はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

短編・尚(こいねがわ)くば恒久の友たらんと 前編

2018年06月30日 20時09分03秒 | 短編・尚くば恒久の友たらんと
趙雲はぼう然とおのれの拳をみつめ、そして、地面に伏して、これまたぼう然としている魏延の顔を見下ろした。
趙雲は、自分が公の場で、しかも職務中に、激昂して人を殴るような真似はしないと、自分を信じていたし、その逆で、己をぼう然と見上げている魏延もまた、趙雲という男が、たとえどんなに無体を働いても、じっと忍耐をして見過ごしてくれる大人しい男だと思っていたようである。
周囲の者も押し黙った、異様な緊張に耐え切れず、趙雲は、らしくもなく口ごもりながら、言った。
「す、すまぬ」
魏延は、趙雲の発した言葉の意味が掴みかねている様子で、しばし目をぱちくりとさせながら、殴られた頬をさすっている。
唇が切れたらしく、その浅黒く日焼けした肌に、鮮やかな血がひとすじ、垂れた。
趙雲は、どうして自分がこんなことをしたのか、魏延の頬を殴ったおかげで、じんじんと痛む拳とともに考えようとしたが、記憶が真っ白になっており、断片的にしか繋げることができない。

魏延というのは、荊州三郡を統治していた時に、部隊長として頭角をあらわしてきた男だ。
その剛毅な、いかにも将軍然とした気風のよさが劉備の気に入り、大抜擢されて一軍をまかされるようになった男である。

趙雲は、たいがいの武将とそつなく関係を結ぶことができたが、唯一駄目なのが、『保身のうまい勘違い者』というものである。
糜竺の弟の糜芳がそうであったように、魏延もまた、おのれの地位を守るために、政治的な側面にも顔を出して、その必要があれば、賄賂をおくるのも、そのための掠奪をするのも、平気な男であった。
そもそもの最初から、こいつとは糜芳とのようになりそうだな、という、苦手意識があった。
糜芳というのは、兄の糜竺の声望の影に隠れ、驕慢で放埓な男であった。
弓馬の才能は、軍内でもずばぬけており、弓が一時、ひどく苦手であった趙雲を馬鹿にして、よくあからさまに嫌味を言ってきたものである。
そして魏延というのは、糜芳をさらに進化させたようなところがある。
たしかに軍功を華々しく挙げるし、実際に武芸の才もたいしたものである。口ばかりではないのはわかるが、その口が、いちいち刺々しいのである。
そして、この男からは、『謙虚』と『遠慮』が抜け落ちているらしく、謙譲こそ美徳なり、と信じる趙雲とは、まったく価値観の反する男でもあった。
さらに厄介なことには、この男、趙雲を気に入っていたようである。
と、いうよりは趙雲とは、すでに友であると、自分では思っていたらしい。
魏延側からすれば気の毒なことに、だから気安く口を利きすぎてしまったがゆえの、この結果。
さらに残念なことに、趙雲は、いつ魏延と友だちになったのか、そのあたりのおぼえが、トンとないのだ…だから、趙雲としては、友ではないのだろう。
第一、趙雲の友の定義というのは狭いので、友は片手で数え上げる程度にしかいないのである。
孔明は上司であり別格中の別格で、劉備は『主人』である。
となると、陳到、張飛、関羽……次点が胡偉度や馬良あたりであろうか。費文偉や董允たちは後輩であるから友とはちがうし、董幼宰は、友というよりは同志、といった言葉で括りたい人物だ。
仕事以外での友、となると、たまにいく、ちんまりとして感じのよい飲み屋で顔をあわせる、どこだかの職人だったり商人だったりだが、それとて、
「いやな天気が続きますな」
とか、
「このところ物価が高いのは、政治がいけないのです」
といった、実に無味乾燥で、意味があるような、ないような、あたりさわりのない世間話をする程度。向こうはどう思っているかどうか知らないが、すくなくとも、友というのとはちがうだろう。

それはともかく、友だち(だと思っていた)趙雲からいきなりゲンコツで横っ面を殴り飛ばされた魏延は、目をしばしばとさせながら、ゆっくりと起き上がり、それから、ようやく言った。
「あんた、何考えているのだ」
それは、趙雲が、自分自身に、いちばん聞いてみたいことである。
なぜ殴ったりなんぞしたのか。部下の手前、示しもつかない。最悪ではないか。
「すまない。本当に」
頭で考えるより、もはや反射的に身体が動いていた、といったほうがよいだろう。
ちなみに、真後ろにいきなり立たれたので、殴り飛ばした、などという、刺客や神経質な武人にありがちな理由ではない。
「立てるか」
魏延に手を差し伸べる自分を、まるで他人のように思いつつ、趙雲はそれでも素直に手を伸ばしてきた魏延の、節くれだった指を掴んで、起き上がらせた。
趙雲もうろたえているが、魏延としてもうろたえているらしい。
一体、自分の何が、趙雲の気に障ったのかがわからないでいるようなのだ。
そのため、二人して、次にどのようにしたらよいかわからず、その周囲は、もっとどうしたらよいかわからない、といった状況。
これで陳到のように、世慣れた真のお調子者がいれば、場もいくらか和やかになるのであろうが、あいにくと陳到も、陳到の係累の世慣れたお調子者関係は、たまたま全員が、その場にいなかった。
かくて、不器用なふたりは、殴った者と殴られた者とで、互いにしばし沈黙をつづけていた。

おそらく、魏延も、相手が自分より下位であったり、あるいは後輩であったりしたなら、容赦なく殴り返していただろうが、地位はともかくとして、趙雲は魏延より年も上で、劉備に仕えたのも早い。
遠慮があるために、手を出せないでいるのだが、どうやら時間が経つにつれ、ふつふつと怒りが沸いてきたらしい。
当初はぽかんと間抜けな顔をしていたが、やがて険しいものが兆してきた。
「やはり、納得がいかぬ」
「うむ、そうであろうな」
と、趙雲は素直に認めた。
自分のことを愚弄されたわけでもないのに、問答無用で殴りつけた、こちらに非がある。
趙雲があまりに素直に認めたので、ひるみつつ、魏延は言葉をつづけた。
「某は、事実を端的に述べたまでのことだ」
「なんだと!」
またもや自分のものとは思えないほどの大音声が口から飛び出し、しかもふたたび、ぐっと拳に力が籠められ、趙雲は、ほかならぬ己の拳の力に仰天して我に返った。
魏延はというと、山中でいきなり出くわした虎に吠え掛かられた旅人のように、後ずさり、趙雲の出方を伺っている。
魏延が後ろ足で踏みしめた砂利の音が、さらに趙雲を冷静にさせた。

