goo blog サービス終了のお知らせ 

はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

甘いゆめ、深いねむり その5

2013年07月05日 09時19分52秒 | 習作・甘いゆめ、深いねむり
その男勝りの美姫が、めずらしく琴を披露するという。
さてはて、どんな音色になるやら、いや、文武両道の姫のことであるから、楽の才にもめぐまれているかもしれぬ、などなど、さまざまな声があがるなか、宴席の脇の帳がさっと引き上げられ、その奧に、調練場で着ているような鎖帷子を脱ぎ捨てて、無垢な白地に色鮮やかなべにの花の模様が染め抜かれたうつくしい衣をまとった紅霞が、琴をじゃらん、とかき鳴らしはじめた。
それにあわせて、楽団も音を出す。

顔良は紅霞の登場におどろき、そのまま杯を落としてしまうところであった。
なぜ自分が、これほどまでにおどろいているのかは、わからない。
いや、この気持ちはおどろきであろうか。雷に打たれたようにこころが痺れている。
紅霞を、いままで遠くから見ては、変わり者の姫じゃとおもうばかりであったが、近くで見る姫のうつくしさといったらどうだろう。これほどに麗しい姫であったとは。
くれないの霞、という名前から、顔良は、ことばの意味どおり、紅色の花が夕もやの霞のようにいっぱいに咲いている野原を思い出した。
前かがみになって真剣に琴にいどむ姿はいかにも実直な性格をあらわしていて好ましいものであったし、うっすらと小麦色に焼けた肌のつやつやと輝いていること。
色が白いほうが世の中では喜ばれるようだが、顔良には色の黒いのがずいぶん気に入った。
故郷にいる母や姉たちも、まいにち太陽のしたで働いていたから、あのように黒い。
あれは働き者の証の黒さなのだ。そして、色が黒かろうと、紅霞のかもしだす雰囲気はあくまで凛としており、清潔な感じをうかがわせた。まちがっても、あの琴線をふるわせる指のつめには、泥など詰まっていないだろう。
激しくかき鳴らされる音の向こうで、真面目に音を追いかけるそのひたむきな黒い瞳も好みであったし、真剣に引き結ばれた赤い唇にしても、あれをほころばせることができたら、どんなにうれしいかとおもうものであった。
鼻はちょうどよくつんと尖っていて、このうえなく気品が感じられる。いささか大柄であるが、手足の長さがほどよく顔がちいさいので、顔良にはあまり気にならなかった。

顔良はうっとりと紅霞を見つめた。
もはや、楽の音もまともに聞こえていない。
琴に挑む紅霞の姿は、熱情すら感じさせるものであり、その場のだれもが、圧倒されて口をひらかずにいた。

とはいえ、演奏そのものが美麗であったかというと、そうではない。
だれもが紅霞のうつくしさに魅了されていたのだが、音楽そのものに対しては、戸惑いをおぼえていた。
というのも、紅霞の演奏した音楽は、まったく知られていない曲であったからである。
琴をまるで敵かなにかのように激しく打ち鳴らすその演奏は、華麗である一方で、どこか挑戦的であった。
そのため、最初は笑みを浮かべて聞いていた者たちも、しだいに紅霞の指がつむぐ音の意味を感じ取りはじめて、口をへの字に曲げはじめる。
ぽかんと口をあけて、だらしない顔をしているのは顔良ひとりであった。

つづく…

甘いゆめ、深いねむり その4

2013年07月04日 09時12分56秒 | 習作・甘いゆめ、深いねむり
じつは顔良は、髭のうすいのっぺりとした男か女かよくわからないような顔をした郭図や、いかにも陰険そうで、隙あらば人の足を引っ張る手を持っていそうな審配、笑ってはいても、目をつねにぎらぎらと光らせ、他人の落ち度を探している逢紀といった面々が好きになれなかった。
こういう面魂の男たちを好くことのできる人物は少なかろうとさえおもうのだが、その少ない部類にどうやら袁紹が入ってしまっているのだから、仕方ない。
沮授の落ち込みと、財産を分けたという話の一方で、やたらとはしゃぐ速戦派の面々というちぐはぐな雰囲気に、たしかに胸騒ぎを感じつつも、顔良は、それはおれの頭がそんなによくないから、主公のお決めになったことを理解しきれないのだ、というふうに考えた。

