「坂上田村麻呂の謎」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電書籍
坂上田村麻呂(758年~811年)平安前期の武将。坂上苅田麻呂の子。791年(延暦10)蝦夷征伐のために征夷副使ににんめいされる。794年の征夷で戦果を挙げ従4位下に昇進。796年陸奥守で鎮守府将軍を兼務、実質的な陸奥支配の最高責任者となる。797年には征夷大将軍に任命され、戦線を北上させて胆沢城を築城。多賀城にあった鎮守府をここに移転させた。またこのときの征夷事業では蝦夷の首長阿弖流為・母礼を降伏させて、これを伴い平安京に凱旋。二人の助命嘆願を提出するも受け入れられる、二人は再度征夷大将軍に任命されたが征夷は実施されなかったので実働はない。805年功績と、桓武天皇の渡来系士族重視路線によって参議に就任、翌年には中納言にした。薬子の変では、鎮圧に貢献。粟田別業にて死去した。ときに正三位大納言兼右近衛大将兵部卿であった。