はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

説教将軍 1

2018年06月24日 16時31分20秒 | 説教将軍
馬謖、字を幼常。
馬家の五男坊であり、弁舌さわやかな好青年(自称)。
しかし彼が渋い顔をして辞令を見つめているのは、なにも山椒の実を食べたからではない。
卓の上には劉備直筆の辞令書。
そして卓の向いがわでは、荊州から連れてきた老いた母が、しくしくと泣いている。
部屋には、ほかに馬良もいた。
これは旅装も解いていない状態で、その場に立ち尽くしている。

「なにかの間違いでございます。ええ、そうですとも」
と、馬謖は鼻をつんと逸らせて気丈に言う。
だが、強気な言をうけて、辞令の上の言葉が魔法のように変わるというわけではなく、そこには変わらず、武骨な文字で
「綿竹・成都の令を命ずる。ガンバレ」
とあった。
馬謖はがたん、と乱暴に席を立ち、辞令を床に叩きつけた。
「やっぱり納得なんてできないっ! 母上、兄上、わたくし、明日にでも宮城の主公のもとへ参り、この辞令は別の者に渡すものではなかったかと糺してまいります!」
「よさぬか、無礼者! そのようなことをしたら、馬家全体に累が及ぼうぞ!」
「なにを言うのです、良や! 謖がこのような低位なわけがない! これは馬家に対する陰謀かもしれませぬ!」
嗚呼、この世の終わりです、などと大げさになげく母親の姿にあきれつつ、馬良は、そっと戸口から、どうしたらよいものかと顔を覗かせている従者に、とりあえず荷をほどいておくように、と伝えた。

このたび、馬良は劉備に成都に呼び寄せられ、孔明と並んで補佐につくよう命じられた。
だが、それとほぼ同時に、弟の馬謖と母親より、至急、成都にこられたしという手紙を受け取っていたのである。
詳細はあきらかではなかったが、内容がともかく切羽詰っていたので、何事かと単身、駆けつけた馬良の前に突きつけられたのが、馬謖に与えられた『辞令』であった。

馬良は、ああ、またかとウンザリして、怒りに燃える母親とわがままな弟を諭すように言う。
「謖、この辞令になんの不満がある? そなたはいくつだ。年齢にはとても見合わぬほどの高位と思うのだがな」
それを聞いた母親が、んまー! と抗議の声を挙げた。
「齢二十六で片田舎の令! それが高位と言えるのですか!」
「十分でございますよ。謖がなにか大きな手柄を立てたというわけでもなし。だいたい、母上はだれを基準に、低いだの高いだのおっしゃっておられるのですか」
「決まっております、諸葛孔明どのです!」
やはりな、と思いつつ、長旅の疲れも有り、痛んできたこめかみを押さえつつ、馬良は言った。
「くらべる相手が悪すぎます。孔明と謖では月とすっぽん、格がちがう」
「もちろん、すっぽんは孔明どののほうでしょうね?」
「ウチがすっぽんです。しかし謖よ、不満があるという、おまえのその根拠のない自信はどこからくるのだ?」
馬謖は、分からず屋の兄にいらいらしながら、叫ぶように言った。
「わたくしの全身から理由があふれているでしょう! この誰より優れたわたくしが、なぜに『令』などという低位! 主公の目は」
「おっと、待て。それ以上口にしたら、わたしはそなたを密告せねばならなくなる」
「密告!」
「なんという子でしょう! そんなことをしたら、十歳までおねしょをしていたことをみなにばらしますよ!」
「母上は口をお出しにならないでください。謖に甘すぎます! それに、なんだって亮くんばかり目の仇になさるのですか」
「なにを言うのです、そなたは悔しくないのですか? 徐州からの難民が、あれよあれよというまに劉左将軍に取り入って、いつの間にやら軍師将軍ですって? しかも親戚だというのに、わたくしたちになんの恩恵も与えてくださらない。しかも、そなたのほうが優秀だというのに、彼の御方のほうが高位というこの理不尽! 母は黙っておられませぬ。これはもしかしたら、孔明どのの、馬家による嫌がらせなのかも!」

