想像はしていた。
だが、はっきり面と向かって言われると、孔明もことばをなくしてしまう。
女はつづける。
「あたしと宋全《そうぜん》は、流民の子でした。もともとは洛陽に住んでいたのですが、董卓に都を荒らされて、あたしたちは長安に連れていかれました。
けれど、そこでも落ち着いて暮らすことはできず、董卓が死んだあとは、なんとか長安を脱出して、まだ落ち着いているという益州を目指したのです。
でも、そこへ行くための橋が焼き落されていて、結局、荊州に流れ着くことになりました」
そこまで語る丹英《たんえい》の目の色が、だんだん暗くなっていく。
自身の徐州から揚州への長い旅路のことも思い出し、孔明は丹英に同情した。
孔明たちはまだ、県丞《けんじょう》の子だということで、守られていた。
だが、いわば特権階級ではない民衆は、それこそ想像を絶する経験をくりかえしたに違いない。
「荊州に落ち着いたとたん、あたしと宋全の一族は、地元の人間とのいざこざに巻き込まれて、そろって親を亡くしました。
物乞いをしながらしばらく暮らしていましたが、そこへ声をかけてきたのが、あなたさまの叔父君だったのです。
諸葛玄さまは、お優しいお方でした。ぼろぼろになって、はやり病で死ぬか、あるいは身を売って自らを滅ぼすかしかないようなあたしたちに手を差し伸べてくれた。そして、樊城《はんじょう》の『壺中』の村に連れて行ってくれたのです」
「樊だと。新野の西にある、あの樊か。そのそばに、『壺中』の村がある?」
趙雲が口をはさむと、丹英は、どこか悲し気な目で、うなずいた。
「あたしたちが連れていかれたころは、まだ村はまともでした。そこでは清潔な水も食料も衣服もたっぷりあって、ほんとうに生き返ったと思った。
同じ年頃の、おなじように親を亡くしたり、はぐれたりした子たちが集められていて、そこで武術や読み書きを習ったのです。
あなたさまの叔父君は、あたしたち孤児をあつめて、学問をさせることで独り立ちできるようにと考えていたようでした。
叔父君の考えに賛同した仲間たちが、劉州牧にかけあって、土地と金を引き出していたのです」
孔明は、豫章《よしょう》の太守になるまえの叔父の行動を初めて知った。
流民の子をあつめて学問を授けようとした叔父の姿は、じつにらしいものだった。
そういう、人のためになることをするのが、なにより好きな人だったのだ。
だが、それは見せかけのものだったのだろうか。
暗殺者を育てるための村だったという『壺中』。
そこにどこまで叔父がかかわっていたのだろうか。
「でも、叔父君が豫章の太守になるために村を離れてから一年もたつと、様子が変わってきました。だんだん、あたしたちへの風当たりが強くなり、ふつうに遊んだり、学問をしたりすることが許されなくなってきたのです。
叔父君の代わりに村にやってきたあいつらは、あたしたちに細作や刺客になる訓練を受けさせるようになりました。
ただ飯を食わせてやっているのだから、われらのために働けといって。それはもう、ひどい扱いを受けました。
とても言葉では言い表せません。きれいな子は一番悲惨でした。想像がつくでしょう」
丹英の示唆するところがなんなのか、容易に想像がついて、孔明も趙雲も沈黙した。
「愛人にされたほうはまだいい。敵の閨《ねや》に送り込まれた子もいました。
泣いてもあらがっても無駄でした。あらがえば、かんたんに殺されてしまう。
あたしたちは、やつらにとって、木の葉みたいなものだったんです。
そのうち、また様子が変わってきて、村に豪族たちの子供も送り込まれるようになりました」
「豪族の子まで?」
「そうです。荊州の支配を安定させるために、やつら…蔡瑁どもは、ありとあらゆる手を使って、豪族たちを脅しつけ、人質として自分たちの子供を差し出させていたのです。
子供を人質に取られているため、豪族たちは、無理にでもいうことを聞かざるを得ませんでした。
それを拒んだ者もいましたが、たいがいが『壺中』で訓練を受けたあたしの仲間たちに暗殺されていきました」
「なんという」
「豪族の子らのなかにも、あいつらの毒牙にかかった子がいたようです。ほんとうにおぞましい…思い出すだけで吐き気のする連中でした。逆らえば、容赦なく殺しました。
矢の的にされて処刑された者や、油をかけられて火だるまにされて殺された者もいます。あいつら、それを笑って見物していた」
丹英は顔をゆがめて、吐き捨てる。
その言葉の端々の毒が、自分の体内に徐々に浸透してめぐっていくのを、孔明は感じ取っていた。
だが、どうすることもできない。
つづく
※ いつもご来場くださっているみなさま、ありがとうございます(^^♪
ブログランキングおよびブログ村に投票してくださっているみなさまも、多謝ですー!