その袁紹はというと、沮授の物悲しげな顔をまったく無視して、いかにも袁家のあるじらしく、派手な紅色の衣裳を身に纏い、宝玉のはめこまれた豪華な杯で酒を飲み、腹の底からたのしくてたまらないといったふうに笑いつづけている。
それはそうだろうと、顔良も満足におもって、おなじく酒を飲む。
仕女がやってきて、顔良の杯にすばやく酒を注いでいく、顔良はまた呑む。なにやらほろ酔い気分になってきた。今日の酒は格別にうまい。考えなくても、よほどのことがないかぎりは、曹操は負け、袁紹軍が勝つ。軍をうごかしたという時点で、もう勝ったも同然の気配だ。
沮授は悲観主義のかたまりなのだ。速戦だろうと持久戦だろうと勝つものは勝つのだと決まっているのだから、ならば、やはりさっさとけりをつけたほうが利巧というものだろう。のっぺり顔の郭図と意見が一致してしまったのは、やや薄気味わるかったが、顔良は沮授の悲しみをそれ以上は考えないことにした。
そして、また杯を空けていると、袁紹が、ぱん、ぱん、とゆっくりとした動作で手を叩き、みなの注意を引いた。
「ここいらで、みなに余興をお目にかけよう」
余興、と聞いて、みなが飲むのをやめて、いかにも大人(たいじん)といったふうの福福しい顔をした袁紹が、満面の笑みを浮かべているのをみた。
みなの視線がほどよく集中したのを見て、袁紹は満足げにうんうんとうなずいて、それからふたたび言った。
「楽団は備えよ。これより紅霞が琴を披露するゆえ」

紅霞。
そう聞いて家臣たちから、宴にはべっていた芸妓、舞姫たちまでがざわめきはじめた。一方で、音楽隊のほうはというと、事前に話を聞いていたようで、ざわめきとは無関係といったふうに、いささか緊張した面持ちで楽をかなでる準備をはじめている。
袁紹の妹の娘であり、いまは田豊の養女となっている紅霞の名を知らぬものはこのなかにはいない。
だれの心も瞬時に奪ってしまう美貌は、袁紹の次男・袁熙の夫人にも劣らないといわれており、そのうえ、彼女は才気煥発な男勝りで有名であった。
鄴で留守番をまもっている女たちとはべつに、紅霞だけがこの黎陽に出陣してきたようである。それだけでも、彼女の気の強さがうかがいしれよう。
顔良も、何度か紅霞を遠目で見かけたことがある。それは調練場においてであった。彼女は自分の仕女やたちのなかから、見所のある娘たちを選抜して娘子隊をつくっており、その訓練に日夜はげんでいたのである。
紅霞は紅霞なりに、袁一族の役に立ちたいとけんめいなようであったが、しかし、彼女の娘子隊がどこまで役に立つのかはだれにもわからなかったし、また、戦場で女こどもがまともに活躍できるとおもっている者も少なかった。
そのため、紅霞は、たしかに美貌の姫で袁一族にばつぐんの忠誠を誓っている姫であったにもかかわらず、その向こう見ずな行いのために、いささか男たちからは軽んじられている姫でもあった。

つづく…

甘いゆめ、深いねむり その3

2013年07月03日 09時05分09秒 | 習作・甘いゆめ、深いねむり
先に越される、というのは、曹操が漢帝国のあるじである皇帝を保護し、それを自領の許都にて匿ったことをさす。
すでに天下は荒れにあれ、年若い無力な皇帝には実権はなにもない状態であったが、やはり、いくばくかの威光はのこっていて、帝を許都に擁立するということは、曹操は帝の代理人になったということと同義だった。
漢帝国にいまだ忠節を誓う人物は多く、かれらは帝に仕えたければ、その庇護者である曹操に屈しなければならない状況ができあがった。
曹操もそのあたりは心得ていて、自分に節を折らない人物はつぎつぎと排除して、地盤固めをおこなっている。

もっとも、自勢力に帝を組み込もうとかんがえたのは、曹操ひとりではなかった。袁紹の家臣で、沮授の盟友でもある田豊もまた、帝を袁紹の本拠地である鄴にお迎えするようにと指示していた。じゅうぶんに、それはできるはずであった。
ところが袁紹は、溺愛する末子袁尚のとつぜんの病のほうが気がかりで、帝どころではない。袁紹みずからが袁尚の看病にあたっているそのあいだに、帝は曹操にとられてしまった。
田豊はそのとき、悔しさのあまり杖を地面に叩きつけて地団駄を踏んでいたという。

