テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

DHMO(Dihydrogen Monoxide)とは、

2012-10-31 23:39:05 | 日記

亜硫酸ガス酸性雨の主成分である。
揮発したDHMOは、もっとも有効な温室効果促進ガスである。
単体、あるいは空気との混合物は重篤なやけどの主原因である場合が多い。
地形の侵食を引き起こす。
多くの材料の腐食を促進する。
電気事故の原因となり、自動車のブレーキ等、摩擦を期待される部分の性能を損なう。
末期がん患者の悪性腫瘍から検出される。
工業用の溶媒、冷却材として用いられる。
原子力発電所で用いられる。
この物質の電解ガスは、極めて過剰な爆発的反応をする。
発泡スチロールの製造に用いられる。
防火剤として用いられる。
各種の残酷な動物実験に用いられる。
極度にこの物質が雰囲気中に充満した環境は、多くの病原性細菌にとって好適な環境である。
気相、液相、固相の三相のいずれの場合でも、災害の原因になる場合がある。
実際、歴史上最も被害が大きかったとされる自然災害のひとつに、この物質が関与している。
防虫剤の散布に用いられる。洗浄した後も産物はDHMOによる汚染状態のままである。
各種のジャンクフードや、その他の食品に添加されている。
吸引すると死亡する。














まぁ、古典的なジョークなのですが。
一酸化二水素、2のことです。

テレコンビノの威力

2012-10-30 23:53:18 | 双眼鏡 望遠鏡
以前、ワイドビノという低倍率広角ガリレオ双眼鏡に関連して、自作テレコンビノというものを紹介し、その後も拙ブログでは星見関連の記事にしばしば登場しています。
自作といっても、先達の方々の試行錯誤を参考に、Nikonのテレコンバーターレンズを二つ、視軸が会うようにパテで固定しただけの粗い工作です。
比較的条件の良い星空で、テレコンビノを使うと、肉眼視での中央視野とほぼ同じ視界をグッとアップで、しかもぽつぽつとした星のきらめきをブゥワーっとちりばめられた星のきらめきに変えることができる爽快感があります。
もちろん大きめの口径の双眼鏡でも、ブゥワーっとした星々のきらめきを見る事は容易いのですが、この時期、オリオン座の全貌を視野に収めて、同時にオリオン大星雲付近のきらめく星々を見るには、このテレコンビノを使っての観望か、極めて良い条件の観望地で眼視する、しかありません。
テレコンビノの見掛け視界の端は、中央の対象を見続けると、実視野の端の曖昧にしか見えない領域に重なり、例えば風景などの観望でも、眼視との違和感がさほど無いままで、より鮮やかに明るい景色を見せてくれます。低倍故、ともすれば迫力には乏しいのですが、ブレも全くなく、ヌケの良すぎる見え味は、凡百の双眼鏡とは異なる次元にあることに気付きます。反面、昼間の使用では、肉眼と何が違うの、と思われそうなその見え味に、星見では大口径(62mm相当)故の集光力が加わり、このテレコンビノの真価が発揮されます。寝っ転がって星空を見るとき、一番の相棒です。

功罪(写真機雑感 その8)

2012-10-29 23:22:16 | 写真機 画像
普段、ケータイ以外になにがしかのカメラを必ず持っています。
豊かになったのか、手軽になったのか、別段珍しいことではなくて、それと共に様々なマイナスイメージもつきまといます。いま、写真が趣味です、と言って、そのあとに、撮る対象とか、なんらかの言い訳めいたことを云わずに済ませられる状況はさほどありません。街中のスナップショットを撮るにも、幾許かの気遣いに加えて、勇気が必要な時代です。
オートフォーカス機構は、写真機、特に一眼レフを身近にしましたが、逆に厳密に撮る対象にピンポイントで合焦するわけではないのはご存じの通りで、合焦センサーの少ない入門機では、ピントを合わせてフォーカスロックするのにかまけてフレーミングがおろそかになりがちです。昔ながらの流儀で云うと、ピンボケ、手ブレをしないことが最低条件、次にシャッターチャンスとフレーミング、アングルの妙、そして光(光線)と陰影を露出で調整し、画角による強調と省略などなど、写真をアーティスティックに捉える上ではいろんな要素を瞬時に判断することが必要になりますが、昨今のISO感度さえ勝手に変えてくれるカメラ、タイムラグのある液晶モニタでは、不自由さがかえって増してしまっているように感じます。昔なら36枚撮りフィルムをあっという間に費やしてしまう連射も自在になったというのに、基本的なところがまだるっこしいのがイマドキのカメラなのかもしれません。
写真教室をやっているような熱心なカメラやさんを覗いてみると、RAW現像の追い込み方などをパソコンでやっていて、あり得ない陰影のついた色彩鮮やかな写真などが創れるようですが、6x6のモノクロネガに、極細エアブラシでコラージュしていた時代からあまり進歩してないような気がして、萎えます。