ふと横目で見れば、合同調練の最中に、いったいこの人たちは、なにを始めたのだろうと、さらに唖然として、佇立する兵卒たちがずらりと並んでいる。
醜態をさらす、とはまさにこのことだ。
おそらく一ヶ月は、このことが兵卒たちのあいだで噂になるだろう。
じっとりと、嫌な汗が、兜をかぶった頭皮から幾筋も流れてきた。
趙雲としては、戦場以外では、滅多にかくことのなかった類いの汗である。
これは、自分はおかしいのだ。
病気なのだ。そうにちがいない。

趙雲は、調練場にずらりと並んだ兵卒たちに向き直ると、高らかに言った(つもりであったが、あきらかに声が震えていた)。
「本日の合同調練は、途中であるが終了とする!」
「なに? まだ始まったばかりであるぞ」
魏延の抗議ももっともで、実のところ、兵卒たちがしたことといえば、兵舎からぞろぞろと集って、整列しただけであった。
「いや、終わりだ」
趙雲は言うと、そのまま振り返りもせずに、調練場を後にした。
兵卒たちは、臨時休暇をもらったようなものだから喜んでいるが、残された魏延と、その部将たちは、なんだ、あれは、任務放棄ではないか、とぶうぶう言っている。
さまざまな声を背に受けて、趙雲は、逃げるように、愛馬にまたがると、町を抜け、いつもの場所へと逃げ出した。

逃げたのだ。

趙雲は、雲厚い成都の町から離れた、険阻な山のちょうど天然の物見櫓のようになっている位置に、どうぞお座りくださいとばかりに用意してある岩の上に座って、ぼう然としたまま、流れ行く雲をながめていた。

俺はだれだ?

趙子龍だ。

なぜ逃げた? 趙子龍は逃げない男であったはずなのに。

わからん。

趙雲のいる位置まで、馬が登ってくることはできない。
そのため、山の中腹で愛馬の赫曄をつないで、単身、ここまで登ってきた。山菜があるわけでもなし、特殊な獣がいるわけでもなし、旅人が立ち寄るにも街道から外れているので、この場所を訪れるものは滅多にいない。
そのため、成都の町と、それをとりかこむ山嶺を見渡せる絶景を、ひとりじめできるのだ。

つづく……

冬の歌い人 後編

2018年06月30日 09時31分26秒 | 短編・冬の歌い人
孔明はというと、腕を強く組み、歌を聴いているとは思えない苦悩の表情を浮かべ、考え込んでいる。
「終わったが」
趙雲が言うと、孔明はうーむ、と唸りながら目を開き、言った。
「ずいぶんと明るい歌だな」
「なに?」
「あなたがそんな歌を唄うとは意外だった。けれど、その歌は、そんな旋律だったろうかね? 常山真定ではそうなのか。瑯琊に伝わった旋律とはだいぶ差があるようだ」
いいつつ、孔明は歌の一節を口ずさんだ。その節回しは、趙雲の記憶にある歌、そのままである。
「そう、それだ、それを唄いたかった」
「唄いたかった、って、いま唄ったではないか。あなたが言うほど、ひどい歌ではなかったぞ。しかし歌詞がどうにもわからぬ。そんなに悲しい内容でありながら、心が浮き立つような旋律で唄うとは、常山真定の人間は変わっている」
「いや、そうではなく、俺は悲しい歌を唄ったつもりだった」
孔明は、しばし柳眉をひそめ、考えた後、言った。
「しかし明るい歌に聞こえた。子龍、それでは明るい歌を唄ってみてくれ。すこしでいいから」
「明るい歌、か」

趙雲は、むかし公孫瓚のところにいたときに覚えた、兵卒たちの歌っている戯れ歌を唄ってみた。
歌詞の内容がきわどいものなので、潔癖症の孔明が雪玉をぶつけてくるかもしれないなと思ったが、しかし、孔明の反応はというと、これまた顔をゆがめて、首をひねっている。
「そのあっけらかんとした歌詞で、どうしてそんな物悲しい歌になる。どうなっているのだ、子龍」
「どうもこうも、俺は明るい歌を唄えといわれたので、そうしたのだが」
すると、孔明は、手振りで待て、というふうにすると、考え込んだ。
「ふむ、悲しい歌を唄ったのに、口から出たのは明るい歌。逆に明るい歌を唄ったのに、口から出たのは悲しい歌」
「どうなっている」
「こちらの台詞だ。やれやれ、あなたという人は、本当にややこしい人だね。あなたの頭と口がうらはらなのだとしか思えない。
もうこうなったら、楽しい歌を唄うときは、悲しい歌を唄っていると思いながら楽しい歌を唄うしかないな」
「どうやって」
「旋律ではなく、歌詞を中心に考えるのだよ。楽しい歌詞を歌うときは、悲しく歌う癖をつけてしまえ。悲しい歌は、その逆だ。あなたの口は天邪鬼で、楽しい歌を勝手に悲しくしてしまうのだから、人に楽しい歌を聞かせたいときは、楽しい歌詞を悲しい旋律で唄うことにしてしまえばいい。あなたの口の天邪鬼は騙されて、楽しい歌詞を楽しい歌で歌うようにしてくれる」
「なにがなにやらわからなくなってきた。歌とは、これほどまでにむつかしいものだったのか?」
「ふつうはここまでややこしくならないよ。もう一度、そのつもりで悲しい歌を頭の中では楽しく歌うつもりで歌ってみろ」

悲しい歌を楽しく。
孔明は簡単に言うが、趙雲は混乱しつつあった。とはいえ、やめるわけにはいかないので、最初からではなく、さびの部分を、楽しく歌うようにした。
だが、悲しい歌を楽しくする、というのは無茶な要求であった。
結果からすれば。
「うーむ、それらしい歌にはなったが、まったく心の籠もっていない歌だな」
「悲しい歌を楽しく唄うことでせい一杯で、頭がおかしくなりそうだ。感情を籠めるなど絶対に無理だぞ」
「困ったな。こうなれば、方法はひとつ。最初に唄った悲しい歌モドキを、常山真定にはこう伝わったのだと言い張って唄いとおせ」
「俺の歌は、あらためてひどかろう」
「ひどいというか、そうだな。変わっているな。かつてあなたの元を去っていた女は、あの歌を聴いて、あなたがふざけているのだと思ったのだろうと思うよ。ちゃんと唄えていれば、もしかしたら運命はだいぶ変わっていたかもしれない」
「でも同じだったかもしれない。歌のひとつでこちらを見捨ててしまえる程度の絆だったのだ」
「やれやれ、さっきから悲しい話ばかり出ているな。歌はもっと陽気で心の浮き立つものなのに」
「手本を見せてくれ。うまいだろう」