孔明が馬家に悪感情をもっている、ということはない。
むしろ、馬良の母が、諸葛家に悪感情を持っている。
馬良の母は、孔明の弟、均の結婚をめぐるいざこざで、中心となって、その幸福に水を差しまくった女性なのである。
ああ、父上がしっかりしておられたら(馬家の隠居は最近、ぼけかけていた)、兄上がご健勝であられたら、と馬良は嘆息する。
年々、母親は頑なになって、老いが迫っているのも自覚しているせいか、五男坊への偏愛が増しているように思える。

「お待ちくだされ、なにを根拠にそのような。わたくしは、亮くんはもっと高位であってもおかしくないと思っておりますよ。てっきり蜀郡太守になるのではと思っていたのですからね。軍師将軍と左将軍府事の兼任ということは、主公になにかのお考えがあるのでしょう。わたくしが思うに、亮くんがまだ若すぎるので、しばし経験を積ませ、それからもっと高位につけようという、主公のお気遣いかと思われます」
「では、うちにはどのような配慮が?」
そうだ、このひとたちは、常に自分が世の中の中心でいなければ気が済まない性質であるのだった、と心底ウンザリしつつ、馬良は苛立ちを抑えて言った。
「配慮はございます。それが、馬謖のこのたびの『厚遇』でございましょう」
「納得できませぬ!」
「納得するのだ! まったく、手に入らぬおもちゃを欲しがってぐずる子供のようではないか。いつであったか、人間は位じゃない、黙っていてもにじみ出る風格だ、と言っていたではないか。それがどうしてコロリと変わったのだ」
「兄上、兄上は、孔明どのの主簿をご存知か」
孔明の主簿、と聞いて、馬良はすこしびくりとする。

馬良は性格の好さから、たいがいの人物に好かれるし、それだけが唯一の自分のとりえだと思っていたのだが、どうもほかと勝手が違うのが、孔明の主簿の胡偉度であった。
地味にしているものの、よくよく見れば端麗な容姿を持つ青年で、孔明と実の弟の均が似ていないものだから、偉度のほうが、孔明の弟のようにさえ見える。
しかし、見た目は桜花のように華やかで儚げでも、その実際はへびいちご。
仕事のうえで偉度と対決することが何度もあったのだが、そのたびに馬良は心の臓が止まるような思いをしてきた。
なぜだか、馬謖よりも年下のこの青年、怖いのである。

「偉度どのがどうした」
「おかしいのです。このあいだ、成都の宮城で会ったのですが、やはり位は変わらず、孔明どのの主簿ということでした」
「それのどこがおかしい。官位についておらぬというところがか?」
「そうではありませぬ。兄上、胡偉度は、ただの主簿でございましょう? それなのに、禄がわたくしの数倍も高いのです。ほかの将軍方と肩を並べられるほどなのですぞ?」
「まことか! というか、よく人さまの給付を聞けたものだな」
「そこはそれ、謖の弁舌の巧みさゆえでございます」
と自慢げに胸を張る弟を、くらくらして馬良は見た。
この図々しさ、大物の兆しだといって父や母はもてはやしていたが、単に気遣いが大量不足しているだけである。
「孔明殿は、偉度殿を贔屓されているとしか思えませぬ。兄上、ですからわたくしは腹を立てておるのです!」

孔明は、人事にあたり、贔屓を反映させることはない。
それに、今回の人事は、孔明よりも、劉備の意向が強く出ている。
益州方に遠慮といっていいほどに配慮した人事となっているのだ。
そのなかで、胡偉度だけが主簿という地位にもかかわらず、禄が高い、という。
それを聞き、馬良はようやく疑問が解けたような思いがした。
馬謖よりもずっと若いというのに、孔明の主簿を立派に勤め上げている能力の高さ、そして時折見せる、背筋が寒くなるほどのつめたい眼差し。
孫子の用間篇の一節が思い浮かび、馬良は納得する。
曰く、
「三軍のこと、間(間者)より親しきはなく、賞(賞与)は間より厚きはなく、事は間より密なるはなし。」
そういうことであったか…