アームストロング

2012-10-28 22:59:18 | 脱線して底抜け
サッチモことルイ・アームストロング、月に降り立ったニール・アームストロング、のおかげで、耳慣れた姓ですが、今回話題にするのは、ランス・アームストロングというアスリートのこと。
自転車競技、特にロードレースは、非常に人気が高いスポーツの一つで、欧州では日本に於けるマラソンや駅伝以上に、コース周辺を一大イベントの舞台に祭り上げる伝統ある競技です。競技史上最も偉大なエディ・メルクス、スペインの太陽王ミゲル・インデュライン、そして女の子のような細い足で、急坂をグイグイよじ登ったマルコ・パンターニなど、数多くのヒーローがいて、ランス・アームストロングも史上初のツールドフランス7連覇を達成したヒーローとして名を馳せていました。個人的には、パンターニの戦い方、が非常に好きで、彼がジロディイタリア、ツールドフランス、を制した1998年は、ことさらにチェレステ(青空)と呼ばれるビアンキブルーが鮮やかに冴える色に見えたモノでした。

アームストロングの戦い方は、自転車競技では欧州に後塵を拝しているのを一気に挽回するような、スポーツ大国アメリカの純正チームらしい物量作戦に思え、特にショートクランクをとてつもないケイデンス(クランクペダルの回転数)でぶん回すスタイルは、鉄壁のサポートメンバーとともに、欧州ロードレース界を圧倒したものの、面白くない勝ち方でした。また、数多くの山岳でのヒーローを産んだジロディイタリアには注力しなかった姿勢も、コマーシャリズム重視の勝利追究の証左に感じ、彼以前のロードレーサーのヒーロー達とは明確に違う物でした。

先日、そのアームストロングと彼のサポートのチームメンバーのドーピングに対し、7連覇含むほぼ全ての記録剥奪と、自転車競技からの永久追放が報じられました。彼自身、ガンからの奇跡のカムバックを果たしたアスリートとして活躍していたのですが、その影で、数々の強化薬剤、ドーピング検査に対するカウンター薬剤を駆使、チームメイトにも強要することで、競技に勝っていたという裁定です。思えば、時期的に連続するジロを捨て、ツールに絞っていたこと、脚力でなく、心肺能力に支えられたケイデンスなどなど、ドーピングの効果を最も生かすかのようなスタイルだったのかもしれません。

ジロやツールに参加する選手は、一週間くらい前から、カーボンチャージといって普段タンパク質主体のアスリートらしい食事から炭水化物主体(主にパンやパスタ)に変え、筋肉中にグリコーゲンを蓄え、エネルギー源とします。レース中は、高い心肺機能によって豊富な酸素を供給してグリコーゲンをエネルギーに変えていきます、心肺機能や水分補給が充分でないと、エネルギー変換効率が悪くなるだけでなく、分解が不十分で乳酸がたまり、筋肉そのものが疲労していきます。レーサーは練習中はもとより、本番においても、ケイデンスメーターとハートレート(心拍)モニターに留意して、長時間に亘る走行を行います。彼らのドーピングは、エネルギーの製造過程を直接、間接にブーストするため、常識を越えたパワーとスタミナを発揮します。実際、アームストロング以外にもロードレーサーにはドープ疑惑のある人が沢山います。かのパンターニにもその噂や告発はあり、いくつかの再検証や果ては裁判でやっと”無実”となりましたが、そのいざこざが心を蝕み、結局彼は麻薬に溺れるようにして亡くなってしまいました。

古くは、ジョイナーの心疾患による若すぎる死もドーピングの副作用だったと云われていますが、スポーツにからむものが名誉だけでなく、多額のお金が加わることによって、よりドーピング浸食が加速しているかのような風潮を感じます。私の嫌う、拝金主義の影響だとも、思っています。

スプリットリング プライヤー

2012-10-27 23:46:44 | 脱線して底抜け

スプリットリングはバネ鋼やステンレス鋼でできた、らせん巻きのリングで、意図せずにリングが開いてしまうことが極めて少ない連結金具です。上の丸いのは釣りのルアー用、楕円のは新体操のリボンとスティックの連結用です。

