※
襄陽城の地下に張り巡らされた間道は、蟻の巣穴と呼ばれていた。
その道は、敵の襲撃に備えて、道がこまかく分岐している。
しかも、天井が低く、幅も狭いため、進むのに注意を要する。
もちろん、戦いの場となることを想定して作られていない。
積まれた石や土塁ののむき出しになった壁、湿った、かび臭いにおいのする通路。
苔むしてすべるところもあれば、百足などの虫が不意に落ちてくる道もある。
この道を歩いて、襄陽城へ行くということは、子供たちにとっては絶望を行くことと同じであった。
襄陽城へ呼び出されるたびに子供たちにあたえられる命令は、たいがいが下劣なもの。
この道を案内されつつ通るということは、やはり子供たちにとっては同時に命を削ることも意味していたのだ。
だが、いまは、ちがう。
この道をくぐって、外に出て、自由になるのだ。
「早く、早く!」
足がもつれがちになる子供たちを励ましつつ、年長者は年少の子の手を引き、年少の子は、置いていきぼりになるまいと懸命に足を動かした。
かれらの長たる崔州平《さいしゅうへい》の弟は朋輩に助けられながら、子供たちの殿をつとめ、背後から追いかけてくるものがないか、その気配をさぐる。
崔州平の弟が知る限り、襄陽城にいた『壷中』は、三百人。
うち、潘季鵬《はんきほう》の直属としてうごいていたのが三十名ほど。
いま、崔州平の弟と行動を共にしている子供たちは二十名ほど。
残りは、城に留まって戦っているか、あるいは反逆の意思を示し、『狗屠《くと》』や潘季鵬の部下たちに殺されてしまったかだ。
目が見えないぶん、崔州平の弟は、気配に敏感だ。
些細《ささい》な風のうごき、わずかな気配、物音。
すべてを感知することが健常者よりも早い。
背後からは、いまのところ、なにも迫っている気配がない。
抜けてきた過去の道。
その背後には、粘度の濃い、淫蕩な闇が蠢《うごめ》いている。
ひとたび具体的に未来を示されたあとでは、その闇に戻る気は起こらなかった。
またあそこでひどい目に遭わされるくらいならば、いっそ死んでしまったほうがいい。
『壷中』の子供たちにとって、行きかうのになれたはずの地下道が、いまはだれにも、ひどく長く、果てしなく続くものに感じられる。
明るい未来を約束してくれたひとたちは、無事に襄陽城から帰ってこられるだろうかと不安もおぼえる。
あのひとたちは、たった二人で、襄陽城にいる人間すべてを敵に回そうとしている。
かれらがいなくなってしまったら、ふたたび自分たちは闇に放り出されてしまうだろう。
ともに戦ったほうが、よかったのではないか…
むき出しの土壁をなぞりつつ前に進んでいくうち、不意に、前方の子供たちの足が止まった。
崔州平の弟は、己の体の毛穴が、大きく開くのをかんじた。
狭い空間に、恐怖とおどろきがあふれていく。
「あるじの危機を前に、城を捨てるつもりか、弟たちよ」
『壷中』の子供たちは成長すると、そのまま刺客になる。
しかし、とくに見目良い者、劉表に気に入られた者は、去勢され、宦官となる。
宦官になるということは、世間からすれば、なにより屈辱的なことであるが、しかし『壷中』のなかでは価値観が逆転していた。
宦官となった者の方が、より腕が立つことの証し。
格が上なのである。
鎖帷子《くさりかたびら》を身につけた、髭のないつるりとした面差しの青年ふたりが、子供たちの前に立ちふさがる。
一方の青年は、手に鎖鎌。
もう一方の青年は、長剣を持っていると、崔州平の弟のそばにいた子どもが、かれに伝えた。
幼い子供たちが怖じて、後退し、いちばん背後にいる崔州平の弟のところへ押し寄せてくる。
年長者が、逃げ惑う年少の者たちをかばうようにして、みずから武器をとり、青年たちの前へ立った。
青年たちは、子供たちに実戦の経験がほとんどないことを知っている。
かつての自分たちがそうであったから。
『壷中』では、十四を過ぎた子供でなければ、外の世界へ派遣されることはなかった。
十四以下の子供は素直すぎて、かえって外の世界に感化され、懐柔される恐れがあるからだ。
万が一、どうしても外にでなくてはならないときには、かならず『壷中』の、世間を知る年長者が行動を共にしていた。
そうして互いを監視しあうわけであるが、その際、行動を共にする場合に、より深い関係をむすぶことを、『壷中』は奨励する。
そうすれば、外地へ行っても、誘惑に負けることもすくなくなるし、年少者は年長者のために尽くすし、年長者は年少者によいところを見せようと、より奮闘するからだ。
そうして人間関係でもがんじがらめにして、脱け出せないようにするのが『壷中』のやり方であった。
つづく
※ いつも当ブログに遊びに来てくださっているみなさま、ありがとうございます、感謝です(*^▽^*)
そして、ブログ村及びブログランキングに投票してくださっているみなさまも、うれしいです、とても励みになっています!
さらには、サイトのウェブ拍手を押してくださったみなさまも、ありがとうございます、光栄ですー!
「臥龍的陣」もいよいよ太陽の章まできました。
それもこれも、みなさまから応援をいただけたからこそ!
PCが使えなくなったり、戦争勃発にあああ、となって落ち込んでなにもできなくなったり、いろいろありましたが、戻ってこられたのもみなさまのおかげです!
