編者のつぶやき

川田文学.comの管理者によるブログ。文学、映画を中心に日常をランダムに綴っていく雑文

YAMAHA YP-D7その後

2006年05月11日 | Weblog
 YAMAHAの修理係の方が、プロ根性を見せてくれました。『例外的に』ということで、立派に直って帰ってきました!しかも、紛失状態だったカバーまでつけて。感激でした。
     
 これで、レコード設備が復活しました。修理係の方の、損得を度外視したプロ根性というか、古くても良いものを使おうとする気持ちに応える態度に、胸打たれました。

 話は変わりますが、それにしても、最近のDVD事情ってどうなってるんでしょうね。昨日、久しぶりにCD屋をのぞいたら、「チャンス」が690円という、信じられない安価で売られていた。最近、「白痴」(まだ読み終わってない・・・)を読んでいる関係で、ちょうど「チャンス」のことを思い出していて、またじっくり観たいなと、思っていたところだったので、嬉しかったし、もちろん購入したが、しかし、安すぎる・・・。
 内容と、金額は比例しない。しかも古い映画だし。
 しかし、古ければ、安いというものでもないらしい。同じ店にあった「誘惑されて、棄てられて」という古いイタリア映画は、4900円だった。
 本も、音楽も、映画も、古いものやら、新しいものやら、駄作やら、傑作やら、情報の氾濫で、カオス状態だ。ただいえる事は、そういった芸術の伝達手段も、金権主義の現在では、金に支配されているということか。
 
 最近読んだ、徒然草にいい事が書いてあったな。

 死んだ後に財産を残すのは知恵のある者のすることではない。という、140段。
「財宝は、やたらとたくさん残されているほどみっともない。死んだあと、残されたものが争うことになり、実に醜いことになる。…日常生活用品は持っていてもやむをえないが、それ以外のものは、持たないほうがいい。」(嵐山光三郎訳)

 潔いねー。死んだら、お金は持っていけないし。残されたものへ死者が物質的に誇示するのは、潔くない。死者は、愛するもの意外には忘れられるのだ。
 どんな芸術作品でも、それは、死の概念と、きっても切り離せないものが多い。その伝達手段が、一部でも金というみっともないものに支配されている仕組みは、皮肉のなにものでもない。