はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

井戸のなか その15

2013年08月15日 09時19分15秒 | 習作・井戸のなか
「ぜひそうしろよ。せっかくきれいな顔を親からもらったのに、その顔に毎日生傷を作っているというのもどうかとおもうわけだよ、おれは」
「でもだいぶ顔も鍛えられて、頑丈になってきたとおもわないか」
「ちがう。おまえが喧嘩慣れしてきて、顔を狙われてもうまく避けられるようになっただけの話だ。みんなは腕っ節がつよくないし、ある程度は手加減しているみたいだからいいが、そのうち、勘ちがいした莫迦があらわれて、鼻でも折られたらどうするんだよ。一生が台無しだぜ」
「徐兄にしてみれば、わたしたちの喧嘩なんて、子犬がじゃれているみたいなものなんだろうね」
「まあ、そんなところだ。そうじゃなかったら、本気で止めるよ」
笑いつつ答えて、ふと件の席を見ると、親父の前に、顔のまわりをぐるりとほっかむりして隠している薄汚れた男があらわれた。
「おい、孔明、親父さんに客が来たぜ」
「ずいぶん怪しい男だな」

店先でおこなわれている闘鶏の賑やかさにまぎれて、遠くの席のふたりの話し声まではなかなか聞き取れない。
しかし、見ていると、親父のほうは、背負ってきた着物やかもじを店の卓にならべて、相手の男にしきりに文句を言っているようである。
ときどき、親父は興奮して、どん、どん、と卓を拳で叩く。
しかし相手の男は、微動だにせず、我慢して親父のことばを受け止めている、というふうだ。
が、やがて、男のほうがゆらりと起き上がった。
なんだろうと注目していると、親父の目が恐怖で見開かれた。
男の手に、匕首が光っているのだ。
あっとおもった瞬間には、男は親父を刺して、そのまま弾丸のように店の外に飛び出していた。

「孔明、親父をたのむ! おれはあいつを追う!」
孔明がわかった、というのを背後に聞きながら、徐庶は男を追って、店を飛び出した。
男の足は鹿のように早く、すでに雑踏の向こうに点になりつつあった。
とはいえ、徐庶も負けてはいない。
ふだんこそ、水鏡先生の私塾において用務の仕事をしたり、学生といっしょに書物に取り組んだりしておとなしくしているが、もともとは重い剣を背負って山野を駆け巡って足腰を鍛えていたのである。
腿を高く上げて、両腕を思い切り振り、男を追いかけていく。
男が、ふっと立ち止まり、うしろを振り返った。
そこではじめて、男は徐庶の追跡を知ったようだ。
男が全身でぎくりとしたのが見えた。
男が路地に入っていく。かつて徐庶は、襄陽が攻められた場合の防御戦はどうなるかを塾生たちと議論したことがあった。
そのため、市街図をほとんど頭に叩きいれていたから、男が向かったさきが、行き止まりだということを記憶していた。そこで、足をいくぶんゆるめて、路地に入っていくと、案の定、匕首を持った男が、猟犬に追い詰められた猪のような顔をして、徐庶を待ち受けていた。

男の顔の輪郭を隠していた布は、いまははだけて、顔の全体があらわになっている。
点々とした眉毛、ぎょろりとしたまなこ、ぼてっとした丸い鼻、そして、顎のところにある特徴的な黒い大きなほくろ。
劉が探している、追いはぎである。

つづく…


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