「なにを納得しておられるのです、兄上? あの主簿め、わたくしより年下だというのに、此度の人事に不満があると打ち明けたら、そんなことは、わたしのしったことじゃない、文句があるなら、だれもがそれはおかしいと言ってくれるように、実力をつけなさい、と言うのですよ!」
「正論だ」
「正論でも何でも、年上に対して、この口の利き方は許せませぬ!」
「許せなかろうと、なんであろうと、兄としては、おまえがウカツにも、主公の決定に不服があると口外したことが許せぬぞ」
「う。それはそれ、ともかく、わたくしは、明日、ひとまず孔明どのに抗議をしに参ります!」
「亮くんに? なぜ?」
「あの主簿が、主公に言う前に、孔明どのに言えば、なんとかなるかもしれないと」
ならぬだろう、と馬良は思ったが、もしかしたら孔明が偉度に、そのように指示をしたのかもしれない。しばらく黙っていることにしようと判断し、息巻く弟を宥めるのに終始した。






「なんともならぬであろう」
「わかっておりますよ。そこはそれ、趙将軍の口から、ずばっとお願いいたします」
趙雲が、俺は忙しい、といって踵を返そうとすると、偉度はあわてて引き止めた。
宮城の廊下である。
ほかに人はまばらで、だれか通りすぎたとしても、いそがしいのか目礼だけして足早に去っていく。
それはそうであろう。
人事が刷新されたことで、仕事は山のように増えた。
趙雲としてもひまではなかったら、偉度の話をさっさと切り上げようとしていた。
「まあまあ、お待ちなさい。あの馬幼常とかいう、白まゆげの弟にはみな困っているのですよ。ともかくわがままでうぬぼれや。協調性のカケラもない。悪気がないから余計に注意がしづらいし」
「白まゆげ…それは馬季常どののことか」
「そうですよ、白まゆげ。ほかに呼び様がないでしょう。白まゆげ。ちなみに黄漢升さまは山羊髯じいさま、張益徳さまは虎髯の親父さん」
「おまえたち、俺のことも妙な渾名で呼んでいるのだろうな」
「ご安心を、『カッコイイ趙将軍』」
「嘘をつけ! くだらぬ、俺は帰るぞ」
「わかりましたよ、たしかに嘘です。趙将軍は、隙がないのでよい渾名が付けられません。そんな貴方様にぜひお願いしたい。そろそろ左将軍府にやってくる馬幼常に、『身の丈に過ぎる高位を頂戴していて、文句を言うな』。そのひとことでかまいませぬ」
「おまえが言えばよかろう。いや、これは軍師の仕事だ。軍師はなにをしている」
「熱を出して寝込んでおります」
風邪、と聞いて趙雲の顔色が変わるのを、胡偉度はいつものことだが、と思いつつ、呆れて見た。
「相変わらず、軍師に関する諸事項にはするどい関心を示される。お気の毒な趙将軍、熱にうなされる軍師のかわりに、ぜひこの面倒な仕事をまかされていただきたい」
「俺のなにが気の毒だというのだ。軍師はなぜ熱を?」
「昨日、宮城に主公のお召しで参内されまして、その際に、阿斗さまと対面されたのです。阿斗さまは、軍師に一緒に遊んでほしいとおっしゃられまして、軍師もそれに乗ったのです。子供が苦手なくせに、よくやるなと、わたくしなんぞは思ったのですが」
「ひと言多い。軍師にとって、阿斗さまは特別なお子なのだ。主公の軍師になられたちょうど同じころに生を受けられた御子だからな。で?」
「軍師と阿斗さまたちは、目隠し鬼を始められたのですが、軍師が鬼になったとき、見事にとろいところを披露なさいまして、中庭の池にどぶん、と」
「それで風邪を引いたわけか」
「すぐに着替えれば問題がなかったのですよ。池に落ちた軍師におどろいた阿斗様が泣いてしまわれて、軍師がぬれねずみのくせして宥めておられたものですから、そのあいだに体が冷えて、風邪を引いたのです。莫迦ですよ、あのひと」
偉度は、自分以外に孔明が優しくしているところを見ると臍を曲げる、幼子のようなところがある。
今回もそれなのだ。
その性質をよく知っている趙雲は、ぶちぶちいう偉度の言葉を流した。
「あとで見舞いに行かねばならぬな。それはそうと、馬謖はどうするのだ」
「どうするもこうするも、あの意味不明なほどに高すぎる鼻を、趙将軍がいちど、ぺしゃんこにするべきでございます」
「おまえがやればよかろう」
「わたくしではだめです。位も低いし、年も下。説得力がございませぬ。その点、趙将軍は完璧」
「どこがどう、完璧だ?」
「ほら、噂をすればなんとやら」
と、偉度が示した先には、意気揚々と馬謖が左将軍府の廊下を歩いてくるところであった。
だが、廊下の途中にいる趙雲の姿をみて、ぎくりとした様子で、足を止める。
それでも、引き返すのは誇りが許さないとでもおもっているのか、引きつった笑みを浮かべつつ、近づいてきた。
「お久しぶりでございますな、趙将軍。軍師はいずれに?」
「風邪を引いて自邸で寝込んでいるそうだ」
「それはいけませぬ。わたくしの話を聞いてもらいがてら、お見舞いとすることにいたしましょう」