リングの端部を開いて、つけ外しするのが基本的な使い方なのですが、どうもフツーのラジオペンチや、マイナスドライバーの先、爪楊枝、爪等で苦労しているのをよく見掛けます。上記の中では爪楊枝がスベるコトが少なくて一番お勧めですが、専用ともいえるプライヤーがもっとお勧めです。

上のは私が使っているDaiwaの昔の製品なのですが、かなり細い物から、ドライバーを差し込もうとしてもなかなかこじ開けられない強力な物まで、楽に素早く開くことができ、滑ることもなく、開閉ストッパーで、リングをくわえたまま保持することもできます。数百円程度のものなので、一回でもスプリットリングを外そうとして爪を痛めたとか、弾けてどっかへ跳んでいったとかいう経験があるかたには、お勧めします。あっけないほど、簡単になります。

同門対決

2012-10-26 23:35:46 | 双眼鏡 望遠鏡
さて、今朝早く、10x50双眼鏡と、22x60望遠鏡(双方とも一二三光学製)で、星団(すばる、ヒアデス)を中心に、星の見え味を比較してみました。
まず目が暗順応する前に、6x30(勝間)でさっと流し見、オリオンからフォーマルハウトまで確認し、10x50からじっくりと見てみました。
やはり見掛け視界60度(新定義)近い広角視野は気持ちがよく、中心部の星像は充分に点像で、周辺部にいっても、ピンは甘くなりますが、星像が流れ出すのは、最周辺視野のみです。三脚で固定し、小振りな星座を視界いっぱいで見るならともかく、ヒアデス程度の視角の星団なら、充分に気持ちよく堪能できますし、すばるなら尚更です。50mmの口径は、7~9等の微光星もそれなりに見せてくれ、見る範囲によっては、うずめく星々がきらめいて、しかも双眼で見てるので、ストレスなくじっくりと観望できます。一脚や、フリーアングルの三脚を使ってブレを低減すると、光色も綺麗に見せる、納得の見え味です。

22x60望遠鏡は、傾斜型故の、導入のし難さはありますが、天頂付近で最も綺麗に見えるすばるも、楽な首の姿勢で観望できます。また星像は10x50より鋭い点像に見えますし、周辺視野も、不思議なくらいフラットなイメージです。倍率が高くなることによる色収差や歪曲もほぼ感じられず、微光星の見え方も充分です。接眼部分の玉も大きく、アイレリーフも充分なので、瞳径こそ2.7mmと小さく、見掛け視界も40度そこそこのワリには見やすく感じられます。ただ、正立像なので通常の望遠鏡よりずっと楽だとはいえ、三脚等の架台に載せて見るのが必須ですから、導入と追尾に何らかの工夫、対策が必要です。双眼でない故の不自由さはありますが、すばるの見え具合は10x50より明らかに大迫力で良好です。先日アンドロメダを見たときとは印象がまるで違います。あり得ない望みですが、この見え味のまま、口径が大きくなれば、かつてない、激安RFT(リッチフィールドテレスコープ)の最右翼候補になるでしょう(実視界に不満はありますが)。

この2台のスコープは、当然ですが、性格が違います。しかしながらその性格の違いは、お互いに足を引っ張り合うようなものではなく、お互いに上手く補完しあえる高水準な性能です。

ユーザーインターフェース

2012-10-25 23:08:11 | 脱線して底抜け
コンピューターが普及し始めたとき、マシン語(低水準言語)とプログラミング言語(高水準言語)の関係、COBOLやFORTRAN、C、BASICなど、ほぼ上っ面しか学んでないながらも、いくつかの業務用処理システムは組んだことがあって、いまでもそのWindows版でお仕事をすることも多いのです。先日、そのUI(ユーザーインターフェース)を改良しようと思って、久しぶりにいくつかのコードを読んでました。ああ、あの頃のワタシはエラかったんだなぁ、いまではこんな面倒くさいこと出来ないなぁなんて嘆息しながら、不評だったCUI(キャラクターユーザーインターフェース、文字入力による操作)部分を、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース、図版、画像、アイコンによる操作)に変更してみたのです。いくつかのサブルーチンを全面的に書き直す作業になりましたが、類型的な作業手順の殆どをマウスで操作出来るようにして、近い将来のタッチスクリーン対応に備えるためです。
ワタシの世代は、モロにキーボード世代で、マウス、タッチパッド、は補助的にしか使いません、トラックポイントが一番好きなのも、キーボードの延長として使いやすいからなのでしょう。タブレット等のキーボードレスの機器に、いまひとつ馴染めないのもそういった理由かもしれません。
最初に書いたとおり、ある時期以降のコンピューター知識がない、例えばWindowsAPIなどいまさら学び直すのも気が遠くなりそうなので、ほんのカジリしか出来ず、アイコンのいくつかを既存のキャラクターにしたり、お遊び的な部分でごまかすのがせいぜいです。ただ、仮想環境で完全コマンドラインのシステムを動かしていたとき、モニタを覗き込んだ方が、わ、面白い、といって、適度にウェイトをかけた、画面処理の動きを興味深そうにしていたので、タッチスクリーン対応で完全CUIなんてのも、アリかなぁと頭がバグってました。

