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第37回上尾市美協展開催

森本利根先輩に会えて感激! この10年人生の黄金期を中国ですごしてきたと言う

2010-12-31 11:53:01 | 日興証券
森本利根先輩に会えて感激!
2010.12.30(木)午後4時~午後10時まで

 川口市のライオンズマンション自宅にて武子夫人と3人で歓談
(食事)させていただきとても楽しい時間で嬉しかったです。





 昨年、(2009年)12月に日興証券絵画部(同窓会)以来、森本利根さん
との食事をする事が出来ました。 まず、マンション1階に自宅に、、、
ご挨拶が終わるやいなや










 13階の部屋に案内されました。部屋の中は、版画、画材モチーフと芸術
収集品などで山積みでした。













「忘己利他 慈悲之摂 」 ...己れを忘れ他を利するは慈悲の極みなり、 と読み。
その前に「好事を他に与え、悪事を己れに向え」。
いいことは 人にあげ、悪いことはみんな自分に引き受け、自分の幸せは忘れ、 ...






















「ロールキャンバス(布)と色紙、画用紙」使いますかでした、、、 使わせて
頂きます。ありがとうございます。
 その後、マンションの1階に戻りお話がはじまりました。








 森本さんは、この10年人生の黄金期を中国ですごしてきたと言う。
そして「これに増す人生はない」と言っており自覚である。
 森本さんは、75歳~86歳まで中国の生活で充実感が横溢していたとのこと
でした。

 そして、何の信仰も力も無いのに、周囲からチヤホラされて、楽しい、いい人生
「いつまで恵まれる筈がない」と言う不安もチョッピリあった
とか、、、

アト、4年で90歳(12月26日誕生日を迎えられました)オメデトウございます。
森本利根さんは、日興証券宣伝課入社勤務(昭和30年代に武蔵野美術大学を卒業)。

デザイナーとして日興の看板、各種のポスターなどデザインを担当し活躍される一方で
日興証券の絵画部リーダーとして昭和41年ごろまで絵画部員をまとめられていました。


そして、主に油彩画で風景・静物など1990年代までの長いあいだ描かれていたようです。
私が、なぜ中国で版画を指導されるようになったのかお聞きしたところ、、、

 定年後「ビジネスショウで版画に好奇心を誘われてのめりこみ」その後、上海美術館で
日中合同展に参加したことから出会いが
重なって、上海の学校で版画の講師となったようです。

 当時、中国の版画学校の版画教科書に森本さんの作品が数点掲載され各地の学校から
招かれるようになったとかです。(76歳)
その後、10年余り学生の真剣な眼差しに励まされて昨年、10年目で上海大学を終わりに
決めていたようです。







 しかし、南京や北京TVなどの紹介で11月に青島大学で講演、その後に企画の版画個展
が開催できました。
更に、青島で美術と日本語・英語の指導斡旋を依頼されたようです。

2010年5月1日「魯迅記念館で万博記念版画展に参加などとても多忙の年のようでした。
森本さんのお部屋に「天才は有限 努力は無限」の言葉があり今でも忘れることは出来ません。

森本利根さん「今日は、とても体の調子が良いとのことでご機嫌でした」毎週(月~金曜)、
御茶ノ水の東京医科歯科大学病院へ通院しているとの事でした。


人間「気持ち(心)が一番大切」と改めて感じました。私は、神戸淡路大震災を経験した時にも
同じような経験がありました。
 1月17日 「神戸淡路大震災」震災で烏帽子中学の避難所で全壊の家族は笑顔、半壊の
家族は下を向き淋しそうな顔でした。

何が大切であるか思い知らされた瞬間でした。
(物より身体、物の豊かさより心の豊かさを、、、)生きる為に必要なこと大切なこと)でした。

  森本利根さんとお話していると色々の人生の勉強になりました。
                       幸わせな年をなりますようお祈り申し上げます。










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(アルベルト譽)



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