それを聞いて、趙雲は不本意ながら、ここでこやつを止めねばならぬ、と決めた。

つづく……

黒棗の実 最終回

2018年06月24日 07時27分36秒 | 黒棗の実


それから、十年ちかくの歳月が流れた。
ここに、二騎の馬が、南へと馬を走らせている。
董休昭と、親友の費文偉であった。

允という名の少年は、成長して休昭という字を与えられ、立派に宮仕えをするようにまでなっていた。
時流も激しくかわり、かつて董和を疎んじた主君は、あたらしくやってきた劉備に追い出され、いまは、劉備が董和の主である。
董和はいま、劉備の片腕である諸葛孔明とともに職務に励んでいる。
身分や禄はそう高くなかったが、孔明と董和はうまく職務をこなしており、ふたりしてともに視察にでかけるほど、気兼ねない間柄になっていた。

近づくにつれ、変わらぬ巴郡のなつかしい風景に、感激屋の休昭は、少しばかり泣きたくなったが、泣いている場合ではないと気を取り直し、先を急いだ。
あわて者の休昭を心配し、一緒についてきた費文偉が言う。
「しかし、かつての任地ということで、幼宰様も気が弛んだのだろうか。ひどい腹痛になるなど、頑丈なあの方らしくもない」
「軍師が、至急に来るようになんて使いを寄越すくらいだもの。父上は、相当に苦しんでらっしゃるのだな。とりあえず、処方箋をもらってきたけれど、あの医者ときたら、巴東に来てくれないかと聞いたら、そんな蛮地には、恐ろしくて行けませぬと言い切った。まったく、ゆるせぬ!」
ぷりぷりと馬上で起こる休昭を、文偉はちらりと見て、からかうように言った。
「おまえ、だんだん幼宰様に口ぶりが似てきたな」
「似るさ。父子だもの」
「こうも見事に似るのも珍しかろう。おや、あの町がそうかな。想像していたより、ずっと立派で大きな町ではないか」

巴の町は、この乱世にあっても、いちども戦禍にまみえることなく、当時のままの姿を保っていた。
塩の売買でうるおっているために、盗賊の襲撃を受けるたこともあったそうだが、そのたびに豪族の私兵と、属国都尉たちが協力してこれを退けたという。
父がいるという陣に向かおうとした休昭であるが、街に入ったとたん、出迎えの人たちにとりかこまれてしまった。
なんとなく見覚えのある、年老いた者たちが、つぎからつぎへと現われて、ああ、あの小さな坊ちゃんが、こんなに立派になりなさった、と挨拶にやってくるのである。
なかには、自分の家で作っている果物や野菜などをくれる者もあり、それを休昭は、いちいち受け取っていたので、自分で持ち運ぶことができず、馬に乗せて運ぶことになったから、よけいに足が遅くなった。