もちろん、曹操が帝を背景に急速に求心力を高めたことは、そのチャンスをみすみす見逃した袁紹にもよくわかっていた。
だからこそ、速戦を主張する郭図らのことばが耳に心地よく響いたのかもしれない。
それに、どう比較しても、ちっぽけな曹操の兵力と、膨大といってもいいほどの兵力と財力を持つ袁紹、小と大、蟻と象、勝つのがどちらかは、目に見えている。もし土地と人の回復を待ちながら持久戦に入ったとしても、結局、なんらかの被害は出てしまうものではないか。
ならば、速戦で早めに決着をし、曹操を料理したあと、ぞんぶんに河北と河南の地を慰撫してやればよいのだ。袁紹はそう考えた。

ところが、田豊とともに持久戦を主張する沮授は、まだその考えにこだわっている。
顔良は、自分の策が容れられなかったからといって、沮授はあからさまに顔に不平を出しすぎなのではないかと、主君の気持ちになって不快になった。
顔良も、もともと顔に出るたちである。
そのいかつい太い眉をひそめていると、やはりそれと察したのか、となりの淳于瓊がまた言った。
「あくまでうわさであるが、沮授どのは、この戦は負けるかもしれぬといって、ご一族にご自身の財貨をお分けになったそうだぞ。大将ともあろうものが、不吉な行いをするものだて」
それこそあきれた話だ。
よりによって、壮行会に出席しながら、その負けを予感して、あんなちんけな顔をしている、それだけでも腹立たしいのに、負けたと想定して、そのあとの処理もちゃっかり行っているとは。
顔良には、用意周到さというべきか、そのあたりの身の振りかたはどうしても理解できない。生きるときは生き、死ぬときは死ぬ。それが顔良の哲学であったから。
だいたい沮授は、袁紹軍のなかでも、もっとも強大な軍権を所有している人物である。いわば大将といってよいが、その人物が負けを予想してしょんぼりしているということ事態が、なにやら異様な感じでもあった。
対照的に、速戦を主張していた郭図や審配、逢紀たちはじつにほがらかに酒を飲んでいる。

つづく…

甘いゆめ、深いねむり その2

2013年07月02日 10時05分48秒 | 習作・甘いゆめ、深いねむり
戦での顔良の目的は、敵を圧倒すること、怖気をふるわせ、数で蹴散らすこと、そしてうまくいけば大将の曹操の首をとること。
めまいがするほどの兵力差のある袁紹と曹操である。顔良は、天地がひっくりかえろうと、自軍が負けることがあるはずがないと信じている。
それは顔良にかぎらず、袁紹軍のすべての人間、飯炊きのから主君の袁紹に至るまで、全員がそう信じて疑っていなかった。
曹操は負け、袁紹が勝つ。
勝って当然なのだ、負ける要素はどこにもない。

袁紹は顔良ら先陣をかざる武将たちのため、華々しい壮行会をひらいてくれた。
春のおとずれがあちこちで感じられる二月、まだ風にぴりりとした寒さののこるなか、宴は盛大にひらかれた。
城内においては枯れ木にすぎなかった梅にぽっかりと白い花がほころびはじめ、長い冬のあいだは聞かれなかった小鳥の軽やかな歌声もところどころから聞こえ始めていた。
軒先の氷柱も数を減らし、身を細らせ、ぽたぽたと地面に雫をたらしている。その音が、さらに春を告げる音となって、あちこちに響いていた。
城内のあちらこちらでは、春のかおりに合わせた香が焚き染められ、その白煙のなかを艶やかな色につつまれた仕女たちが、宴の準備のために忙しく立ち働く。
その衣擦れの音と、袁紹の抱える楽団の音、宴に出席している客人たちの会話などがまざりあい、ちょうどいいさざめきとなっていた。

