2011年3月11日に発生した東日本大震災、あの日から丸6年が経過した。自然の強大な力の前に人間は為す術もなく、多くの貴重な人命が失われ、甚大な被害をもたらした。いまだ復興半ばで苦しんでおられる方もいる。想像を絶する経験をされた方が大勢おられるなかで、僕の卑近なことを書くことには、申し訳ない気持ちがある。でも個人的に備忘録を書くことを許してほしい。
東日本大震災・発生前の2010年9月、約13年一緒に暮らた我が家のオス猫が亡くなった。東日本大震災が発生したのは、その半年後のことだった。僕の住む秋田県は、東北といえども直接的な地震の影響は少なかった。只々報道で知る震災がもたらした被害の大きさに言葉を失っていた。そして震災から約半年後の2011年10月初め、今度は我が家のボス猫が亡くなった。ボス猫は先に亡くなったオス猫の母親代わりであり、友達であり、姉弟であった。震災の大きな余震でも平気そうにしていたのに、相棒の猫のあとを追うように亡くなってしまった。東日本大震災を挟んだ1年間は、僕の死生観が変わるような出来事が続いて、僕としても辛い時期であった。ずっとそこにありそうに思えるものも、ある日突然失なわれることがある、そのことを痛感した1年間だった。
今、家にいる猫は震災直後に生まれた猫で2011年5月に家に来た。相棒を失くしたボス猫が寂しいだろうと連れて来たのだけど、半年もしないうちにボス猫は亡くなった。その一連の時間の流れを見ると、命の儚さと美しさについて改めて考えさせられる。いま眼の前にあるものを大切にする、その当たり前の思いが、震災から僕が学んだ教訓だ。改めて、犠牲になられた全ての方に哀悼の意を表します。
2017年3月11日