ふと、人ごみのなかに、休昭は、あの巫の姿をみたような気がして、はっとした。
しかし、探そうとして目を向けると、巫の姿は消えていた。

「おい、人気者父子の息子のほう、凱旋行列はそれくらいにしておけ」
皮肉を含めた声に、顔を向ければ、孔明の主簿の偉度であった。
董和や孔明の視察に、一緒についてきたものである。
地味な格好をしながらも、艶やかな面差しをしている偉度は、物陰から、まるで客引きのように、休昭と文偉に、こいこいと手招いている。
「久しぶりだな、偉度」
同年代で、私的にも付き合いがあるので、文偉が気さくに偉度に声をかけると、偉度は、その姿を見て、呆れたようにため息をついた。
「おまえは董家のなんなのだ。なぜに休昭に一緒にくっついてくるのか、さっぱりわからぬ。仕事はどうした、仕事は」
「何を言う。幼宰様は、わたしにとっても父のような方。その父が旅先で遭難されたというのだから、これはお助けせねばなるまい」
「おまえが来たところでなにも変わりはしないさ。それより、真正面から陣に入るな。おまえの到着を、ここいらの人間は、日も明けないうちから、いまかいまかと待ち受けているのだ。真正面から入ったら、まちがえなく捕まって、幼宰様と同じになるぞ」
「父上は、土地の者に、なにかされたのか?」
休昭が尋ねると、偉度は、うんざりというふうに、首を振りつつ、答えた。
「なにかされたというか、大歓迎をされたのさ。ようこそお帰りなさいまし、ご出世でございますね、とかなんとか言われて、次から次へと歓待の嵐。酒はもちろん、山海の珍味だの、自慢の料理だの、自家製の干し物だの、断ったらカドが立つから、ぜーんぶ口にしたら、当然、腹を壊すだろう」
「うわあ、うらやましいな」
と、言ったのは、文偉である。
偉度は、ちらりと冷たい視線を文偉に向けた。
「うらやましいか? うんうん唸りながら、寝台と厠の往復を何日も続けているのだ。それを見て、民が、今度は、それぞれが、薬を持ち寄ってきてお見舞いの行列だ。幼宰様も、また律儀すぎるところを見せて、軍師が止めるのも聞かず、ぜんぶ飲んでしまわれるものだから、さらに症状が悪化だ」
「………だって、勧められたものは、断らないのが礼儀ではないか」
「限度がある! ほら、ここが裏口だ。家の者に、気づかれないようにしろよ」

偉度に案内されて、陣の裏から、そっと父を見舞えば、蒼い顔をして寝込んでいる董和と、傍らの孔明がいた。
孔明は、休昭と文偉の姿を見ると、安堵したように笑った。
「おまえたちが来てくれて助かった。よろしく幼宰様のお力になるように」
「それはもう。軍師、父がご迷惑をおかけいたしました。このとおり、成都の医者より、処方箋も貰ってまいりました」
「ああ、それは、いらぬ」
と、孔明はすげなく言った。
「いらぬと申されましても」
「薬はもう、いやというほど飲んで、飲みすぎなほどだ。まったく、律儀というか、気遣いのしすぎというか」
孔明の言葉に、寝込んでいる董和が、なにやら反駁したようであるが、休昭たちには、はっきりと聞こえない。
しかし、孔明は聞こえたらしく、実に冷たく突き放した。
「なんと言い訳されても、莫迦は莫迦です。言い返したいのであれば、さっさと治されるのがよいでしょう」
軍師が不機嫌だ、と、気まずくする休昭に、孔明は向き直った。
「さて、おまえたちを呼び寄せたわけであるが、民の、幼宰様への見舞いが止まらぬ。落ち着いて休ませてさしあげたいので、おまえたちが代理で相手をするように」
「ハア、つまり我らは、壁として呼び寄せられたわけでございますか」
文偉が言うと、孔明は、当然だろうと言うふうに頷いた。
「そうだ。わたしが応対しても、あんたはだれだ、幼宰様を出せと、民がまったく納得せぬ。休昭ならば、みなも覚えているであろうし、引っ込むであろうよ」
そう言ってから、孔明は、すこし困ったように笑った。
「しかし、おまえの父上は、すごい方だな、休昭。もしわたしが同じく属国都尉としてこの土地に勤めたとしても、これほど慕われる自信はないよ。父上に孝行するのだぞ」

