初老男のノンビリしたブログ

近所や周辺の事柄に対して、書き記して行きます。

偽善は是か非か

2013年01月07日 20時07分41秒 | コラム、ぼやき
『本音』と『建て前』があります。
『善意』と『悪意』があります。
ならは『偽善』とは『善意』と『悪意』の中間でしょうか?
そうならば『本音』と『建て前』の中間は何でしょうか?
考えると判らなくなります。



それぞれは全て独立していて、対称とするべきではない。
そんな『大人』の都合的な思考もあります。



世界の価値観は、『陰』と『陽』的な2原論ばかりです。
これは数学の、もしくは算数の影響なのでしょう。



多神教の日本は、談合を生み出した素晴らしい文化を持つ国です。
「まあまあ」とか「ひとまず」と言いながら結論を得ない。
結果の持つ重大性を認識して、寸止めを選ぶ文化を持つ。
「白黒つけるぜ」は、舞台の決め台詞くらいの効果しかありません。
非現実だと皆が認識している証拠です。
だから有り得ないので、喜ぶのでしょうね。


最近は色々な事柄に『善悪』や『正論』を求める機会が多い。
曖昧は大切なのに、利権に固執して正論を振り翳す。
『馬鹿だな』と思っています。
そう言われると腹が立つのでしょう。
私の意見もブログで掲げるくらいで、見向きもされまません。




基本的には心理の音に欲得しかない。
それが『善悪』や『権利』、『正論』を持ち出したくなるのです。
そこに『偽善』がある。
そう確信しつつある。
狐が虎の皮を被って居るだけです。
後は、義務を避けて逃げる口実にしている。
情けないなと思うだけ。




年末年始で色々な本を読んで勉強した結果は、『憤り』と『息通りの悪さ』だけ。
『勉強すると莫迦になる』の、諺通りの結果が得られました。





それでも自分を見捨て無いように注意して、生きて行きます。
「生き抜く事が理屈だけじゃないね、愛と慈しみだよ』、とありました。
人生の晩年になり欲が減って、腑に落ちた言葉です。
長生きするのも悪くないねと感じた、新年の知恵でしたね。