「なんというかなあ、純粋なのだよ。純粋ばか。あんまり純粋で純真なので、こっちもあまり居丈高になれない。だが、やはり先生には、お引取りいただいたほうがいいなと判断した。
話はもどるが、趙雲、張伸先生は、儂に失望して、いますぐ新野を発つようだから、おまえはさっき言ったとおり、先生を樊城へ送ってさしあげてくれ。おまえと一緒なら、片道二晩ほどでいけるだろう。あんなんじゃあ、ふるさとに戻れるかどうかも心配でな。放っておいてもいいんだが、なんだか気にかかる。面倒な頼みだが、もちろん聞いてくれるな」
劉備のたのみを趙雲が聞かなかったことがない。
これまで、かなり無茶な頼みでも、趙雲は平然と聞いて来た。
これは楽なほうの話だ。変わり者の説客を故郷に送り返せばいいのである。
そも、劉備の出す「面倒」なんてものはあくまで常識の範囲での面倒なので、趙雲もやりやすい。
それはともかく、趙雲は、さっそく、張伸を探しにいった。
だが、城の守衛に聞けば、張伸は劉備との会見がうまくいかなかったあと、城にぐずぐずしておらず、さっさと退去してしまったという。
劉備が送り届けよといったのだから、それを果たさず城に帰るわけにはいかない。
趙雲は張伸を探し回った。
説客の足はあんがい速いものだから、もしかしたらもう城市を出て行ってしまったかもしれないとおもいつつ。
そこで探し回ること二刻あまり。
趙雲は新野のこじんまりとした市場のそばにある、柳並木の小川にかけられた土の橋のうえで、ぼんやりと立っている長身の青年を見つけた。
劉備から風体は聞いていたので、すぐにそれとわかった。
かれは身の丈七尺五寸あまり、すらりとしていて、年の頃ははたちを過ぎたくらい。
全体的に色がうすくて、髪の色が少々茶色いのが特長である。
波模様の入った土黄色の衣をまとっており、帯は浅草緑色。
腰からは大きな佩玉がぶら下がっている(あれを婦人と交換するあては、あの御仁はなさそうだ、面はいいが、性格が生真面目すぎる、婦人にゃ物足りないだろうよ、と劉備は真面目に心配していた)。
ちょうど趙雲には背中を向けていたので、どんな顔をしているかはわからない。
そこで名を呼んで見ると、どんぴしゃりで張伸だった。
おどろいたことに、張伸のこげ茶色の目は、おびえているように揺れていた。
その薄く赤い唇はわなわなとふるえ、顔面は蒼白。
なにか恐ろしいことでもあったのだろうか。
趙雲が携帯している気付け薬を取り出そうとするよりさきに、震えるこえで、張伸がたずねてきた。
「この橋の名は、なんというのですか」
趙雲は、たまたまその橋の名をおぼえていた。
どこのだれがこじつけてつけたのか、あまりに素っ頓狂な名前だったからである。
橋の名は、黄石公橋、といった。
かの前漢の不世出の天才・張良が、その橋の上でなぞの老人・黄石公に軍法書をさずけられたという伝説は有名だ。
おそらく、この橋の名をつけて、さらに広めた人間は、その伝説に出てくる橋が、この橋のようだったにちがいないとおもったのだろう。
じっさいに張良が軍法書を授けられたのは徐州の下邳であって、ここ、荊州の新野ではない。
つづく…
話はもどるが、趙雲、張伸先生は、儂に失望して、いますぐ新野を発つようだから、おまえはさっき言ったとおり、先生を樊城へ送ってさしあげてくれ。おまえと一緒なら、片道二晩ほどでいけるだろう。あんなんじゃあ、ふるさとに戻れるかどうかも心配でな。放っておいてもいいんだが、なんだか気にかかる。面倒な頼みだが、もちろん聞いてくれるな」
劉備のたのみを趙雲が聞かなかったことがない。
これまで、かなり無茶な頼みでも、趙雲は平然と聞いて来た。
これは楽なほうの話だ。変わり者の説客を故郷に送り返せばいいのである。
そも、劉備の出す「面倒」なんてものはあくまで常識の範囲での面倒なので、趙雲もやりやすい。
それはともかく、趙雲は、さっそく、張伸を探しにいった。
だが、城の守衛に聞けば、張伸は劉備との会見がうまくいかなかったあと、城にぐずぐずしておらず、さっさと退去してしまったという。
劉備が送り届けよといったのだから、それを果たさず城に帰るわけにはいかない。
趙雲は張伸を探し回った。
説客の足はあんがい速いものだから、もしかしたらもう城市を出て行ってしまったかもしれないとおもいつつ。
そこで探し回ること二刻あまり。
趙雲は新野のこじんまりとした市場のそばにある、柳並木の小川にかけられた土の橋のうえで、ぼんやりと立っている長身の青年を見つけた。
劉備から風体は聞いていたので、すぐにそれとわかった。
かれは身の丈七尺五寸あまり、すらりとしていて、年の頃ははたちを過ぎたくらい。
全体的に色がうすくて、髪の色が少々茶色いのが特長である。
波模様の入った土黄色の衣をまとっており、帯は浅草緑色。
腰からは大きな佩玉がぶら下がっている(あれを婦人と交換するあては、あの御仁はなさそうだ、面はいいが、性格が生真面目すぎる、婦人にゃ物足りないだろうよ、と劉備は真面目に心配していた)。
ちょうど趙雲には背中を向けていたので、どんな顔をしているかはわからない。
そこで名を呼んで見ると、どんぴしゃりで張伸だった。
おどろいたことに、張伸のこげ茶色の目は、おびえているように揺れていた。
その薄く赤い唇はわなわなとふるえ、顔面は蒼白。
なにか恐ろしいことでもあったのだろうか。
趙雲が携帯している気付け薬を取り出そうとするよりさきに、震えるこえで、張伸がたずねてきた。
「この橋の名は、なんというのですか」
趙雲は、たまたまその橋の名をおぼえていた。
どこのだれがこじつけてつけたのか、あまりに素っ頓狂な名前だったからである。
橋の名は、黄石公橋、といった。
かの前漢の不世出の天才・張良が、その橋の上でなぞの老人・黄石公に軍法書をさずけられたという伝説は有名だ。
おそらく、この橋の名をつけて、さらに広めた人間は、その伝説に出てくる橋が、この橋のようだったにちがいないとおもったのだろう。
じっさいに張良が軍法書を授けられたのは徐州の下邳であって、ここ、荊州の新野ではない。
つづく…