No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

8年後の3.11

2019-03-11 | 街:その他












昨年、画像管理ソフトのカタログデータが破損した。基データは残っているし、その後のデータも保全はされている。でも僕はとにかく写真を沢山撮る人間なので、過去の写真データを参照することが極めて困難となり、かなり困っている。日付を元にデータを手繰り寄せるしかない状態だ。毎年3月11日が近づくと、以前に撮った被災地の写真を眺めていた。そうやって想うことくらいしかできないからだ。データにアクセスしにくくなったことで、そういうことも失くなってしまうのではないかと危惧している。
同時に過去の写真を見るだけなく、いま現在の町にもっと足を運ばなきゃとも思う。今回の写真にも震災後の写真を混ぜている。そうやって時を紡ぐ先に、未来があろのだろう。改めて被害に遭われた方にお見舞いを申し上げます。
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あれから7年目の春

2018-03-11 | 街:その他







もう
東日本大震災から7回目の春。改めてお亡くなりになった方、被害に遭われた方にお悔やみとお見舞いを申し上げます。何か一言と思いましたが、あまりに大きな出来事なので、何を語れば良いか分かりません。毎年同じ感想になりますが、もう震災前の町の写真をこれから撮ることはできませんが、今ある町を撮っていくことはできます。そして当時撮った写真が無くなることもありません。趣味とはいえ、写真を撮る者の一人として末席からでも想いを馳せます。
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昭和生まれのオッサンがストリートスナップについて吠える

2018-01-22 | 街:その他
まあ吠えはしないけど聞いて欲しい。知っている人からすれば「何を今更」の話である。皆さんは、「ストリートスナップ」から何を連想するだろうか。実はこれ、以前から引っ掛かるというか、気になっていたことなのだ。グーグルで「ストリートスナップ」で画像検索をすると、オシャレなファッションを纏った若い子を街頭で撮ったポートレイト写真が出てくる。まさかこれをストリートスナップというのか。これが原宿とかそういう場所であれば分かる。試しに「ストリートスナップ 遠野」と画像検索してみる。先ほどと同じような写真が出てくる。もしかすると遠野で撮ったものもあるかもしれないが、恐らく殆どが無関係だろう。昭和のオジサンが考える「ストリートスナップ」の写真は70~80枚目に出てくる僕の「遠野スナップ」の写真まで待たなくてはならない。「ストリートスナップ 新宿」と検索しても同様だ。このフレーズであれば「森山大道」と反射的に考える、それが当然だと思っていた。その僕の価値観は砕け散った。(もっとも僕自身は、ストリートスナップとは言わず、街撮り写真と言っている)

実は先日、「ストリートスナップ界を牽引してきた若きフォトグラファー、ナービル・クエナム(Nabile Quenum)がパリで死去した」というニュースが、ヤフージャパンのトップ画面で取り上げられていた。若く才能ある写真家が亡くなったことにはお悔やみを申し上げたい。でも僕はこのクエナム氏のことを全く知らなかった。ストリートスナップをけん引したという話も聞いたことがない。ネットで調べても、特に日本語で確認できる情報はない。何故ヤフーのトップに出たのか。それは「ストリートスナップ」というキーワードに対し、何らかのネットマーケティングの力(自動処理)が働いているに違いないと踏んだ。そこで以前から気になったことを初めて調べたわけだ。

ウイキペディアによると、ストリートスナップとは次のように定義されている。
「ストリートスナップ (Street Snap) とは、街で見かける若者たちの服装や着こなしを撮影したスナップ写真のこと。ファッション雑誌などでファッションスナップ、ストスナ(ストリートスナップの略称)と表記されることもある。」

本当?ストリートスナップって街中でスナップ写真を撮る行為のことを言ってきたし、今でもそうだと思っていたけど、今はファッションフォトの分野なのか?。つまりクエナム氏はその分野の第一人者だったということなのか。段々分かってきた。試しに「ストリートスナップ  〇〇村」で検索してみて欲しい。原発事故など特殊な事情を除いて、日本で一番人口が少ない村は、東京都青ヶ島村であり、人口にして200人未満である。この村をストリートスナップと関連付けて画像検索すると、外国人を含むオシャレな美男美女がわんさかと出てくる。まあどうでも良いけど・・・。ネットにも殆ど情報のないクエナム氏の訃報がヤフーに出てきたこと自体も、同様の仕掛けではないか。実際クエナム氏に関する情報の殆どは訃報であり、同じソースの使い回しだった。

要約すると、「ストリートスナップ」なる用語は、もともと街中スナップを指していたが、今ではファッション用語となった。どういう仕掛けか知らないけど、何らかのマーケティング手法により、後から作られた用語が本来の用語を完全に駆逐している。こうして我々は「ぷっ!? あのオッサンはストリートスナップの意味を完全に勘違いしているよ」と笑われるようになりつつあるのだ。このように現代社会では知らず知らずのうちに我々は都合の良いことを刷り込まれていくのである。テレビを旧メディアと揶揄する(僕もその一人かもしれない)層は、自分はネットから有用な情報を取捨選択していると信じている。果たしてそうだろうか? かつては新聞を通じて刷り込まれ、それがテレビに変わり、ネットとなり、次にも何かが待っている。都度我々は旧メディアを盲信する人を笑ってきた。ネットだっていつしか(既に?)旧メディアとなる。ネットしか情報がない「情弱」なんて言われる日も近いのだ。そして、どう言われるようと一歩ストリートに出れば、そこは新しいとか古いとかではなく、街と自分の対峙の場であり続けるのである。