趙雲に言われると、とたん、孔明は素直に冷気を吸い込み、歌を唄いはじめた。
孔明は万軍を前に指示を出すために咽喉を鍛えている。その成果が出ているのだろう。
雪の上を寒さに負けず高く飛ぶ鳶のように、声はピンと弓が張ったようにひびき、雪原に伝わってく。
一音一音が、訴えとなって耳に入ってくる。
まったく気を逸らすことができない。
歌を聴くというよりも孔明が歌でつくリ出した世界と対峙するというふうだ。
感情を揺さぶられる。それが孔明の歌の力なのだろう。
歌の世界にすっかり入り込み、その感情に捕らわれ、趙雲は、母が歌っていた当時のことや、陰鬱な実家の様子、好きだった雪かきと、近所の子供たちとの雪合戦などを思い出していた。

孔明の歌が終わると、身近に寄り戻ってきたものは、また雪の向こうにまぎれてしまった。
いまはただ、余韻がある。
「おまえはうまいよ。単に唄がうまいというだけではなく、歌で人の心を揺さぶろうという気持ちがある。これが歌の本来の姿だな。俺なんぞは、歌めかしているが、たんに唸っているだけにも聞こえる」
「でも、聞けない歌ではないよ。子龍、あなたが歌おうとしている歌は、あなたの昔に関わる歌なのだろう」
「そうだ。むかし、母がよく歌ってくれた歌だ」
「ならば、あまりいい加減に唄いたくはないだろう」
「しかし、俺の口は莫迦になったとしか思えない」
「一緒に歌わないか、子龍。合唱をするのだよ。あなたはあなたで、いつもどおりに歌い、わたしが本来の歌を唄う。
合わせてみると、あらふしぎ、感動も二倍、できばえも二倍の見事な芸術が出来上がっている、という次第。そうだよ、一緒に歌おう」
「俺はおまえの足を引っ張るぞ」
「それはどうかな、やってみなければわからない。さっそく練習してみよう、さんはい」

孔明の合図に、趙雲は戸惑いながらもあわせて唄ってみる。
すると、自分の口から出てくるのは、あいかわらず悲しいはずが楽しい歌であったが、孔明は本来どおりの歌を唄った。
「ちょっと賑やか過ぎる部分もあったが、これはいいのではいないか。二部合唱。子龍、恩賞金はわたしたちのものだぞ。あと練習をつめていけば、もっともっと向上するにちがいない」
「そうか? おまえがそういうのなら、それでいいけれど」
「思わぬ収穫だな。これはきっとうまくいく。よし、もっと練習をするぞ。子龍、気合を入れていけ」
と、お祭り好きではないのだが、勝負がかかると、とたんに目の色のかわる孔明は、趙雲に気合を入れて、言う。
趙雲はというと、孔明がここまで頑張っているのなら、仕方ない、とほぼあきらめの境地で練習に付き合った。

雪の中の練習は、なんと半日をかけてのものであったが、さて、すぐに日々はめぐり、宴の日である。
宴の席には孔明と趙雲の姿はなかった。ふたりの欠席した様子を見て、人々は言った。
「お気の毒に、相当張り切ってらっしゃったのに、この宴のために山籠もりまでしたそうな」
「で、両者とも風邪で欠席。いまごろ苦しくて唸ってらっしゃることでしょうなあ」
「ほかの者に移したらまずいと、軍師将軍は人の少ない趙将軍のお屋敷へ避難されたそうですよ。ふたりで咳の嵐のなかにいるのでしょうなあ。あまり近づきたくない」
雪の中で張り切りすぎた二人は、すっかり身体を冷やして風邪をひいた。
しかし風邪を家人に移してはならないと、孔明が趙雲の屋敷に押しかけ、病気を理由にわがまま放題である。
そして、同じく病人となった趙雲のそばをはなれず、風邪ながらもあれやこれやと面倒をみるうえ、ちょっかいもかけてくるので、この風邪は長引くことになりそうだと、趙雲は覚悟した。

歌の恩賞は、張飛が受け取ったようである。
その報せをよそに趙雲と孔明は横になりながら、のん気に政務のことも忘れて、ひたすら何の悩みも持たない青年たちのように、風邪で嗄れた声で、愚にも付かないことをしゃべりつづけた。
たまにはこんな雪の日もあっていい。
なにせ二人は、いつもは、あまりに働きすぎなのだから。

おわり

夏の初めに、ひんやりと冬のおはなしでした。
2009年1月の作品です。

冬の歌い人 前編

2018年06月29日 20時08分57秒 | 短編・冬の歌い人

吐息がそのまま昇天して白い雲に転じてしまうのではと錯覚するほどに、身体の芯から冷える日であった。
なぜこんな日に屋外へ、しかも山の中へ入らねばならないのかと趙雲は訝しく思う。
もちろん、おかしいのではないかと異議はとっくの昔に立てたのだ。
だが、孔明は、
「だれもいないところ、すなわち、だれも行きたがらないところだぞ」
と言って、渋る趙雲の異議を却下した。

いつもの厚手の上衣のうえに、さらに高級品であるキツネの皮衣をまとい、体中を布で覆うような格好で外に出る。
目だけ残して顔まで覆う頭巾をかぶることも考えたが、視界が悪くなってしまうのであきらめた。
万が一刺客が襲ってきた場合、動きがにぶくなってはいけない。

刃のように冷たく吹き抜ける風を頬に受けつつ、趙雲は、まったくなんだってこんなことに、と心の中で愚痴をつぶやきながら、山に入った。
同道する馬も、今日ばかりは機嫌が悪そうである。
そも、山へ行こうと言い出したのは、孔明であった。
このところ、落ち着きがないうえに元気のない趙雲を気にして、そう言い出したのである。
とはいえ、あまりうれしくない誘いであった。
断ることもできたのだが、孔明の気持ちを考えると、できなかった。
孔明はというと、この寒さをむしろ楽しんでいるようで、ときおり強い風がぴゅうと吹くと、声をたてて笑いながら、寒い、寒いと震えている。
寒ささえも楽しめる底抜けの明るさに、趙雲はむしろ感心する。
この明るさゆえに、幾多の危機も乗り越えられてきたわけだ。

山に入ってしばらく進むと、林道の先に見晴らしの良い野原が開けた。
さえぎるものがまったくないため、山から吹き降ろす風がまともにぶつかってくるのだが、いったいどういうわけなのか、ふたりが野原に到着したとたん、さきほどまでびゅうびゅうと容赦なく吹き抜けていた風がぴたりと止んだ。
厚く積もった雪が、まるでふくらんだ餅のような曲線を描いてそこにある。
空も晴れてきて、雲ひとつない澄んだ青空の下の、真っ白な雪原がまぶしい。
「日ごろの行いがよいせいだな」
と、孔明は、なにに納得したのか、うれしそうにうなずきながら言った。
孔明の姿も、いつもの瀟洒なものとはちがって、だいぶ実用的な、わるく言えばぶざまなものであった。
動物の皮の上衣に動物の皮の長靴、きつねの襟巻き、きつねの帽子。鶴がきつねに化けているように見えなくもない。
「ここでなら十分に練習ができるはずだぞ、よかったな、子龍」
孔明のことばに素直にうなずけない趙雲は、おのれの身を抱きしめるようにしながら、言った。
「俺の家でも練習できたはずだぞ」
「家令のじいさまに聞かれるのが恥ずかしいと渋っていたではないか。だからここまで来ることになったのだよ。いやしかし、ここまで来るのは大変だったな。一時はどうなることかと思ったが」
「まったくだ。遭難するかと思ったぞ」
「でも無事にたどり着いた。きっと青女(雪の女神)もわれらの健気な姿に感動して、その手を緩めてくれたにちがいない。さあ、青女の気持ちをありがたく汲んで、練習しよう」

