「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「戦後日本の回想・S20年」アマゾン・電子書籍紹介。グーグル・楽天・角川電子書籍・BOOK★WALKER電」

2020-04-05 19:49:33 | 温故知新

「戦後日本の回想・S20年」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」
戦後日本の始まりは、昭和16年12月8日、日本軍が、マレー半島、真珠湾を攻撃以来、米・英・蘭と開戦「太平洋戦争」以来、拡大化の一途を辿った日本も兵站戦と軍需物資や経済的困窮に戦局は悪化、昭和20年7月17日~8月2日のトルーマン・チャーチル・スターリンのポツダム会談で開催された「ポツダム宣言」を日本が受諾拠って終戦を迎え、8月15日の「天皇、戦争終結の詔書を放送(玉音放送)から日本の戦後が始まった。焼土と化した日本に無条件降伏以外に選択肢はなかったが、戦争終結には有利な条件で終結を望み、連合国と駆け引きの応酬でが繰り広げられた。何より日本の陸海軍の参謀から政党・政治家らにその判断はゆだねられ、天皇も捨て身で戦犯も覚悟の上に重臣に戦後日本の未来を託された。何百年いや何千年皇祖に仕え、今後も保持伝統を維持したい重臣らの思いは「天皇の温存」の思惑があった。連合国は天皇に責任を問うものも多かったが、それら全てをマッカーサー総司令官にその判断を全てを任すことで戦争終結の交渉に臨み、荒廃した日本に足を踏み入れた。「日本に民主主義を普及させる」そんな意気込みにGHQの戦後日本の統治が始まった。
筆者自身の戦後は、母方の在所に疎開し、身を寄せて暮らしていた。ある日の事「お父さんが」戦地から帰って来たの報せに家に帰り対面したが、生まれて間もなく父は招集、父の仕事は職業軍人、陸軍刑務所の看守、裏から手を回せば戦地に赴くことはない。しかし、日本男児の意気込みは、自ら望んで戦況の厳しい白骨街道を残した禍根のインパール作戦に志願して戦地に赴いた。父に二人の子供残しての激戦地の志願であった。しかも生まれて間もない筆者と2歳上の姉と、二十歳そこそこの母残して広島からの輸送船の出航であった。戦地で三年、九死に一生を得て日本に復員した父は母の実家に向い、われら待ち受ける家族に対面したのである。筆者は3歳余りの年月を経ての対面に面影も知る由もない。おかあちゃん、この「おっちゃん」何処の人やと言って警戒してなかなか懐かなかった。二歳上の姉は「父ちゃん、父ちゃん」と戦地に行った父の面影を覚えていて甘えていた。これも戦争のなせる禍の出来事であった。