編者のつぶやき

川田文学.comの管理者によるブログ。文学、映画を中心に日常をランダムに綴っていく雑文

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あれあ寂たえ2

2007年05月03日 | Weblog
 川田先生の応援ページを作るうえで、苦労もそれなりにあるが、一番嬉しいことは、先生の「あれあ2」をいち早く読めるということだ。この間の210章は、なんとも心に沁みた。先人たちをただ「死んだ」と一言で片付けていいものだろうか。野や山を見る。彼らはどこにいるのか、と問いかけなければならない。と先生は書いていた。簡単に言ってしまえば、祈りの姿なのだろうが、宗教的なものを超越した、ほっと安心させられる言葉だ。宗教というのは、とかく、不安や恐怖心を煽るもののように、私は思っている。たぶんそういったものは、自分の死に深く関係しているだろう。
 かつて、神学は学問の頂点と言われた時代があった。そしてその次に位置していたのは文学だった。その意味で文学も宗教といっていいものかもしれないが、死と生を克明に解析しようという過程で、真剣な読者は自我の確立を果たし、分類された宗教から遠い存在になるのではないか、と私は思う。そこに闇雲な恐怖や不安はない。不思議なことだが、その作品の登場人物の不安や恐怖を二次体験することで、読者自身のそれを昇華、いや浄化してしまう。いわゆるカタルシスを起こすからだ。アリストテレスは、悲劇の目的をパトス(苦しみの感情)の浄化にあるとした。つまり2300年前から、賢人は知っていたのだ。すごい話だよね。
 久々に『風と喧噪』を読了した。会津の壮絶な死を追体験し、その死を目撃するよしのりを追体験することで、私はパトスを浄化したような感覚に襲われた。このすごい作品が陽の目をみるのは、何十年先なのだろう。