練習。
まったくもって、なぜこんな練習をしなければならぬのかと、趙雲は苦々しく思う。
事の始まりは新春の宴であった。
いつもどおりに宴はなごやかに進んでいたのだが、劉備がふと、こんなことを漏らしたのである。
「みんなで集まって酒を飲んで余興を楽しんで、それはそれで悪くないけれど、なにかが足りねえなあ」
そこへ手を挙げたのが、宴会のことならなんでもござれの劉琰である。
劉琰。字を威碩といい、ふだんは目立たぬところにおり、位も固陵太守と、さして重要ではないところにいる男である。しかし宴会となると、俄然、輝き出す。
生来、こうした賑やかな場に華を添える才能に恵まれているのだろう。詩歌を得意とし、管弦に通じ、そのうえ、談論も愉快なため、劉備にとくに気に入られている人物である。
出自はさして高くはないのだが、劉姓ということで尊ばれ、宴では賓客あつかいをされていた。
その劉琰が張り切って言ったのである。
「主公、わたくしが思いますに、余興といっても、芸子の余興ばかりで目新しさがありませぬ。かといって、皆様方から余興の得意な方を募っても、たいがい同じ方が手をあげられるので、これまた目新しさがございませぬ。如何でございましょう、つぎの宴では、全員で歌くらべをする、というのは」
「歌くらべ? 詩は儂だって作れねえよ」
劉備が口をとがらすと、劉琰は上品な笑い声をたてて、言った。
「そうではございませぬ。よそでは歌くらべといいますと、自分で作った詩歌を吟ずることかもしれませぬが、われらは、単純に歌を唄って、その優劣を競おうではございませぬか」
「ああ、それならいいな。儂たちでも楽しめそうだ。よし、みんな聞こえたな。つぎの宴は、全員が歌を唄うのだぞ、いまから練習してこい。いいなー」
と、気楽に劉備が言うと、それはようございますと、みなが賛成した。ただし、歌の得意でない者数人と、照れ屋の数人が、非常に渋い顔をしたのだが、それは無視された。

趙雲の場合、歌が得意でない者のなかの一人である。
次の宴は憂鬱だなと悶々としていた趙雲を見て、孔明が、それでは練習しようと言い出した。
で、いま、この雪原にいるのである。

「あなたは上手いはずだよ」
断言する孔明に、趙雲は渋い顔をして言った。
「また明言するものだな。どうしてそんなことが言える」
「だって、ほら、顔の輪郭がよいもの」
「顔の輪郭がよいと、歌が上手いのか」
「顔の輪郭がよいと、声がよい。実際に、あなたは声がいいのだから、唄えば映えるはずだよ」
しかし声がよければ、音程を取るのも得意というわけではなかった。趙雲はこれまでの経験から、自分にはまったく楽才がないことを知っている。
とりあえず琴は弾けるが教えられたとおりに爪弾いているだけで味わいもなにもない音しか出せないし、宴に出ても、歌を聴いて楽しめたことがない。
詩を作れる人間は、きっと特別な才能があるのだと信じてやまない。そんなふうなのだ。
だからこそ、つぎの宴で唄わねばならない、ということは、苦痛なこと、このうえなかった。

「とりあえず唄ってみてくれ。寸評してさしあげよう。ほーら、さんはい」
合図を送る孔明だが、しかし、趙雲は唇を動かさない。
この場にいるのは孔明と冬眠してない動物だけ、ということはわかっていたが、しかし恥ずかしかったのである。
「照れているのか、それともわたしの舌が怖いのか。きついことは言わないと約束するよ。唄ってみてくれ。でなければ、なにも始まらぬ。ここまで来た甲斐がないではないか」
「俺の歌は」
「うん」
「ひどい」
「……自分でそう思い込んでいるだけかもしれないではないか」
「いや、ひどい。おまえもこの話を聞けば気が変わるぞ。むかし、俺に執心している女がいて」
「ふむ」
潔癖症の孔明は、話題が気に入らないらしく、ぴくりと片方の眉を器用に吊り上げる。
しかし、趙雲はあえてそれを見なかったことにしてつづけた。
「ほとんど女房のような状態にまでなった。ところが、当時も劉威碩が、いまと同じようなことを言い出して、宴ではひとりひとりが詩歌を唄うのが流行のようなことになった。
俺は主公の主騎であることを理由にずっと歌わないでいたのだが、あるとき、女が言ったのだ。みなさまがたが唄ってらっしゃるのに、あなた一人が黙っていてつまらない。どうか唄ってくださいまし、あなたさまは声がいいのだから、きっと歌もお上手なはず、と」
「おや、わたしと同じ事を思った者がいるのだな」
「そうだ。で、唄ってみせたのだが、次の朝、女は俺の元から去っていった」
「歌を聴いて?」
「歌を聴いて。どうだ、俺の歌のひどさがわかるだろう」
「単に別の理由だったかもしれないぞ。思いつかないけれど。しかし、あなたの口から出てくる女は、みんなあなたを捨てていくな、気の毒に」
「そうだとも。だから俺はいまだに独り身なのだ」
ふて腐れて言うと、孔明は諸手を挙げて、言った。
「ああ、気を悪くしたならすまなかった。でも子龍、なんだってどれだけひどかろうと、練習さえすれば、なんとかなる程度にはうまくなるものだよ。歌だって同じではないか。ともかく、どれだけひどいか聞かせてくれないか」
「おまえも俺が嫌いになるかもな」
なかば冗談であったが、孔明は、目を丸くして、言った。
「たかが歌で? それしきの薄いつながりだと思っているのか、失礼な」
「ああ、悪かった、悪かった。冗談だ。しかし心の準備が出来てない」
「そうか、ではこうしようか、あなたはわたしが隣にいるから気になって歌えないのだよ。あなたとて、だれもいないときに鼻歌を唄ったりするだろう」
「しないな」
「まったく?」
「まったく」
「……まあいい。だれもいないと思って唄えばいい。最初だから、そうだ、わたしは目を閉じて、耳を塞いでいるよ。だからいっぺん、唄ってみるといい」
そういうと、孔明はぎゅっと目をつむり、両手で耳を塞いで、趙雲の歌を待った。
趙雲はというと、それならばと思い、一度は呼吸を深く吸い込んだ。