アンドロメダ銀河

2012-10-24 13:02:54 | 双眼鏡 望遠鏡
真夜中をかなりすぎた頃、ふと10x50を持って、星空観望。

雲一つ無い星天に誘われ、頭上を仰ぐと、すばるがくっきりと見え、なんとなく嬉しくなります。
で、双眼鏡に小さなモノポッドをつけて、星空を流していたところ、もやっとしたマユが目にとまります。
M31、アンドロメダ銀河です。
昔、SF作家のアシモフが、エッセイの中で、目の良さ、視力について問われたら、自分の目は200万光年先が見える、と豪語すればいい、と書いていて、その、200万光年先にありながら、肉眼でも見ることができる物体が、アンドロメダ銀河です。
かつてはアンドロメダ星雲、アンドロメダ大星雲と呼ばれていましたが、いまでは”銀河”と”星雲”は明確に区別された概念の語句なので、アンドロメダ銀河と呼ぶのが正解です。

光害地域であり、現在の条件では、肉眼で3~4等迄しか見えないので、中心部の光芒がうっすらと見えるだけです。よく天体写真で見る渦巻き構造のアンドロメダは、条件の良い時に大口径望遠鏡でようやく判別でき、長時間露光の写真で鮮やかなその姿を現しますが、最大で満月の5倍ほど視直径になる、その迫力こそ感じられはしないのですが、今日の見え具合はなかなかに良好で、位置さえ分かれば肉眼でも確認できる状態です。

で、手もとにアルタスHK-60望遠鏡があったので、双眼鏡(10x50)、望遠鏡(60mm、22倍、40倍)で見比べてみます。
アルタスは、以前、某社から、サターンと云う名で、45度傾斜型正立天体望遠鏡として販売されていたものと、合焦機構(サターンは対物鏡筒の回転ヘリコイド)や視野角こそ若干異なりますが、ほぼ同一モデルであり、また、自ら中秋の名月観望で、星見用としての素性の良さも確認していることも踏まえての登用です。

観望してる居場所の制約で、窮屈な姿勢で覗かねばならないこともあり、望遠鏡でのアンドロメダ導入には若干手間取ります。45度傾斜と云うこともあり、星見に常用するなら、ファインダー代わりに簡易型照準(照星照門)でも附けたいところです。すばるなどの散開星団は、この望遠鏡(22x60)では、端正な点像のままより大きく見る事が出来、微光星も増える印象があるのですが、アンドロメダでは、確かに大きく見えるものの、ぼんやり感は悪化し、瞳径の小ささ(暗さ)がそのまま感じられてしまいます。40倍ではさらにうすうす暗くなり、もはや、夜空のシミにしかすぎず、時間と共に移動していくことでやっと天体であることが分かるのみです。やはり60mmという(天体望遠鏡として)小さめの口径では、中程度の倍率にも対応することが難しいのかもしれません。散開星団、星雲用にお手軽対空双眼鏡が出来ないものかと、実はこのアルタスの二重連を画策していたのですが、外径の実測値(≒目幅の最小値)とともに、見え具合が芳しくないとなれば、激安対空の企みは頓挫するかもしれません。


夕暮れ

2012-10-23 18:41:53 | 写真機 画像
日没が段々と早くなり、夕焼けや夕暮れの街並みを双眼鏡で眺めることも出来なくなってきました。

クルマで走りながら、悪あがきのように撮った、茜雲のスナップです。
exifデータでは、35mm換算で484mmとのコトですから、双眼鏡での景色に近しいスケールで見ているハズですが、きらめきと静かな沈降が混じり合った双眼鏡で見る茜雲とは比ぶべくもありません。