たくさんの作品を見ていただけているようで、書いた人間も張りがあります。
これからもがんばりますので、またお時間あるときに、遊びにいらしてくださいね(*^▽^*)
だが、はっきり面と向かって言われると、孔明もことばをなくしてしまう。
女はつづける。
「あたしと宋全《そうぜん》は、流民の子でした。もともとは洛陽に住んでいたのですが、董卓に都を荒らされて、あたしたちは長安に連れていかれました。
けれど、そこでも落ち着いて暮らすことはできず、董卓が死んだあとは、なんとか長安を脱出して、まだ落ち着いているという益州を目指したのです。
でも、そこへ行くための橋が焼き落されていて、結局、荊州に流れ着くことになりました」
そこまで語る丹英《たんえい》の目の色が、だんだん暗くなっていく。
自身の徐州から揚州への長い旅路のことも思い出し、孔明は丹英に同情した。
孔明たちはまだ、県丞《けんじょう》の子だということで、守られていた。
だが、いわば特権階級ではない民衆は、それこそ想像を絶する経験をくりかえしたに違いない。
「荊州に落ち着いたとたん、あたしと宋全の一族は、地元の人間とのいざこざに巻き込まれて、そろって親を亡くしました。
物乞いをしながらしばらく暮らしていましたが、そこへ声をかけてきたのが、あなたさまの叔父君だったのです。
諸葛玄さまは、お優しいお方でした。ぼろぼろになって、はやり病で死ぬか、あるいは身を売って自らを滅ぼすかしかないようなあたしたちに手を差し伸べてくれた。そして、樊城《はんじょう》の『壺中』の村に連れて行ってくれたのです」
「樊だと。新野の西にある、あの樊か。そのそばに、『壺中』の村がある?」
趙雲が口をはさむと、丹英は、どこか悲し気な目で、うなずいた。
「あたしたちが連れていかれたころは、まだ村はまともでした。そこでは清潔な水も食料も衣服もたっぷりあって、ほんとうに生き返ったと思った。
同じ年頃の、おなじように親を亡くしたり、はぐれたりした子たちが集められていて、そこで武術や読み書きを習ったのです。
あなたさまの叔父君は、あたしたち孤児をあつめて、学問をさせることで独り立ちできるようにと考えていたようでした。
叔父君の考えに賛同した仲間たちが、劉州牧にかけあって、土地と金を引き出していたのです」
孔明は、豫章《よしょう》の太守になるまえの叔父の行動を初めて知った。
流民の子をあつめて学問を授けようとした叔父の姿は、じつにらしいものだった。
そういう、人のためになることをするのが、なにより好きな人だったのだ。
だが、それは見せかけのものだったのだろうか。
暗殺者を育てるための村だったという『壺中』。
そこにどこまで叔父がかかわっていたのだろうか。
「でも、叔父君が豫章の太守になるために村を離れてから一年もたつと、様子が変わってきました。だんだん、あたしたちへの風当たりが強くなり、ふつうに遊んだり、学問をしたりすることが許されなくなってきたのです。
叔父君の代わりに村にやってきたあいつらは、あたしたちに細作や刺客になる訓練を受けさせるようになりました。
ただ飯を食わせてやっているのだから、われらのために働けといって。それはもう、ひどい扱いを受けました。
とても言葉では言い表せません。きれいな子は一番悲惨でした。想像がつくでしょう」
丹英の示唆するところがなんなのか、容易に想像がついて、孔明も趙雲も沈黙した。
「愛人にされたほうはまだいい。敵の閨《ねや》に送り込まれた子もいました。
泣いてもあらがっても無駄でした。あらがえば、かんたんに殺されてしまう。
あたしたちは、やつらにとって、木の葉みたいなものだったんです。
そのうち、また様子が変わってきて、村に豪族たちの子供も送り込まれるようになりました」
「豪族の子まで?」
「そうです。荊州の支配を安定させるために、やつら…蔡瑁どもは、ありとあらゆる手を使って、豪族たちを脅しつけ、人質として自分たちの子供を差し出させていたのです。
子供を人質に取られているため、豪族たちは、無理にでもいうことを聞かざるを得ませんでした。
それを拒んだ者もいましたが、たいがいが『壺中』で訓練を受けたあたしの仲間たちに暗殺されていきました」
「なんという」
「豪族の子らのなかにも、あいつらの毒牙にかかった子がいたようです。ほんとうにおぞましい…思い出すだけで吐き気のする連中でした。逆らえば、容赦なく殺しました。
矢の的にされて処刑された者や、油をかけられて火だるまにされて殺された者もいます。あいつら、それを笑って見物していた」
丹英は顔をゆがめて、吐き捨てる。
その言葉の端々の毒が、自分の体内に徐々に浸透してめぐっていくのを、孔明は感じ取っていた。
だが、どうすることもできない。
つづく
※ いつもご来場くださっているみなさま、ありがとうございます(^^♪
ブログランキングおよびブログ村に投票してくださっているみなさまも、多謝ですー!
たくさんの作品を見ていただけているようで、書いた人間も張りがあります。
これからもがんばりますので、またお時間あるときに、遊びにいらしてくださいね(*^▽^*)