孔明が行ってしまうと、文偉はなにやら、うんうんと一人合点している。
「軍師が不機嫌なのは、幼宰様への対抗意識からだな。さすが幼宰様、軍師に好敵手と見做されるとは」
「張り合われてもなぁ。軍師がご機嫌ななめなので、肝が縮んだよ」
つぶやきつつ、休昭は、孔明は、あの巫にすこし似ているなと思った。





さて、孔明の言いつけどおり、父の代わりに見舞いを受け、いろいろ懐かしい話をしながら、休昭は時を過ごした。
見舞い客は、夜になっても減ることはなく、陣は、董和への見舞いの品で、あっというまに一杯になってしまった。
「見舞い成金なんて言葉があるなら、いまの董家はまさにそれだな」
偉度が嫌味にちかい感心の言葉を述べていると、外から、門衛が、こんなものを渡されましたが、と、やってきた。
若い、ちょっとこのあたりでは珍しいほど綺麗な面差しをした白衣の者が、渡してくれと言って、置いて行ったのだという。
休昭が見れば、それは、いつかの日に、牢で巫に渡した、錦の袋である。
亡き母の衣を元に作ったものであるから、この世に二つとあるはずがなかった。
休昭は、身を乗り出して、門衛に尋ねた。
「これを持ってきたものは、どこへ?」
「判りませぬ。名乗らずに行ってしまいました。白衣など、我ら漢族では、葬儀のときくらいしか纏いませんので、巴族の者であろうと思います」
「どんな顔をしていた?」
問われて、門衛は、すこし顔を赤らめて答えた。
「綺麗な顔をしておりました。あの、おかしなことを言うと思われるでしょうが、実は、男か女か判じかねました」
「若かった? 老いていた?」
「若いのは間違いありませぬ」
人ごみの中で、あの巫を見たと思ったのは、やはり間違いではなかった。
巫は、ふたたびこの地に戻ってきていたのか。
まだ若い? やはり山の霊気を浴びている者は、年の取り方も、われらと違うのだろうか。
そんな幻想にとらわれつつ、休昭は、錦の袋を開けてみた。
すると、そこには、好物の黒棗の実と一緒に、書付が入っていた。
そこにはこうあった。

『董幼宰さまが寝込んでしまわれたと聞き、こうして薬を煎じて持ってまいりました。聞けば、勧められるまま、いろんな薬を飲んでしまわれたとか。
ならば、五臓を休ませてから、黒棗をお食べください。これは、特殊な方法で干した棗でございますので、きっと回復の役に立つことでしょう。
われら兄弟が、いまこうして、故郷に戻り、暮らしていくことができるようになったのも、叔父を幼宰さまが逃がしてくださったからでございます。
我らは、ご恩を生涯忘れず、子孫代々に伝えていく所存でございます。
とはいえ、昨今は巫という存在も、なにやらいかがわしい拝み屋などと同列に扱われており、我らのような者と関わりがあると知れば、うるさく言う者もございましょう。
それゆえ、あえて訪問は差し控えさせていただきました。
なつかしい允くんを、ひと目見ることがかなったのも、嬉しい限りでございます。一日も早い平癒を願っております。 安』

おわり
2005年2月に書いたものでした。
御読了ありがとうございました。

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