が、すぐに気づいた。

「待て」
言っても、固く耳を塞いでいる孔明は聞こえないらしく、子供のようにぎゅっと目をつぶったまま、動かない。
趙雲は、仕方なく孔明の肩を叩く。
すると、孔明は開口一番、言った。
「早かったな!」
「唄ってない。おまえはときどき莫迦になるな」
すると、孔明は、はて、というふうに首をかしげた。
「なぜ」
「なぜもなにもない。おかしかろう、おまえですら聞かない俺の歌に、なんの意味がある」
「木霊が聞く」
「あのな、そうではなくて、だれも聞いてないのに俺一人が歌うことに意味はなかろう。おまえが聞いて、はじめて論評が出来るのだ。
もし一人で練習すればいいのなら、俺は屋敷の蔵にでも閉じこもって練習していたさ」
孔明はというと、目をぱちぱちとさせて、言った。
「たしかにそうだが、気持ちを整えるための一曲目という意味だぞ」
「もう唄う気がなくなった」
「また。そう言って逃げようとする。趙子龍は逃げたりしない。つねに戦うのだ」
「歌と?」
「歌と! 一人で唄うのが恥ずかしいというのなら、一緒に歌ってやろうか?」
「そのほうが、もっと恥ずかしい。おまえはいいな、歌が上手いから」
趙雲が腐って言うと、孔明は言葉を素直に受け取ったらしく、にんまりと笑って、言った。
「そうか、やはりあなたも上手いと思うか。つぎの宴は楽しみでならぬよ。いちばん上手く唄えた者には、主公から恩賞が与えられるそうな」
「俺には縁のない話だ」
「何を言うか。努力賞もあると聞いている。それにな、子龍、わたしの歌の上手さはみな知っているから、新鮮味を与えられないというところが苦しいところだ。
そこへいくと、あなたの歌は、みなほとんど聴いたことがないから、新鮮であることこのうえない。有利だぞ」
「恩賞、とは?」
「さて、馬かも知れぬぞ。どうだ、俄然、やる気が出てきたのではないか」
「あまり変わらぬ」
孔明は、ふう、と息をついて、言った。
「やれやれ、あなたを奮い立たせるのは骨だな。子龍、こうなったら命令だ。わたしのために歌を唄え! どうだ、これならば唄わざるをえまい」
「いま思い出したが、雪の中で歌うと雪崩になるそうだぞ」
「いま思いついた、の間違いであろう。その話は聞いたことがあるが、与太だ。わたしが保証する。隆中にいたころ試して、何も起こらないと実証済みだ。極端に大声さえ出さなければ問題ない」
「どうしても唄わねばならぬか」
「いいから唄え。 命令だ、命令」

命令と言われて、むっとしないでもなかったが、あまりぐずぐずしていると、孔明が本格的に怒り出しそうな気配もあった。
趙雲は、覚悟をきめて歌を唄い出す。
それは、遠い昔に聞いた古謡であった。
母が子供のおりに、よく聞かせてくれたものである。優しい響きをもちながら、どこか物寂しげで、翳りを感じさせた。
最初は音程を気にしていたが、次の歌詞を頭で追いかけているうちに、なにがなにやらわからなくなってきた。
しまった、ここは高音だった、いや、こっちは低音だったはずだぞ。ここは伸ばすのではなかったか。
などと逡巡しているうちに、歌詞は尽きた。
唄い終わったのである。

つづく……

説教将軍 8 注・おばか企画

2018年06月29日 09時58分44秒 | 説教将軍
おばか企画・プリンの宿題

孔明の若き主簿である胡偉度の屋敷は、手狭ながらも、あちこちに外敵を防ぐための仕掛けがほどされている。
それは、彼の前身に深くつながりのあるところなのであるが、ここではあえて触れない。
しかし、そんな罠の数々をものともせず、小学生の陳家の長女・銀輪は、今日も今日とて、このだいぶ年の離れた友だちの家に、呑気にあそびにやってくるのであった。

「おまえ、うちのこと、帰り際に立ち寄る駄菓子屋かなんかと、まちがえていやしないか」
と、偉度がいうと、愛らしい顔立ちに、発育の良すぎるアンバランスな肢体をもつFカップ小学生・陳銀輪は、口をとがらせた。
「ともだちのうちに遊びにきてるんだよー。偉度っち、今日って代休なんでしょ?」
「偉度っちって言うな! なぜ知っている」
「幼宰さまが、軍師が代休を取ったから、偉度っちも代休だって教えてくれたの。ねえ、どうせヒマでしょ? ヒマなら、宿題手伝ってくれないかなぁ」
「ヒマと決め付けるな。これでもいろいろ忙しいんだぞ」
「ええー? わたしのほかに友達もいないくせして、ひとりで何をするわけ?」
容赦のない小学生の図星なことばに、偉度は一瞬、言葉をつまらせたが、すぐさま大人の矜持を取り戻し、つんとしまして言った。
「子供には、大人にわからない用事が、いろいろあるんだ」
「フーン、じゃあ、銀にはよくわかんないから、やっぱりいいってことじゃん。ねえ、家庭科の宿題で困っているんだけど、偉度っち、人生設計って、立ててる?」
「いきなりなんなんだ。おまえ、生保レディのバイトでもはじめたのか?」
「ちがうよぉ、それが家庭科の宿題なんだってば。学校を卒業して、何年くらいで働いて、何歳くらいで結婚して、何人子供をつくって、老後はどうするか、夢でもなんでもいから計画を立てるわけ。ついでに、どんな旦那さんが理想か、具体的に名前も挙げなさい、っていうの」
「なんだそりゃ。見せてみろ」
偉度が銀輪から受け取ったプリントには、こんな質問が、つらつらと並べられていた。

『問 1 あなたの人生設計をたててみましょう。
結婚するまえに、恋愛をしてみたいと思いますか。相手はどんな人がよいですか。具体的に名前と理由を挙げてみてください。
問 2 あなたは社会人になりました。
不倫をしてもいい、と思うくらいの理想の上司はだれですか。具体的に名前と理由を挙げてみてください。
問 3 さて、そろそろ結婚適齢期がまいりました。あなたの結婚相手はどんな人がよいですか。具体的に名前と理由を挙げてみてください。
問 4 結婚生活も平穏に過ぎ、どこか刺激が足りない毎日です。もし愛人を持つとしたら、どんな人がよいですか。具体的に名前と理由を挙げてみてください。』

「…これ、小学校の宿題なのだよな? おまえの家庭科の先生って、だれだ?」
「ううんとね、法揚武将軍の奥さん」
「なんだか政治的な匂いのする宿題だな…で、なんと答えたのだ?」

