No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

由利町・古の記憶

2014-11-24 | 街:秋田


ある偶然から、由利本荘市の由利地区(旧由利町)に縁ある方の存在を知った。そこで、由利地区の街並みの写真を撮ることになったのだが、これが中々うまくいかない。由利地区は、まるで鵺のようであり、見る角度から印象が全く異なる。何度か撮影しても、全く上手くいかない。悩んでもいても仕方がない。うまく撮れないとしても、それが僕が今捉えることのできる姿なのである。そこで2回に分けて掲載することにした。といっても、今回は朝の町の姿1枚と、町から離れた史跡の写真である。由利町には、歴史的な建造物は全く残っていないし、古い建物も数えるほどしかない。それでも、まっすぐに伸びた道は、昔そこに馬が通った様を連想させてくれる。


<史跡:由利仲八郎政春の墓所>
由利町の名前は、平安末期に台頭した豪族「由利氏」に由来する。由利氏は奥州藤原氏の勢力下にあったが、頼朝の奥州征伐で、当時の領主・由利維平は源氏側に捕らえられてしまう。だが、捕虜となっても、誇り高き堂々とした態度に頼朝が感心し、後に鎌倉幕府の重鎮となったという。その由利氏の一族が、由利地区を制定したという。その他興味ふかいエピソードはたくさんあるが、ここでは割愛する。墓所は由利氏末裔の由利仲八郎政春が討ち死にした場所に建てられた墓所である。
当時は、どんな状況だったのか分からないが、今では墓所の周りは田んぼしかない田園地帯である、








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2 コメント

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こんばんわ (どいま)
2014-11-25 00:39:50
由利の町並大きなお家が多いですね?

道がまっすぐに伸びているのですね。

田んぼが一面に広がっていますね。

お米もおいしいのでしょうね。夏の緑とか秋の収穫前の黄金色の時も美しいのでしょうね?

由利仲八郎正春さんのお墓は立派なお墓のようですが、
お墓にお花とかお供えものとかはだれかされているのでしょうか?


もう一つ気になることが、

お墓の案内の木(なんというものなんでしょう?)の後ろにある「五箇条のご誓文 有縁の地」
とありますが・・・

明治政府ができたときのあのものですか?
なにかのゆかりがあるんですね?
またお暇なときに教えてください。

ありがとうございました。



関係ないですけど、私も辰野金吾さん設計の建物をUPしました。
アイフォンで撮影しました。

6×6さんのようにプロ並みの味は全くありません。
プロのようなカメラや写真に思い入れのある人には
笑われるような出来栄えです。

またそれについてのコメントも全くイケてない。
なんといえばいいのかわかりません。

東京駅と日本銀行とか設計した辰野金吾さん作の建物は感心いたしましたのでUPしました。


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どいまさん (6x6)
2014-11-25 08:28:55
ここは由利町の前郷地区というところで、道が真っ直ぐで街道っぽい雰囲気もあります。家はどこも大きいですが、他は農村集落で、小屋とか蔵付きの大きな家の集落が点在しています。
辺りは一面田んぼだらけで、どの季節も美しいですよ。

由利仲八郎正春氏の墓所は、墓というよりも史跡で、役所で管理しているのだと思いますが、周囲は最寄の集落の方が清掃や草刈をしているようです。
実は僕も初めて行ったのですが、「五箇条のご誓文 有縁の地」の件は今度調べておきます。周囲には他にも、地元で堰を作った人の石碑等いくつかの史跡があり、小さな公園みたいになっておりました。もう少し早く行けば、紅葉も綺麗だったようです。

周囲の町には、由利氏の末裔の子爵さんが、1940年代とかに当地を訪れたときに植えた松とかもあるようですよ。

どいまさんのブログは夜に、ゆっくりとお邪魔します。ちなみに、その際に由利地区の夕方の写真もアップします。

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