬉しい。
「幽冥無実の図」
由一は幼少期にから狩野派に学んでいただけあって、掛け軸の縦の余白などこなれているのかな。それにしても、この情けない感じの男性の幽霊と女性との関係は?。女性は遊女かな?。コメントをくださった方に、西洋では男性の幽霊のほうが多いと教えていただいた。由一が西洋画を描いていたってこと関係はないのでしょうけど。
それにしても由一の息子の源吉も浅草寺の大絵馬を描いていたし、高橋親子の地元とのつながりがどのようなものだったか、興味あるところ。
最後に、私的に一番怖いのはこれ。
中村芳中「枕元の幽霊」
ふと目を覚ますと、枕元の上でに~っと笑ってられるのが一番いやだ。
こちらのお寺のご本尊は、江戸城由来の葵の御紋の「葵正観世音」とのこと。この期間は本堂も上がっていいと教えて下さったので、お参りしてきました。
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この日はたいへん涼しい日で、千駄木駅から全生庵経由で、東京国立博物館まで散歩。
前から行ってみたかった、千駄木の古民家のイタリアン「露地」。生ハムとプラム、フォカッチャ付きランチ。おいしい~。
谷根千エリアでも、日暮里から夕焼けだんだん界隈は行ったことがありますが、千駄木界隈は初めて。
お寺が多く静か。その合間に、小さなお店が点在していて楽しい。
創業明治元年の桐箱屋さん「箱義桐箱店 谷中店」(写真も、快くいいですよとおっしゃって下さいました)。
桐箱が並ぶと清々しいです。
お土産😊。
軽さにびっくり!桐は、木でなく草の仲間だそう。小箱でも、隙間やゆがみもなく、ぴったりとしまっています!
一目ぼれ。口がぱくぱく動く~。
お寺が多い界隈は静か。
カヤバ珈琲も一度は行ってみたいですが、並んでいました。
「谷中ビアホール」
共用スペース「みんなのざしき」
なんとなく東博に到着。
紅白のさるすべりが満開。
楽しい散歩でした。
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