銀輪の答え
問 1 恋人にしたい人 馬超 
理由・流行のデートスポットとか詳しそうだし、口説くのも慣れていそうだし、がっついてなさそうなところ。
問 2 理想の上司 費褘
理由・細かいところを気にしない。失敗しても、ま、いっかで終わりそう。不倫したいとは思わない、というか、不倫という単語自体、頭の中になさそう。
問 3 結婚相手 董允
理由・優しいし、浮気するほど精神的余裕がない。毎日の小遣いが五百円でも文句を言わなさそう。
問 4 愛人 偉度っち
理由・あと腐れない。

「…………」
「どう? 恋人と愛人はベストだと思うんだけどぉ、上司と結婚相手がどうかなぁって思うのね」
「銀輪」
「なあに?」
「わたしは、おまえを見直したぞ。なかなか人を見る目があるな。うん、こういう相手を選んでいけば、まず人生に躓くことはなかろう。しかし、理想の結婚相手の名前としては、おまえの父上でよいではないか」
と、言いながら、偉度は、ちらりと、さきほどから庭の影で、こっそりとこちらをうかがっている陳到の気配をおぼえつつ、言った。
こちらは代休であるからよいが、あのひとは、今日はちゃんと仕事があったはずなのだが…サボりか?
「ええ? パパぁ? パパが旦那なんてやだー。パパ、うざいもん」
娘の無情な言葉を聞いて、草葉の陰の陳到は、こおろぎの鳴く声と一緒になって、しくしくと泣き出した。
たしかにウザいかもしれない。
「んで、偉度っちは、愛人確定、と」
「愛人ね。いいけどさ」
「あ、もしかして不満? すこし期待してた?」
「いいや。これっぽっちも。義理で名前を並べてくれてありがとうよ。結婚したいとか、思わないしな。子供ほしくないし。だがな、おまえが浮気をしたくなる年齢になったときには、わたしはもう爺さんだぞ」
「偉度っちは、きっと軍師みたいに、あんまり老けないと思うよぉ」
「そうだ、どうしてこの中に軍師と…普通は入るだろうに、趙将軍が入っておらぬのだ?」
「軍師はだめだよぉ、上司にするには細かすぎるしぃ、結婚相手にしたら、ずうっと放っておかれそうだもん。さらに恋人になんて選んでみなよ、宇宙人とコミュニケーションとったほうが、よっぽど楽しい、ってくらいになると思うよぉ」
「上司としてのあの人は、理想的だと思うがな。たしかに恋人と結婚相手と愛人は向いておらぬか」
そうつぶやく偉度に、銀輪は身を乗り出して言った。
「ね、ね、偉度っちが、もし女の子だったら、どういうふうに選ぶ?」
「なんだ、それは。わたしは男だぞ。そもそもの質問が成り立つまい」
「ええー。カタイこと言わないでよぉ、銀の特製プリン、また持ってきたんだよ」
と、銀輪は、アルミホイルにきれいにつつまれた、特大手作りプリンをランドセルから取り出して、偉度に見せるのであった。

偉度はやれやれと、厨から、プリン専用スプーンを持ってきて、遠慮なくプリンをご馳走になる。
そのスプーンは、プリンを楽しく美味しく食すために、偉度が特別に作らせた、取っ手の端っこに、ちいさな銀の鈴のついているもので、動かすたびに、典雅なちりん、という、さやかな音がする愛らしいものである。
「偉度っちって、小物に凝るタイプだよね」
「だから、偉度っちはよせ、って言っているだろ。わたしはおまえの九つは年上なんだぞ」
ちなみに銀輪、十二歳、胡偉度は二十一歳である。
「おじさん、って言ったら怒るくせに。でさぁ、宿題、偉度っちの、教えてよ」
「めちゃくちゃ適当に答えたからな。ホレ」

偉度の答え
問 1 恋人にしたい人 馬岱 
理由・徹底的に貢がせて捨てる。刃向かってきても怖くない。
問 2 理想の上司 趙雲
理由・色恋沙汰抜きに純粋に仕事が出来て楽。というか、不倫という単語自体、口にした時点で、即刻クビになる可能性大。そこは注意。
問 3 結婚相手 孔明
理由・なんだかんだと支えは必要。
問 4 愛人 劉備
理由・遊びなれてるぞ、あれは。別れるときに、たぶん揉めなさそう。

「偉度っち、けなげー。なんだかんだと、軍師に付いていくんじゃん。惚れてるんだー」
「うるさいな。惚れているとかなんとかじゃなくて、見ててほっとけないだろ、あれは。愛人にはできなさそうだし、かといってこちらが女なら、妙に恋愛感情がごっちゃになってややこしいから、放っておかれるのを覚悟でも、結婚相手にしちゃったほうが楽だろう」
「ほへほへー、考えているんだねー」

草葉の陰をちらりと見ると、やはりサボり中の陳到が、なるほど、というふうにうなずいてる。
しかし、陳到の隠れっぷりは、実はなかなかのもので、偉度は屋敷の方々に、ありとあらゆる罠を仕掛けたはずなのであるが、陳到はそれに引っかかった形跡がない。
餅は餅屋。なるほど、さすが袁紹時代に、細作を束ねていただけのことはあるな。
と、そこまで考えて、偉度はそうか、と合点した。
あまたいる陳到の娘たちの中でも、ウザいといいながらも、いちばんの父親っ子の銀輪が、偉度を慕ってあそびにやってくるのは、偉度に、父親と同じ空気を感じているからなのかもしれない。
おなじく、細作、刺客であった男の醸し出す、独特の空気を。

「んじゃさ、軍師が女の子だったら、どういうふうに選ぶかなぁ」
と、残りのカラメルを丁寧にスプーンで絡め取って、舐めている銀輪は、とんでもないことを口にした。
「なんだって?」
「うちのクラスではねー、結婚相手のいちばん人気は劉禅さまだったよー。だってさぁ、王女さまになれるんだもん。だけど、銀は、あれは好みじゃなーい」
「『あれ』とか言うな。不敬罪なるぞ、まったく…今日日の小学生は打算的だな。夢はないのか、夢は」
「みんなしっかりしてるよぉ、結婚相手で二番目に人気があったのはね、魏延さま」
「ぎえんー?」
と、これは庭に隠れていた陳到と、偉度の両方から出てきた言葉であった。
「なんでだよ、あの強欲と要領の塊」
「だからだよー。パパや偉度っちや軍師は嫌いみたいだけどぉ、ああいうさぁ、自分たちの利益はがっちり守る人って、家にたくさん、戦利品とか持って帰ってきそうじゃない? 贅沢できるもーん」
「恐ろしい…どうなっているのだよ、小学生の倫理観。軍師なら、絶対に魏延は選ばない。論外だ」

