No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

私的な岩手考察(終)〜限りのない再生へ

2022-02-25 | 街:岩手



<キーワード⑤:三陸>

岩手を語る時、そして岩手を歩く時、三陸を避けて通ることは不可能だ。東日本大震災が発生した時、僕は東北に移住して既に数年が経過していた。三陸方面の町でいえば、殆どの大きな町には行ったことがあった。だがその周辺については、歩いたり写真を撮った町の数は限られていた。それでも宮古の美しい海岸に感動したり、釜石の長屋飲み屋街に驚いたり、行った町々はどこも楽しかった。静岡の海沿いで育ったこともあり、浜の町並みに興味は尽きなかった。そんな三陸の町が津波に襲われたとき、僕はそれを受け止める方法が分からなかった。言葉にならないのだ。あれから十年以上が経った。今では復興を遂げつつある町に脚を伸ばすし、奇跡的に残った古くからの町並みなどを撮影する機会も増えた。それでも心のどこかで後ろめたいような無力感に苛まれていた。

岩手コンプリートが終盤に掛かり、最後まで残ったのは、矢巾町と陸前高田市だった。偶然の産物とはいえ、何か意味があるのだろうと考えた。矢巾町は、鉛温泉を経由して行ってきた(写真は載せません)。改めて定宿・鉛温泉に感謝したし、水沢のジャズ喫茶の最後にも立ち会うことができた。残るピースは陸前高田のみ。何度も行った場所で、どうしても過去写真が見つからない場所だった。当然のように、「奇跡の一本松」を見に行った。これで二回目となる筈だ。再生された一本松の横には、津波で破壊された建物が残されている。遥か向こうの高台には、新たに造成された住宅地を臨むことができる。その時、僕は最後に陸前高田に来た理由が朧気ながら理解できたような気がした。大地震と津波によって破棄された町は、それでも再生する。その姿は、「町」のありよう、そのものだ。災害によらなくても、町は日々破壊があり、再生がある。それは一時たりとも、その活動を止めない。それは人の細胞が入れ替わるのと同じようなものだ。長い年月を掛け、全ての細胞が入れ替わったとしても、町は同じイメージを保っている。そういう意味では、僕は十数年に渡り東北中の町の破壊と再生を見て来たのである。保存された一本松と異なり、僕は特別な松ではない。しかも唯の一人の人間であり、いずれ倒れて消えるだろう。それでも、倒れるまでは見届ける義務があるのかもしれない。劇的な再生に向かう陸前高田は、全ての町も同じだと教えてくれたのだと思う。

そんな極私的な思い込みを抱えながら、いよいよ明日・・・。







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2 コメント

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6さんへ (のびた)
2022-02-25 12:01:32
岩手写真旅 かなりの地名が添乗で訪れた街
仕事の合間にあちこちドライブした地 青春18きっぷの旅 いろいろな思い出と重なって記憶の風景も蘇ります
陸前高田の松原は ツアーで寄り 駐車場から皆さんをご案内しました
海岸近くに川をまたぐ橋 手前にはゲートボールを楽しむ方たちが居ました
松原は日本三大松原の一つだと地元の方は言っていました
林の中を散歩してバスに戻り 気仙沼駅前のホテルで泊まったり 鮎川で泊まったり
金華山 その光景が浮かびます
最後が18年前でした
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のびたさん (6x6)
2022-02-26 07:04:34
記憶の風景を思い起こして頂き、嬉しいです。
陸前高田は、上の黄色い建物の前が川です。道の駅が出来て、そこから橋を渡ります。左手には運動公園の跡らしきものが見えました。正面は海と松原ですが、津波で流され、今は新たに植樹された若い小さな松が育っています。川沿いに右手に歩いて行くと、一本松と建物のところにきます。
まさに、のびたさんが歩いた場所だと思います。

追伸:道の駅では震災の記録なども見ることのできる施設があります。正面の海に向かって、常に献花がされていました。
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