1926年に産声をあげたトーナメントが帰ってくる。一度はツアーから外れた関西オープンゴルフ選手権が、今年18年ぶりにジャパンゴルフツアーの賞金ランキング加算競技として復活する。
年々高騰する賞金総額に対応しきれず、やむなく地区競技に降格したのは1992年だった。
当時は大会自体の中止も検討されたが、主催の関西ゴルフ連盟に加盟する236倶楽部の支援もあって地道に回を重ねられてきた。
賞金総額の減額や、競技日数を減らすなどその規模こそ縮小されたが、地元関西の人々にとって思い入れの熱い大会であることに、かわりはなかった。
ツアー競技への復活を望む声も、やはり地元から沸き起こった。
「オープン検討委員会」を立ち上げ、着々とその基盤が築かれつつあったとき、さらなる追い風は吹いた。
昨年の74回大会で、石川遼がプロ初優勝をあげた。
初日から首位を走り続け、最終日には池田勇太の猛追も振り切っての完全優勝だった。
16歳と11ヶ月の大会史上最年少優勝が、大会のツアー競技復活にますます弾みをつけた。
大会“復活”の舞台となる兵庫県宝塚市の宝塚ゴルフ倶楽部は、大会を主管する日本ゴルフツアー機構の亡き島田幸作・前会長のホームコースでもある。
生前は会長職とともに、地元のスポーツ振興に尽力してきた島田氏の思いが詰まった舞台で、石川が連覇を狙う。
先週は自身のメジャー3戦目「全米プロゴルフ選手権」でメジャーでみごと初の予選を突破。興奮さめやらぬままの会場入りに、「アメリカで足りないと感じた部分を、また次の日本ツアーで生かしたい。関西オープンで、また一つ大きくなった自分を見せたい」と、している。
(J.G.T.O )
年々高騰する賞金総額に対応しきれず、やむなく地区競技に降格したのは1992年だった。
当時は大会自体の中止も検討されたが、主催の関西ゴルフ連盟に加盟する236倶楽部の支援もあって地道に回を重ねられてきた。
賞金総額の減額や、競技日数を減らすなどその規模こそ縮小されたが、地元関西の人々にとって思い入れの熱い大会であることに、かわりはなかった。
ツアー競技への復活を望む声も、やはり地元から沸き起こった。
「オープン検討委員会」を立ち上げ、着々とその基盤が築かれつつあったとき、さらなる追い風は吹いた。
昨年の74回大会で、石川遼がプロ初優勝をあげた。
初日から首位を走り続け、最終日には池田勇太の猛追も振り切っての完全優勝だった。
16歳と11ヶ月の大会史上最年少優勝が、大会のツアー競技復活にますます弾みをつけた。
大会“復活”の舞台となる兵庫県宝塚市の宝塚ゴルフ倶楽部は、大会を主管する日本ゴルフツアー機構の亡き島田幸作・前会長のホームコースでもある。
生前は会長職とともに、地元のスポーツ振興に尽力してきた島田氏の思いが詰まった舞台で、石川が連覇を狙う。
先週は自身のメジャー3戦目「全米プロゴルフ選手権」でメジャーでみごと初の予選を突破。興奮さめやらぬままの会場入りに、「アメリカで足りないと感じた部分を、また次の日本ツアーで生かしたい。関西オープンで、また一つ大きくなった自分を見せたい」と、している。
(J.G.T.O )