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はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

虚舟の埋葬 20

2009年08月08日 23時30分07秒 | 虚舟の埋葬
楊儀は、孔明の棺を、その近衛兵に守らせ、自分は輜車のなかにいた。
姜維と文偉が、先頭を行く楊儀に追いつき、孔明の死をみなに報せるべきだと提案すると、楊儀は、それを渋った。
「兵卒たちが、かえって絶望し、統制が取れなくなるのではないか」
というのが、楊儀の言い分である。
しかし文偉はかぶりを振った。
「いいえ、ほとんどが、夜が明ける前までは、敵を目の前にして過ごしていた者たちばかりでございますし、みな、亡き丞相への恩を忘れておりませぬ。
いま丞相の死を報せれば、かえってみな奮い立ち、緩んでいた士気もすぐに回復します。じき現われるであろう魏延に立ち向かうのも、追ってくる司馬仲達を迎え撃つのも、力を発揮出来ることでしょう」
筋が通った話であるし、楊儀は頷くであろうと思っていたのだが、しかし、これがうまくいかない。
「丞相が亡くなられたと聞けば、兵卒は、我らが逃げ帰るのだと誤解し、きっと怖じて動かなくなる。
逆に、丞相は生きておられると偽の情報を流し、われらの指示を丞相からの指示であるとして、軍を動かしたほうがよいのではないか」
「なりませぬ。魏将軍が現われれば、かならずや丞相がお亡くなりになったことを兵に告げ、我らがそれを隠しているのは、後継となるべき己を騙そうという、こちらの思惑があるからだと主張することでしょう。
それは、司馬仲達も同じこと。あの男のことです、おそらく、われらが急に撤退したことで、丞相の身に異変があったとすでに察していることでしょう」
とたん、楊儀の顔が険しくなった。
「なぜ仲達が、こちらの動きをそこまで読めるのだ。もしや、おまえは、司馬仲達の細作の存在を知りながら、野放しにしていたということか?」

野放しにしていたわけではない。
おそらく仲達に事態を知らせるのは、どこかに潜んでいるであろう細作ではなく、地元の民だ。
仲達は老練で抜け目がない。
地元の民を手懐け、こちらの動きを探らせていることは、文偉ばかりではなく、ほかの将も知っていた。
もちろん、敵と接触しないように注意をしていたが、それとて、完璧には防ぐことはできない。
ふたつの勢力に挟まれた場合、時勢に応じて、態度を変える。
それが民の知恵というものだ。
孔明が兵に厳命していたために、おなじ土地で、蜀の兵と地元の民が一緒に畑を耕せるほど、うまくは行っていたが、民とて、生きていくために、蜀に通じていたと疑われないようにしなければならない。
いまごろ仲達のもとに、異変をしらせに行っているはずだ。
これを止めることなど出来はしない。
それに、細作の存在云々は、この状況で問題にすべき話ではない。

「いまは、その話を論じている場合ではございませぬ」
「わたしに意見をするつもりか! それに、魏延が、自分が後継になるべきであると思い込んでいるとは、どういうことだ?」
話がまったく進まない。
文偉は焦れて、言った。
「それは、丞相が、己の後継は、魏将軍とも楊長史だとも、明言されておらぬからでございます!」
とたん、楊儀の顔に、朱が差した。
膝の上の握りしめた手に、ぐっと力が入る。
「おまえは、わたしが後継を僭称しているものとのたまうつもりか!」
「そうではありませぬ。しかし、魏将軍の行動を予測するに」
「黙れ! おまえはわたしが後継ということに、不満があるのであろう! おまえは、丞相の生前より、魏将軍とも懇意にしていた。あちらで、なにか言いくるめられたのではあるまいな!」

ふと気づけば、楊儀付きの部隊の将兵が、こちらを鋭く見つめているのに気づいた。
囲まれている。
楊儀のひとことで、拘束されかねない。

「費司馬は、言葉が足りぬだけでございます、楊長史」
と、激昂する楊儀をなだめるように、じつにやんわりと、優しい声音で姜維が口を挟んだ。
場違いなほど冷静な姜維に、楊儀も毒気を抜かれたのか、落ち着きを取り戻し、尋ねてくる。
「おまえの考えはどうだ」
「いまはっきりと判っていることは、魏将軍と司馬仲達、両者は、かならずわれらを襲ってくるということです。兵卒は、みな楊長史を認めております。
わたくしが危ぶみますのは、丞相の恩を忘れ、いまや賊と成り果てた魏将軍の口より、丞相の死が告げられること。兵卒は、たとえ楊長史に従っていても、なぜに丞相の死を黙っていたのかと、怪しみ出すことでしょう。
もとより、兵卒たちのほとんどは、純真な田舎育ち。中には、くだらぬ流言に乗せられ、魏将軍の言葉を鵜呑みにする輩も出てくるかもしれませぬ。司馬仲達が追ってきた場合にも、同じことが言えましょう。
悲しいことでございますが、たとえ信義はべつなところにあっても、命惜しさのあまり、容易に裏切る面が兵卒たちにはあるということを、頭に入れねばなりませぬ」
姜維のことばと文偉のことば、内容はまったく同じなのであるが、楊儀は、素直に感心して、頷いた。
「なるほど、おまえの言葉には筋が通る。兵卒たちをまとめるためにも、あえて正しい後継たるわたしが、正しい告知をせねばならぬ、ということだな」
激昂した己を恥じているのか、楊儀は、声をたてて笑った。
「すまぬな、わたしはどうも軍事には暗い。姜維、文偉と協力し、丞相がお亡くなりになったことをみなに伝える手筈を整えてくれ」
「お任せくださいませ。魏将軍は、いつ襲ってくるかわかりませぬ。かれの狙いは、貴方さまの首でございます。われらが命に替えてもお守りいたしますゆえ、どうぞ輜車に籠もり、丞相の棺をお守りください。あとは、わたくしどもがいたします」
楊儀は、すっかり気をよくし、大いに頷いた。
「うむ、では、一切はおまえたちに任せよう。わたしはここより指示を出す。くれぐれも、ぬかりのないようにな」
「そこはお任せを」
拱手しながら、姜維は、艶やかと評してもかまわないほど、人を惹きつける笑顔で応じた。


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