受法寺本堂建築誌

伝統木造工法により建築中です

寿製材所

2005年11月12日 | Weblog
帰りに窪川町の東にある寿製材所の寄ります。
国道から松葉川温泉への入っていく道へ入ってすぐです。
こちらに、原木貯木場・事務所・乾燥庫・加工場があります。

前に下見に来て、すばらしい木材を揃え品質管理をされていたので今回の工事では、推薦業者として優先していました。

夏ごろに行ったときには、原木貯木場には、直径1mもあるような木が何百本と蓄えられ、体育館のような乾燥庫に入るとひんやりとして、出番の時に備えられていました。
事務所の予定は、全国の寺院建築への出荷の予定が書き込まれていました。

木工事の「澤匠」さんも、寿製材所の木を使っているとのこと。

写真は、当方のではなく広島県尾道の寺院のもの。
こんな木を使える寺院建築があるものだと感心して、撮ってみました。

木材検査

2005年11月12日 | Weblog
須崎市から、車で30分ほど西へ走った窪川町の寿製材所にて、建築に使う木材の検査です。
貯木場・工場は2ヶ所に別れていて、ここを訪れるのは、2度目に。
まず、最初に行った町を過ぎたところにある貯木場には、受法寺で使う柱・梁がきれいに並べられていました。

輸入材は、国産材に比べて大材が多く、その多くが樹木の中心を持たない材で、節が少なく木目がきれいで割れにくい性質です。
それに対し、国産材は心持材で、樹芯を含んで製材したもので、腐りにくく強度がありますが、割れやすいのが特徴です。
そのまま使用すると、意図しないところで割れますので背割りをいれ、十分に乾燥させます。背割りを入れた方を、目に付かないところに使用するのです。

寿製材所で用意された木材は、主に四万十川流域の山々より刈りだされたヒノキ材です。
柱で70~90年、中には150年を経た物も。梁・桁で100年以上の材です。
どれも、年輪の密度が高く質の良さを感じさせます。
乾燥は柱で半年から1年。大きなものは、3,4年以上乾燥させています。
大きな材には、背割りを入れ両端に木工用接着材を塗り、ベニヤ板で覆って十分にいたわりながら乾燥させて、出荷の時を待ったものです。
木の等級には、木には付き物の節の有る無しによって無節・特選上小節・上小節・生節化粧用一等に別けられ価格が違ってきます。
節の入った等級でも節の密度には幅があり、使い方によっては無節のようにも見えるわけです。

受法寺に用意されたものは、木の部分で一番耐久性が高くなる赤みが多く持ち、ヒノキ特有のきめ細かい柔らかい人肌のようで思わず撫でたくなる表面でした。

どれも期待していた以上の木材ばかりでした。

補修

2005年11月12日 | Weblog
上田設計士さんと澤匠の近澤さんが保管していた木を一つ一つ使用できるか確認していきます。
表面上は腐食している材を、金槌で叩き音を聞き、ノミで削り、釘を刺して確認。
雨が当たった部分は、表面上は腐食している。
しかし、2,3cmすると硬い部分にいきあたる。
構造的には力を失っていないようだ。
ほとんどの木は、新調することなく埋木をするなどして補修しそのまま使用する事になります。

向拝の柱は、外から見ても割れがひどかったが、今回解体で下部に鉄のクサビで割れの進行を止める補修をしてあることが分かった。
解体時に天保13年(1842年・今から163年前)の墨書きを発見したが、補修跡があるのでその時は本堂新築ではなく改修であったと推測されます。

木造の寺院建築は、改修を重ね何百年も時を経ながら、次の世代に受け継がれていきます。

刻屋

2005年11月12日 | Weblog
本日は、上田設計士さん楠瀬現場監督さんと材料検査です。
まず、須崎市にある木工事「澤匠」の刻屋(大工の作業所)へ。

刻屋の床一面にはパネルが敷き詰められて、原寸大で木材の墨だしがされています。
弓なりなった破風や高欄が見てとれます。

保管されていた海老虹梁・蛙股・龍の木鼻・向拝柱などが綺麗に埃が落とされ洗浄されていました。

何百年と重なった埃がすっかり取り除かれると、見慣れた古びたものではなく、新たに彫刻されたような色艶になっていました。


写真は、土佐藩の藩主であった山内家の紋が刻まれた蛙股。