偉度の想定する孔明の答え
問 1 恋人にしたい人 徐庶 
理由・つーか、実際に似たようなものだったとわたしは睨む。
問 2 理想の上司 劉備
理由・軍師の個性を抑えきれるのはこのひとだけ。不倫はしないだろうな。
問 3 結婚相手 趙雲
理由・ほかに考慮の余地なし。押しかけてでも結婚するに決まってる。
問 4 愛人 なし
理由・愛人になりそうな気配を漂わせた男が近づいた時点で、趙将軍に闇に葬りさられる

「案外、つまんないねー」
「仕方ないだろ、あの二人には、あの二人しかいないんだ。つまり、世界はあの二人だけで完結してしまっているのだよ。ほかは付属品。わたしも、おまえも、ほかのものも、みんなそうだ」
「ふぅん」
じっと銀輪は偉度を見つめる。
「それでも偉度っちは、わかっててもあの二人に尽くすんだー」
「仕事だからな」
「ウソばっかり。なんだか切ないの」
「別に、切なくなんかないさ」
と、偉度は乱暴に言って、そっぽを向いた。
切ないという言葉は甘ったるすぎるが、実際に、ある種の虚しさはおぼえていることは事実であった。なんだってこの小学生は、容赦なく人の心を暴き立てるのやら。
小学生だからか? それとも銀輪だからなのだろうか?
「偉度っちさぁ」
「なんだよ」
「もし、偉度っちが、ちょっと結婚してみたいなぁ、と思ったら、銀、お嫁さん候補になってあげてもいいよ」
「ばあか。わたしはロリコンじゃない」
偉度が言うと、銀輪は風船のように頬を膨らませた。
「銀だって、来年中学生だよ。あと四年もしたら、結婚できる年になるもん。四年後っていったら、偉度っちだって、まだ二十五とかじゃん! 銀のこと、そんなふうに言っておいて、何年後かに、銀が納得しない女の人と結婚したら、偉度っち、友情はもう終わりだからね!」
「はいはい、で、おまえの納得しないタイプの女って?」
「ナイチチで脳みそもない女! 銀はチチが重いけど脳みそないって思われているけど、そうじゃないもん。このあいだの学年テストで、ちゃんと百人中、一桁になったんだからね! 銀と逆の女の人と結婚したら、銀は一生、偉度っち恨みつづけて、悪口言いふらすもん!」
「そう尖がるなって。わたしが結婚することはないし、だからおまえとは、一生、友だちか、でなきゃ愛人なんだろうな」
「ほんとう?」
「プリンにかけて誓う。もし約束破ったら、プリンは一生食べない」
「うん、わかった。プリンに賭けてね。宿題手伝ってくれてありがとう。偉度っちに、これでいいって言われたから、このまま出すね」
「もしおまえが、要領よく世の中渡りたい、って思うなら、理想の上司のところに『法正』って書いておくのを勧めるけれど」
「銀はキツネは嫌いなの。じゃあね、偉度っち。また今度は焼きプリンをもってきてあげる」
そういって、銀輪は去って行った。

やれやれ、と一息ついた偉度であるが、娘は帰ったというのに、父である陳到が、なぜだかまだ庭に残っている。
「お嬢さんなら、ちゃんと無事にお帰りになりましたよ」
偉度が嫌味も含めてそう言うと、草むらに隠れていた陳到は、じっとりした、なめくじのような眼差しでもって、言った。
「ともだちでいるのはいいよ」
「はあ」
「でも、愛人はダメ! つーか、恋人も婿もダメだから!」
「小学生のいうことですから」
「プリンに賭けて誓うか」
「賭けますよ。プリンにでもフルーチェにでも」
そういうと、陳到は、すこしは安心したのか、よし、と訳のわからぬつぶやきを口にし、そして意気揚々と、娘のあとを負い掛けて行った。
よく、あの派手なさぼりを、趙雲が許しているものである。
陳到のことだからと、諦めているのだろうか。
やれやれ、まったく困った親子だよ、と思いつつ、偉度は、銀輪と自分の、プリンの食べ終わったあとの食器を片づけるべく、厨へと立って行った。

やっとおわり。

ぬるーく見てやってくださいませ。
ちなみに、こちらは2005年4月の作品でした。
なつかしいのう。

説教将軍 7 注・おばか企画

2018年06月28日 15時53分41秒 | 説教将軍
おばか企画・あなたはわたしのおともだち

孔明の見舞いにいってから、どうも体の節々が痛いな、と思いつつ、趙雲は、なぜだか部将たちの目線が、いつもと違って、奇妙なことに気がついた。
興味深そうにじいっと見つめるもの。
あからさまに嫌悪の表情を見せるもの。
裏切ったわね、といわんばかりに切ない表情を見せるもの(こいつはあとで腕立て伏せ百回だな、と趙雲は思った)。
すれちがいざま、「やはり」と妙に納得しているもの。
そして最たるものは、双眸に昴のごとき輝きを放たせている陳到である。
とたん、嫌な予感に襲われて、趙雲は言った。
「俺はなにかしたか」
自分でもひどい鼻声に驚きつつ言うと、陳到は、さきほどすれ違った部下と同様に、やはり、と言った。
「とある情報通により、趙将軍がついに開き直られたというお話をお伺いいたしました」
「開き直り?」
と、いわれても、趙雲には思い当たる節がない。
はて、禁酒をあきらめたことであろうか。
「あなたさまの献身ぶりには、我ら一同、頭の下がる思いでございます」
そこまで言われ、ようやく趙雲は納得した。
「ああ、軍師の見舞いに行ったことか? しかし、開き直りとはなんだ?」
陳到は、手と首を激しくぶんぶんと振りながら、判っている、というふうに言う。
「いえいえ、お答えくださる必要はございませぬ! 叔至めもいろいろ勉強し、一定の理解ができたつもりでございます。嗚呼、末はカナダかスペインか」
「赤毛のアンと闘牛がどう繋がる」
「カナダのツアーに行くと、大橋○泉のお土産物屋に強制的に連行されるという噂は、本当ですかねぇ。ハッパフミフミ」
「?? ほかの連中までなにやらカナダだスペインだと言っているのはなぜだ? すまぬが、うちの慰安旅行は、そんなところまで行く予算がないぞ」
「当然でございますとも。もちろん、我らはお祝儀片手に、お二人のあらたな門出を祝うほうでございますれば、まあ、旅費なんぞはなんとでも。で、お話はどこまで」
「なにが」
「またまた。われらと趙将軍の仲ではございませぬか。昨日、みなで緊急会議を開きまして、もはやお二人の仲がそこまでならば、心から祝して差し上げようと意見が一致したのでございます。まあ、その盛り上がりといえば、金八先生の最終回スペシャルにも勝る、涙、涙の盛り上がり」
言いながら、陳到は♪くれーなずーむまちぬぉー♪と勝手に唄いだした。
俺は感冒のせいで、叔至の言っていることが理解できなくなっているのであろうか、それとも、こいつら、何か勘違いをしているのか?
「すまぬが、わけがわからぬ。なぜおまえたちが俺を祝す?」
すると、陳到は、勘の良いところでなにかを察したらしく、怪訝そうに、逆に尋ねてきた。
「は? ご結婚されるのでしょう?」
「だれが?」
「将軍が」
「…だれと?」
「将軍と」
そこへきて、やはり同じく勘の良い趙雲は、ぞくりと背筋を震わせて、答えの予想をつけた。
「どこの将軍だ」
「軍師将軍。趙将軍がお見舞いされたおり、軍師将軍に趙将軍が」
「が?」
照れて先を言おうとしない陳到に、趙雲はずいっと側によって続きを迫った。
すでに剣の柄に手はかけてある。
「その…寝顔に口付けをなさったがゆえに、風邪になったと」
「貴様ら! 総員そこになおれ!」
とたん、趙雲は周囲にいた部将たちを片っ端から捕まえて暴れだし、陳到は逃げるわ、物は飛び交うわ、馬は怯えて喚くわ、家屋は倒壊寸前にまで傾くわで大騒ぎとなった。
この大暴れが原因で、趙雲の熱は上がり、寝込むこととなったのである。

