hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●東博の常設1 二躯の座像、鵜図屏風、熱国之巻など

2017-10-01 | Art

9月下旬の東博の常設の記録です。

二階の11室は、彫刻。運慶展の前だったけれど人が多かった。

この日は二躯の座像に足が停まる。すわっている姿の仏像の周りは、立っている像の周りとは違う時間の流れ。ゆったりと整えてくれる。

如意輪観音菩薩坐像・鎌倉時代

のびやかだという第一印象だった。足や手の自由でいて複雑に絡まるところに魅せられてしまったのか?。

目の動きは、意志と思索に満ちていた。人間くさいところに魅かれたのかもしれない。

 

(重文)阿弥陀如来坐像 ・京都府船井郡京丹波町・長楽寺伝来、1147

ゆったりとしたお姿に安心感。座っているひとのそばにいるということは、癒されるものなのだなあと思う。

多忙な?仏さまも、さきさき行かずに腰を下ろして、ここにいてくれる。そのstay感に、こちらもいろいろなものをしょったりなにかに追われたりしていても、ここでは荷を下ろして空白になる。

 

重文の千手観音像(京都妙法院)の三躯(撮影不可)は、それぞれ院承、隆円、湛慶の作。影もふくめて別の世界にいるようだった。

彫刻では、14室にも、運慶展の関連展示があった(運慶の後継者たちー康円と善派を中心に 12月3日まで)けれども、時間が足りなくなりそうなので、運慶展の時に見ましょう。

 

 

15室の「歴史の記録 徳川将軍家の栄華」

山田幾右衛門「大名行列人形」に、へへ~っとひれふす。幾右衛門は御用槍師とのこと。なんて器用な槍師がいたものだ。行列では槍先が布に覆われていて見えないのが残念。これは17組のうちの1組にすぎない。大名行列の長さ!

 

幕府の日常が見える展示が面白い。

狩野養信「江戸城障壁画 西の丸表 上段の間 下絵伺」 1839年と1844年の江戸城造営の際に命じられたもの。養信といえば、先日の板橋美術館で異彩を放っていた「模写魔」さんでは。

養信の1841年の日記も展示されていたけれども、読み取れなかったのが残念。奥絵師の役割や、将軍家慶から大奥小座敷の襖絵についての指示などが記されているページだった。

 

江戸城については、1871年の横山松三郎撮影の鶏卵紙の写真もあった。シチュエーションがよくわからないけれど、維新の開城あとの閑散とした印象。

「日光東照宮御大祭略図」歌川国輝 とぐろをまくような千人行列

「将軍家駒場鷹狩りの図」模写 富士山とススキ野原が印象的。横一列になって追い込んでいく。

「松戸御船橋之図 」は松戸での鹿狩りのため舟で入った時の浮橋。

「御召御関船天地丸御船絵図面」も。

 

 

アイヌ民族の文化のコーナーでは、この日は「食」に関する特集。食べることは、やっぱり親しみがわく。

村上貞介秦あわきまろのルポ絵はいつも楽しみ。

鮭もアザラシも新鮮なのが。

詞書になにやら、雌魚、雄魚、魚卵、川底に、、などと読み取れる。次年の漁のことを考えてなにかアイヌの知恵と工夫があるのだろうか?

ほお、このようなトラップが。

実物も展示。

三世代で、いろりとお鍋を囲む。鮭やアザラシはスープ煮になったのかな。昔話のようなほのぼの感。

 

 

18室へ。

菊池容斎「蒙古襲来 」1847 縦2mを超える大画面 

薙刀を振り下ろしたかのような筆に、気迫と愛国心がみなぎっているかのよう。

 弟子の渡辺省亭に、三年間は習字ばかりさせ、見てきたものをすぐに筆で再現できないと厳しく叱責したという容斎。この絵を見るとそれも納得。浅草の大絵馬「堀川夜討」も緊迫感があった(日記)。

 

幸野楳嶺「秋日田家 」1892~93 そびえる山からジグザグと里に下りてくる。山並みも里の民家も美しい。

これもシカゴ・コロンブス博の出品作。高島屋では輸出用の品々を手掛けた楳嶺。外国人に見てほしい、外国人が見たい、そういう日本の原風景なのかも。

柿、ススキ、井戸、サトイモの葉、そして母親とおんぶされた赤ちゃん。ここだけでも絵になっている。

二宮金次郎がいた。薪をしょって本を手に。

 

 菱田春草「田家の烟」1906 なんともいえない静かな村のたたずまい。

煙突からたなびく胡粉の煙も温かい生活感。どこにもとげがない。春草って本当に愛されるべき人だと思う。

 

その春草の死を悲しみ、翌年に下村観山が描いた、「鵜図屏風」1912

ずっと見たいと思っていたれど、実物がこんなに悲しみが伝わる絵だとは。

たらしこみが絶望感を現す時もあるのか。

とびたってしまった小鳥に、もうなすすべもない鵜。ここだけ細密に描かれているので、悲しみに臨場感が増すのだろうか。

冷たい空気が吹き抜けるような真ん中の空間を隔てて、いくぶん下向きな小鳥。この角度がいけない。悲しくせつなくなる。

観山は冷静な画風の印象なのに、ときに気持ちの震えを感じる絵がある。

 

重文の今村紫紅「熱国之巻」1914が公開されていた。 「朝之巻」「暮之巻」があるうちの「暮之巻」

紫紅は、原山渓からの援助金を渡航費用にあて、ラングーン経由でカルカッタに15日間滞在した。

ここはカヤというガンジス川の支流の街らしい。

オレンジがまさに熱帯。でも日本画的な筆と紫紅独特の薄い色彩と金砂子のおかげか、エスニックさが際立つわけでもないのが不思議。

支流はからカヤの街に流れ込む。この青い波の線、いいなあ。

上陸しましょう。黒い鶏が水辺に。

村の入り口には鳥が舞い、西日はオレンジ色が増して、強さが金砂子によってきらめいている。

紫紅の新鮮な感動。アジアの雑踏は魅力的。

三人の女性が滑るように歩く。しっくいの壁。白やぎ、黒やぎ、壺。軒下で昼寝する男性。どれもこれもアジアンなゆるさ。

好きなシーンがいくつもある絵巻だった。楽しいひと時でした。

 

18室の最後は、「百瀬惣右衛門「銅蟹蛙貼付蝋燭立」1873 ウイーン万博出品作。

ガレを思い出したアールヌーボーなフォルムだけれど、無常感。枯れた蓮の種に、首を垂れた葉。蟹はハサミでカエルの足を引っ張る。

自然の情景のような、人の気配もするような。縄で束ねられていた。逆側では、蟹はその縄を挟んでいる。不思議な蝋燭たて。

 

洋画では、伊藤快彦「八瀬の女」1918、満谷国太郎「二階の女」1910など。

 

二階へ上がる前に、トーハク君とゆりのきちゃんに遭遇。(どなたかの腕が映りこんでしまいました。すみません。)

本名は、あずまひろしさんでしたね。名刺ありがとう。またね。

(二階に続く。)