「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「二条家一族の群像」)アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALKER電書籍

2019-10-03 05:19:44 | 温故知新
「二条家一族の群像」)アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALKER電書籍
「二条家」(にじょう藤原氏。五摂家(ごせっけ)の一つ。鎌倉中期九条道家(くじょうみちいえ)の第2子良実を祖とする。二条京極(きょうごく)の邸に住んだところから二条と称す。良実は1242年(仁治3)関白となり、以後子孫は他の摂家と並び立った。鎌倉末期道平は後醍醐天皇の討幕計画に加わり、弟師基(もろもと)は南朝に仕えた。道平の子良基(よしもと)は北朝に仕え、学者としても有名。その孫が足利義満の諱(いみな)一字をもらって満基(みつもと)と称して以来、室町時代、江戸時代を通じて代々足利・徳川将軍の諱を一字もらうことを例とした。江戸時代の知行高(ちぎょうだか)は1700石。明治維新後、公爵を授けられた。
(2)藤原氏の一族、御子左(みこひだり)家の子孫(鎌倉後期~南北朝時代)の家名。定家の子為家(ためいえ)の長男為氏(ためうじ)を祖とする。定家の二条京極邸の中の二条大路側の家を伝領したゆえの名で、「二条」と号したのは子の為世からである(為氏は「藤原」とのみ)が、同じく為家の子為教の京極家、為相の冷泉(れいぜい)家にそろえて為氏からをさすのが普通。俊成・定家以来の歌道師範家の嫡流として重きをなし、両統分立以後は京極・冷泉家(派)が持明院統(じみょういんとう)と結び付いたので、いきおい大覚寺統と結び付き、為氏が『続拾遺集』を撰んで以来、代々勅撰撰者となった。 南北朝分裂後、北朝で一時勢力を失ったが、為定(為世の孫)が将軍足利尊氏の支持を得てふたたび師範家となり、3勅撰集
をなした。しかし南北朝時代末期に人材を欠き、あるいは殺害されて断絶した。

2、「二条家の出自」(にじょうけ)は、五摂家のひとつで公家である。
藤原氏北家九条流。鎌倉時代、九条道家の二男二条良実が、二条富小路の邸宅を二条殿と称したのが家名の由来(二条殿は後に押小路烏丸殿を指すようになる)。家紋は二条藤。
 鎌倉時代末期の元弘の変において後醍醐天皇の関白二条道平が倒幕関与の疑いを受けて鎌倉幕府より「中院禅閤(二条兼基)等子孫不可為家督」(『花園院宸記』正慶元年4月10日条)の処分を受けて二条家は一時断絶の危機に陥った(後醍醐天皇の復帰で無効となる)。
 続く、南北朝時代に一時分裂したが、北朝方二条良基(道平の子)のもとで勢力を取り戻した。戦国時代の当主二条尹房は大内義隆を頼って周防国山口に滞在していたところ大寧寺の変(陶晴賢の乱)に巻き込まれて殺害されている。

「九条家一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALKER電書籍

2019-10-03 05:18:01 | 温故知新
「九条家一族の群像」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALKER電書籍
藤原北家の嫡流。五摂家の一つ。関白藤原忠通の三男藤原兼実に始まる。家号は兼実の殿第が京都九条にあった。この事に由来し、坊名の陶化坊から陶化とも称す。鎌倉初期。兼実は源頼朝の後援を受けて摂政、氏長者、兄基実の興した近衛家・九条家の両家に分かれた。その後、兼実の孫九条道家の代に、頼経・頼嗣ら
摂家将軍の父祖として鎌倉幕府と結んで家門が隆盛し、その3人の子息教実九条、二条良実、一条実経が相次いで摂政・摂関に任じられ、九条家からは二条家、一条家から両家が分立した。また、この時期に近衛家からは鷹司家が分かれたために、摂関家は近衛・九条・鷹司・二条・一条の五家となり、いわゆる五摂家が成立した。以後、九条家は他の摂関家と共に公家社会再興の意を占めて明治維新に及び家族に列した。それぞれ爵位を授けらえた。

「平安摂関家の群像」アマゾン電子書籍紹介。た摂政・関白の職は基経の子忠平のとき、摂関制としての形を整えた。忠平の長子実頼は冷泉朝の関白・円融朝の摂政と

2019-10-03 05:15:05 | 温故知新
「平安摂関家の群像」アマゾン電子書籍紹介。た摂政・関白の職は基経の子忠平のとき、摂関制としての形を整えた。忠平の長子実頼は冷泉朝の関白・円融朝の摂政となる。その没後は、外戚政策に成功した実頼の弟師輔の長子伊尹が継ぐが、伊尹の弟兼通・兼家の対立の結果、関白となった実頼の子頼忠を最後に、摂関は兼家に独占される。兼家の子道長は、兄たちの後を受けて関白に準ずる文書内覧の宣旨を受け、未曾有の外戚関係を構築する。外孫の後一条天皇の摂政になったが、短期間で摂政を若年の長子頼通に譲り、背後でこれを支えた。以降摂関の地位が、外戚関係に関わらず、道長の子孫に継承される前例を開いたと言える。鎌倉時代に入ると、忠通の嫡男基実を祖とする近衛家、その弟の兼実を祖とする九条家、近衛家に分かれて兼平を祖とする鷹司家、九条家より別れ、良実を祖とする二条家、更の一条家に分かれ、五摂家として権勢をふるっていった。