ラストまで完走します! ぜひお付き合いくださいませ。
でもって、近況報告はのちほどさせていただきますね。
更新しましたら、どうぞ見てやってくださいませ。
襄陽城の地下に張り巡らされた間道は、蟻の巣穴と呼ばれていた。
その道は、敵の襲撃に備えて、道がこまかく分岐している。
しかも、天井が低く、幅も狭いため、進むのに注意を要する。
もちろん、戦いの場となることを想定して作られていない。
積まれた石や土塁ののむき出しになった壁、湿った、かび臭いにおいのする通路。
苔むしてすべるところもあれば、百足などの虫が不意に落ちてくる道もある。
この道を歩いて、襄陽城へ行くということは、子供たちにとっては絶望を行くことと同じであった。
襄陽城へ呼び出されるたびに子供たちにあたえられる命令は、たいがいが下劣なもの。
この道を案内されつつ通るということは、やはり子供たちにとっては同時に命を削ることも意味していたのだ。
だが、いまは、ちがう。
この道をくぐって、外に出て、自由になるのだ。
「早く、早く!」
足がもつれがちになる子供たちを励ましつつ、年長者は年少の子の手を引き、年少の子は、置いていきぼりになるまいと懸命に足を動かした。
かれらの長たる崔州平《さいしゅうへい》の弟は朋輩に助けられながら、子供たちの殿をつとめ、背後から追いかけてくるものがないか、その気配をさぐる。
崔州平の弟が知る限り、襄陽城にいた『壷中』は、三百人。
うち、潘季鵬《はんきほう》の直属としてうごいていたのが三十名ほど。
いま、崔州平の弟と行動を共にしている子供たちは二十名ほど。
残りは、城に留まって戦っているか、あるいは反逆の意思を示し、『狗屠《くと》』や潘季鵬の部下たちに殺されてしまったかだ。
目が見えないぶん、崔州平の弟は、気配に敏感だ。
些細《ささい》な風のうごき、わずかな気配、物音。
すべてを感知することが健常者よりも早い。
背後からは、いまのところ、なにも迫っている気配がない。
抜けてきた過去の道。
その背後には、粘度の濃い、淫蕩な闇が蠢《うごめ》いている。
ひとたび具体的に未来を示されたあとでは、その闇に戻る気は起こらなかった。
またあそこでひどい目に遭わされるくらいならば、いっそ死んでしまったほうがいい。
『壷中』の子供たちにとって、行きかうのになれたはずの地下道が、いまはだれにも、ひどく長く、果てしなく続くものに感じられる。
明るい未来を約束してくれたひとたちは、無事に襄陽城から帰ってこられるだろうかと不安もおぼえる。
あのひとたちは、たった二人で、襄陽城にいる人間すべてを敵に回そうとしている。
かれらがいなくなってしまったら、ふたたび自分たちは闇に放り出されてしまうだろう。
ともに戦ったほうが、よかったのではないか…
むき出しの土壁をなぞりつつ前に進んでいくうち、不意に、前方の子供たちの足が止まった。
崔州平の弟は、己の体の毛穴が、大きく開くのをかんじた。
狭い空間に、恐怖とおどろきがあふれていく。
「あるじの危機を前に、城を捨てるつもりか、弟たちよ」
『壷中』の子供たちは成長すると、そのまま刺客になる。
しかし、とくに見目良い者、劉表に気に入られた者は、去勢され、宦官となる。
宦官になるということは、世間からすれば、なにより屈辱的なことであるが、しかし『壷中』のなかでは価値観が逆転していた。
宦官となった者の方が、より腕が立つことの証し。
格が上なのである。
鎖帷子《くさりかたびら》を身につけた、髭のないつるりとした面差しの青年ふたりが、子供たちの前に立ちふさがる。
一方の青年は、手に鎖鎌。
もう一方の青年は、長剣を持っていると、崔州平の弟のそばにいた子どもが、かれに伝えた。
幼い子供たちが怖じて、後退し、いちばん背後にいる崔州平の弟のところへ押し寄せてくる。
年長者が、逃げ惑う年少の者たちをかばうようにして、みずから武器をとり、青年たちの前へ立った。
青年たちは、子供たちに実戦の経験がほとんどないことを知っている。
かつての自分たちがそうであったから。
『壷中』では、十四を過ぎた子供でなければ、外の世界へ派遣されることはなかった。
十四以下の子供は素直すぎて、かえって外の世界に感化され、懐柔される恐れがあるからだ。
万が一、どうしても外にでなくてはならないときには、かならず『壷中』の、世間を知る年長者が行動を共にしていた。
そうして互いを監視しあうわけであるが、その際、行動を共にする場合に、より深い関係をむすぶことを、『壷中』は奨励する。
そうすれば、外地へ行っても、誘惑に負けることもすくなくなるし、年少者は年長者のために尽くすし、年長者は年少者によいところを見せようと、より奮闘するからだ。
そうして人間関係でもがんじがらめにして、脱け出せないようにするのが『壷中』のやり方であった。
つづく
※ いつも当ブログに遊びに来てくださっているみなさま、ありがとうございます、感謝です(*^▽^*)
そして、ブログ村及びブログランキングに投票してくださっているみなさまも、うれしいです、とても励みになっています!
さらには、サイトのウェブ拍手を押してくださったみなさまも、ありがとうございます、光栄ですー!
「臥龍的陣」もいよいよ太陽の章まできました。
それもこれも、みなさまから応援をいただけたからこそ!
PCが使えなくなったり、戦争勃発にあああ、となって落ち込んでなにもできなくなったり、いろいろありましたが、戻ってこられたのもみなさまのおかげです!
ラストまで完走します! ぜひお付き合いくださいませ。
でもって、近況報告はのちほどさせていただきますね。
更新しましたら、どうぞ見てやってくださいませ。