※この文章は「ストリートスナップ」の定義についての話であり、亡くなったクエナム氏を誹謗抽象する意図は全くありません。また言葉の定義が誘導されている事実と氏の間に関連性はありません。


X-PRO2 / XF23mm F1.4R
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掌から零れ落ちた何かを探す短い旅

2017-12-16 | 街:その他
すくい上げたものが、両掌から零れ落ちる。ざるから溢れるように何かが落ちていく。勿論、手に入れることができるものもあれば、そうでないものもある。人生とはそういうものだ。でもここで僕が言うのはそんな大げさな話ではない。写真の話だ。ちょっとしたミスで方向を間違い、普段通らない道路を走る。そうすると、そこで何かを見つける。喜ばしいことのようだが、何度も行っている町での話だ。掌から零れて野ざらしになっていたのだ。何度もいく町であるほど行動パターンが定型化され、同じような場所にしかいかないものだ。
今回、少し思うことがあって、その零れ落ちたものを見つける短い旅に出た。零れ落ちたものは思春期の少女のように美しい夢に彩られたものではないかもしれない。おっさん世界の零れ落ちた大事なものとは何か。大体想像つくとは思うけど、明日以降掲載したい。


LEICA M MOMNOCHROME (CCD) / SUMMICRON M35mm ASPH
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永平寺回廊

2017-04-24 | 街:その他










永平寺は建物内部の回廊を登って参拝することができる。この回廊が大変雰囲気がある。すぐにモノクロで撮ろうと決めた。途中、同行している方に頼まれて写真を撮ったが、それはモノクロjpegだった。非常に渡しにくい。その後、RAW+jepgに切り替えた。ここも、もっと写真を撮りたかった。旅行中、写真は他には殆ど撮れなかった。


X-PRO2 / XF18-55mm F2.8-4 R LM OIS
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仕事旅は辛いのだ

2017-04-24 | 街:その他










仕事上の「お付き合い」の団体旅行に行って来た。最も遠い目的地はこの福井県にある「永平寺」。約30分の素通り状態である。周囲の町並みにも興味津々なのだが、団体行動ゆえ、やむなく素通りした。ああ勿体無い。


X-PRO2 / XF18-55mm F2.8-4 R LM OIS
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3月11日に想う

2017-03-11 | 街:その他











2011年3月11日に発生した東日本大震災、あの日から丸6年が経過した。自然の強大な力の前に人間は為す術もなく、多くの貴重な人命が失われ、甚大な被害をもたらした。いまだ復興半ばで苦しんでおられる方もいる。想像を絶する経験をされた方が大勢おられるなかで、僕の卑近なことを書くことには、申し訳ない気持ちがある。でも個人的に備忘録を書くことを許してほしい。
東日本大震災・発生前の2010年9月、約13年一緒に暮らた我が家のオス猫が亡くなった。東日本大震災が発生したのは、その半年後のことだった。僕の住む秋田県は、東北といえども直接的な地震の影響は少なかった。只々報道で知る震災がもたらした被害の大きさに言葉を失っていた。そして震災から約半年後の2011年10月初め、今度は我が家のボス猫が亡くなった。ボス猫は先に亡くなったオス猫の母親代わりであり、友達であり、姉弟であった。震災の大きな余震でも平気そうにしていたのに、相棒の猫のあとを追うように亡くなってしまった。東日本大震災を挟んだ1年間は、僕の死生観が変わるような出来事が続いて、僕としても辛い時期であった。ずっとそこにありそうに思えるものも、ある日突然失なわれることがある、そのことを痛感した1年間だった。

今、家にいる猫は震災直後に生まれた猫で2011年5月に家に来た。相棒を失くしたボス猫が寂しいだろうと連れて来たのだけど、半年もしないうちにボス猫は亡くなった。その一連の時間の流れを見ると、命の儚さと美しさについて改めて考えさせられる。いま眼の前にあるものを大切にする、その当たり前の思いが、震災から僕が学んだ教訓だ。改めて、犠牲になられた全ての方に哀悼の意を表します。


2017年3月11日





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5 years Ago

2016-03-11 | 街:その他

あの大震災から5年。僕にはそのことを語る資格はないだろう。震災後、写真を撮るときに次のようなことを思うようになった。眼の前にある光景は明日にはもうないかもしれない。明日にはあっても何年か後にはないかもしれない。逆に百年後もそこにある可能性もある。でも眼の前にあるそのままの光景は、今この瞬間にしか存在しないのだ、と。
改めて、数多くの亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。そして残された者全てにとって、これからの5年が良きものとなるよう願っています。



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仕事始め

2016-01-06 | 街:その他
突発的なトラブルにより。1月1日の午前7時に緊急出勤したのだが、正式には今日が仕事始めである。いつまでも正月気分ではまずいのである。


EICA M9 / SUMMICRON 35mm ASPH

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20世紀の伏見稲荷

2014-12-18 | 街:その他








先日、このブログで知り合った方の記事で「伏見稲荷」の写真を見た。それから、どうしても伏見稲荷のことが気になっている。一時期、僕は伏見稲荷から車で10分位の所に住んでいた。伏見稲荷は写真の撮り甲斐のある場所だ。それにも関らず、いつ行っても納得いく写真は撮れなかった。今にしてみれば、いつでも行けること最大の理由だったのではないかと思う。
それなりの回数に行っている筈だけど、なかなか当時の写真が見つからない。とりあえず数枚は何とか見つけたのでアップしたい。当然フィルムの写真で、20世紀の伏見稲荷である。撮影機材等は不明である。
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