宴の主役は沮授と顔良、淳于瓊であった。このたび本陣である黎陽からおなじく出陣する三人である。
沮授という男は九年前の初平二年に袁紹の配下になった男で、袁紹の知恵袋として河北の統一に尽力してきた。もともと気難しい顔をした男だが、今日はとくに表情が冴えない。
文官、武官と分けられた席なので、となりの武官である淳于瓊に、いったいなにがあったのかとたずねると、淳于瓊はその質問じたいに困ったような顔をして、知らぬのか、と逆にたずねてきた。
なにも知らなかったので、知らぬ、と素直に答えると、淳于瓊は主席の袁紹のほうをちらちらと気にかけながら、小声で言った。
「昨年、対曹操の作戦を論議したさいに、あのお方と田豊どのは、持久戦を主張なさったであろう。けっきょく主公は速戦を採用なさったのだが、沮授どのとしては、それがいまも気にかかっているようなのだ」
なにをいまさら、と顔良はあきれた。
この年の前の年である建安四年、袁紹は曹操を駆逐するためには、どのような作戦でかれを圧倒すればよいかを謀臣たちにたずねた。
すると、沮授と田豊は、先にほろぼした公孫瓚との戦の傷もまだいえていない、土地と人の回復を待ちながら持久戦でことに当るべきだと主張。
一方の郭図、審配、逢紀らは、なんの、そのような悠長なことを言っていられるか、いまが天下統一の好機にほかならない、家柄、人望、兵数、財力、人材のすべてにおいて、袁家は曹操を圧倒しているのである、数で押して、素早く曹操を踏み潰したほうが良い、という主張をした。
兵は拙速を尊ぶと古くからいうではありませぬか、もたもたしていたなら、またも曹操に先に越されてしまいます。

つづく…

甘いゆめ、深いねむり その1

2013年07月01日 09時16分26秒 | 習作・甘いゆめ、深いねむり
かれは夢をみていた。
夢に深度があるならば、それまでは浅い夢を。

戦場で生き残る、敵の首をとり、出世し、袁紹軍の数ある武将のなかでもだれに勝るとも劣らない人材として確固たる地位を築く。
そして戦が終わったあとは、だれよりも富貴をきわめた安楽な生活を謳歌するのだ。
ふるさとの徐州からつれてきて、いまは鄴にて帰りを待ってくれている古女房とだいじな一人息子。それから徐州に置いてきた両親や一族も呼び寄せよう。そうしてみんなでおもしろおかしく暮らすのだ。世の中の苦労とはいっさい縁を切って。

それがかれ、顔良の夢だった。
ありきたりであるが、想像のしやすい、そしてかれの実力ならば、じゅうぶんに手の届がとどくであろう夢だった。
かれは自分の、熊さえ素手で倒せる腕力と、場数を踏んで磨かれ抜いている武術にかなうものは、この天下では、兄弟分の文醜しかいないとおもっている。
顔良はあまりあれこれと複雑にものを考える性質の男ではなかったので、夢が自分を裏切ることはないだろうと固く信じていた。

じっさいに、夢は現実のものとなりそうである。
建安五年、いよいよ北方の英雄袁紹は、小癪にも帝を擁立して許都でふんぞり返っている曹操を討伐するために動き出す。
そして顔良は、おぼえめでたくも、その先陣にえらばれたのであった。
出陣は三日後。

世人の、顔良を見る目もちがう。
かれが歩くたびに、ひとびとがこうささやいているのが聞こえてきそうだ。
ほら、あれが袁紹自慢の勇将顔良だよ。かれがあらわれると戦場に道ができるらしい。道というのは、かれが目の前の敵を片っ端からやっつけてしまうので、ちょうどその行った後というのがきれいな道に見えるのさ。そして、敵も顔良がこわくて、かれの行く手を阻まず、ちょうどその先に海が割れたような感じになる。行ったあとも道、行く手にも道。すごい男だろう。

顔良は長く戦場に暮らし続けて、しかも確実に生き残っていたから、たしかに実力もあった。
だから、逆にひとびとのそんな賛辞にはまったく無頓着で、むしろ当然の言葉としてそれらを受け止めていた。
あたりまえとおもってしまうと、どんなものでも色褪せるもので、たとえそれが顔良の尊敬する高官から出たことばでも、あるいは、袁紹の抱える美女たちがささやいたことばでも、うれしいにはうれしいが、あまり価値のあることばとはおもえなくなっていた。
かれのいまのいちばんの関心ごとといったら、やはり曹操の首をとることであった。
兵力の差、軍備の差、兵糧の差、どれをとっても袁紹は圧倒的な象で、弱小といってもいい曹操は蟻だった。
曹操は目端のきくねずみのような小男にすぎず、かれの部下もたいしたことはないということは、主君の袁紹みずからが、毎日のように言っている。
なんでも袁紹と曹操は幼なじみで、若いころはよくいっしょにつるんで、悪いこともしたらしい。それが袂をわかって、さまざまに関係がこじれにこじれていまにいたる。
世人は天下をとるに足るのは曹操か、あるいは袁紹かと目しており、あまりむずかしいことを考えない顔良にも、袁紹が、今度こそ曹操を踏み潰さんと本気になっていることは理解していた。

つづく…

新ブログ村


にほんブログ村