「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

歴史の回想・「大内義興の群像」アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川・BOOK★WALKER

2020-04-20 14:03:59 | 温故知新


「大内義興の群像」アマゾン電子書籍紹介。角川・BOOK★WALKER
大内義興(1477年~1528年)戦国時代の武将。父は大内政弘。1494年(明応3)家督を継ぐ。1496年大友政親を、翌年少弐政資を滅ぼし、筑前の支配を固めた。1499年からは惣国寺社領の調査を開始し、寺社支配権を強化。1500年に、京都を追われた前将軍足利義稙を山口に迎える。1508年(永正5)京都に進出し、将軍義澄を追放し、義稙を将軍に服した。1509年周防国衙領を東大寺に還付。1511年、義稙・義興は、義澄・澄元の攻撃によって、いったんは京都から敗走するが、船岡山の戦いに勝って京都を奪還、細川高国が管領に、義興が山城守護に就任する。1516年には幕府から遣明船を一任される。1518年山口に帰り領国に専念。安芸・厳島神主家の後継争いに介入し、同社領を支配下に置く。1521年(大永元)以降、山陽方面に勢力を広げてきた尼子氏安芸支配を争い、1525年に当時安芸の有力国人であった毛利氏を尼子氏から離反させ優位に立つ。菩提寺は凌雲寺。



















「戦後日本の回・S28年」アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」

2020-04-20 09:06:08 | 温故知新


「戦後日本の回・S28年」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」
朝鮮戦争も休戦を迎えようとする状況に、「李ライン」で度々紛争の絶え間なかった日韓関係に、李承晩大統領が来日、日韓関係の改善されたかは疑問だが、日米韓と中ソと対立の軸の中で国交を結ぶ機運が生まれつつあった。そんな折にワンマン首相吉田茂はふと「バカヤロウ」口を滑らしこのつぶやきを野党が見逃す紛糾し「解散」と吉田茂は天下の宝刀を抜いた。そんなころ庶民の人気はラジオからテレビに「街頭テレビ」に群がる民衆はプロレスに野球に相撲と熱狂した。また八頭身を生かして国際的美人コンテストのミスユニバースに伊東絹子は三位に入賞、映画界も花盛り「東映・大映・日活・松竹・東宝」と人気俳優に引き抜き合戦でいざこざに「五社協定」が結ばれ、映画人気もうなぎのぼり、テレビはクイズ・ジャスチャーなど視聴率を伸ばしていった。景気のほうは朝鮮休戦協定で軍需産業は世界に向かって方向転換せざるをえなかった。労使のほうは相変わらず激し対立の応酬のなか中国からの引揚者は続々帰国し舞鶴港には待ちわびる「岸壁の母」も歌謡曲になって巷に流れた。