某陳家

「と、いうわけでぇ、うちのパパ、趙将軍がこわくって、しばらく失踪しちゃって、おうちに帰ってこれないのねー。とりあえず、口座のお金は動いているみたいだから、生きてるのはまちがいないんだけどぉ、おじさん、行方しらなぁい?」
「お兄さんだ。ふん、叔至殿も、案外根性なしだな。というか、まともに本人に聞く馬鹿があるか。こういう噂は、本人のいないところでこっそり楽しむところに意味があるのに」
「おじさん、せーかくわるーい。友だちいないでしょー?」
「お兄さんと呼べ。二回目だぞ。で、もちろん、わたしの名前は出ていないだろうな?」
「たぶんー。でもパパ、いざとなったら逃げるから、マジで趙将軍にバラされそうになったら白状しちゃうかもー」
「なんでハンパにヤクザ言葉を知っているんだよ、Fカップ小学生が。しかし、周囲に理解者を増やし、雰囲気を固めてから、あのお方の想いを成就させてやろうという、この心遣い、どうして理解されぬものか」
「まったくの見当ちがいだからじゃないの?」
「そうなのかな…いや、そんなわけはない」
「わかんないんだけどぉ、どうしておじさん、なんでもかんでもレンアイに結びつけて考えるのかな? 銀、そういうの古いって感じがするのね」
「古いぃ? ちょいと若いからって、わたしの考えが古いというのか。これだから今日日の小学生は。恋愛に関することに古いも新しいもないだろうが。ま、小学生には、この心の深淵はわからぬか」
「真の永続的恋愛は、尊敬というものがなければ成立しない」
「へ?」
「逆もあるんじゃないの? 最良の尊敬は、永続的恋愛にまさるとも劣らない」
「………」
「男女だろうと女同士、男同士だろうと、肉体的に結びつくことが至上のハッピーエンドとは限らないんじゃないのぉ? 恋は肉体を欲し、友情は心を欲す。
そして友情は其の果てに永劫的な未来を確信し進む感情。恋愛は、絶えず未来を語り約束するものだけれど、其の果てに、未来が確信できるものはなにもない」
「なんだそれ、道徳の時間に習ったのか」
「ううん。なんとなく名言をくっつけてみました。でもぉ、互いの心を求めてそこに永遠を確信し前に進む快楽と、先の見えない恋愛のために、短い時間を濃密に過ごす刹那的な快楽と、両方を得ることはむずかしいとおもうわけ。
ほーら、仲のいい夫婦って、最初は恋愛で、つぎに友達みたいになるってよく言うじゃん。恋人というより友だちみたい、とかさー。うちの親もそれなんだけどぉ。
だから、そううまくシフトできる人もいれば、やったら生真面目に、この人だけ! 性別関係なし! って人もいて、恋愛とか友情とか枠も超えて、相手の心だけを愛しぬいちゃう人もいるんじゃないのかなー? 
そりゃあさあ、傍から見れば、ちょっと変かもしれないけどー、銀は、好きだ、好きだって口ばっかの人より、そういう人に好きになってもらえたほうが幸せだなー」
「おまえ、小学生の癖に、そんな小難しいこと考えてるのか。でも、お子ちゃまの理想論だな」
「肉体的快楽に溺れたことがないから、そんなことが言うんだ、って言うつもりでしょ? でも、そんなの結局、恋愛の副産物じゃん。キャラメルのオマケだよ。なんともいえない充足感がある? 心の絆が深まる? それこそまやかし。そんな気持ちになるってだけだよ」
「………そうかな」
「そりゃあさ、男女で恋愛して、長い時間をかけてだんだんと友だちみたいになっていって、っていうのが、本当は理想というか、最高に幸せなんだろうけどね、そうじゃない幸せのありようを探しているっつーか、実践している、つーか、実践せざるをえない人もいるっつーことだよ。いいじゃん、それで。うちらが口出すことじゃないよ。大人気ないよ、偉度っち」
「偉度っち言うな! ったく、まさか小学生に説教を喰らうとは…まあ、たしかにおまえの哲学もわかったけど、わたしはやはり、それには納得できないな」
「しなよ。でないと苦しいよ。だって、肉体と心の両方の充足をある永遠が欲しいなんて無理だよ、贅沢だよ。虚しいよー」
「…だんだんおまえと話すの、怖くなってきた。変なバイトとかしてないだろうな」
「してないよぉ。偉度っちこそ、あんまり自分をいじめちゃだめだよ。労わってあげなきゃ」
「……小学生に泣かされそうになっている自分って一体……」
「偉度っち、泣くなー。ほらぁ、うちに、銀輪が家庭科実習でつくった激うまプリンあるから、一緒に食べよ? それからさ、あとでパパ捜すの手伝ってね?」

そういって陳到の娘、銀輪は、ベソをかきそうになっているのを必死でごまかしている偉度の手を引いて、プリンを食べにおウチに帰ったのでした…

その後、カプセルホテルで蛹のように隠れていた陳到は、無事発見された。
感冒は、うまい具合に趙雲から不愉快な(?)記憶をともども連れ去って行ったらしく、しばらく部将たちはびくびくしたものの、その後、だれかが降格されたり、左遷されることはなく、ほっと胸をなで下ろしたことであった。

ただし陳到には新たな悩みが発生した。
なぜだか偉度が、たまにプリンを食べにやってくるようになったことである。
その過去を知るだけに、家で一人でぷっちんしてろ! と無碍に追い返すわけにもいかず、陳到は柱の影から、どうしたら追い出せるものかと思案するばかりであるという…

まだ続く、おばか企画の嵐!

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