休日には、もし天気が良ければ、双眼鏡を持って、夕暮れに浸りに行こうかと常々思うのですが、日常の瑣事にかまけて、なかなか実行できません。

かなり前ですが、お出掛けして、人混みに疲れて帰る、電車のホームで、ポケットから取り出した遊4x10で見た夕暮れの景色は綺麗でした。西の低い空には雲が立ちこめて、街並みは薄暗がりに沈みながら、高い空にはたなびくような飛行機雲の名残りが、形容しがたい金色と紅色が融けあった至上の彩りに染まり、その刹那の美しさは、記憶に深く刻まれています。

まったく話は豹変しますが、助手席でずっと双眼鏡で前を見ていると、カーブでははみ出しそうになり、信号待ちでは前のクルマにめり込みそうになり、下り坂はとんでもない急坂を落下するような錯覚を覚えます。アタマではそんなことはないと分かっていても、視覚から入ってくるスペクタクルな光景がまともに情動を刺激します。機会がありましたら、お試し下さい。

ドルチェグスト

2012-10-22 12:45:29 | 日記




自宅には導入されていないのですが、よく嗜むのが、ドルチェグストのカプセルコーヒー。
エスプレッソマシーン、バリスターの一種で、昔から有る”ネスプレッソ”はその頃は高価で手入れが面倒だったので、このドルチェグストのカプセル式が便利、かつ、そこそこオイシイコーヒーを淹れることができ、カプセルは自分もちながら、愛飲しています。
夏場はアイスコーヒーが殆ど。一杯当たり、カプセル50円、しかも、淹れる手間は必要ですが、香り高く、ゆっくりと飲むにはこの香りが必須です。温かいのは、エスプレッソ、カプチーノ、ラテ、フツーのレギュラーと飲み分けていますが、特にエスプレッソは泡立ちも充分で、本格的なものにくらべ、手軽に濃密な香りを愉しむことができ、お気に入りです。
新発売のエスプレッソ・インテンソは更に濃い香りと味が楽しめるようで、期待して注文してます。
以前は、本体、カプセルともセブンイレブンくらいでしか買えなかったのですが、最近は家電量販店でも扱うようになったので、送料無料のヨドバシドットコムでカプセルを買ったりして、ますます便利に使ってます。

コツは硬水(海外製のミネラルウォーターなど)をあまり使わないようにすることで、軟水主体で使うと、オプションの湯垢洗浄剤をさほど使わなくても済むようです。

Gun

2012-10-21 19:04:10 | 脱線して底抜け
ローティーンの頃、トモダチの影響でモデルガンに傾倒したことがありましたが、元からの写真趣味と合わさって、月刊Gun誌の、イチローナガタ氏の写真に憧れ、結構Gun誌を読みあさりました。イチロー(現在では”市”と称されることが多いようです)氏の写真は、確かな撮影技術による美しい写真で、結構キレイな製版とともに、米国在住の氏の銃にまみれた生活ぶりも愉しく読んだものです。現在でも、一流の銃器の写真家で、70歳を目前にして、米国でお孫さんとともにアクティブなジジイライフをおくっておられます

Gun誌では、他の記事についても、結構記憶にあり、コモドア・ペリー・オウエンス(実在の伝説的ガンマン)の話などは、いまでも鮮明な躍動感をもって思いだします。

で、ずーーーっとどっかで気になってるのが、誌上でヒトラー暗殺計画用としてつくられたと紹介されていた、消音銃の話。


9mmパラベラムを使用する、ブルパップ構造のボルトアクションで、最高の命中精度を持ち、ファイヤリングピンが弾底を叩く僅かなクリック音と微かなショック以外に全く音のしない究極の消音銃であったとのこと。2丁つくられたらしいが、他の暗殺計画同様に頓挫し、敗戦後は、アメリカとソ連が一丁ずつ接収し、ペンタゴンとクレムリンにある・・と解説されてました。
当時の記事でもモロに現役の中二病世代のワタシをとらえましたが、写真にあるようにルガーP-08のマガジンを用い、銃床の底から装填し、バレルにも見えるサイレンサー部分を装着、セットトリガー、トリガーのダブルトリガーでフェザータッチの撃発が可能なシングルボルトアクションのこの短い銃は、その曰くとともに強い印象が残っています。

近年、アメリカにあるこの銃が雑誌で取り上げられ、カラー写真が公開されましたが、

それによるとある好事家の所有になると云うことらしく、是非ともイチロー氏の写真で詳細を見たいなどと、夢思うのです。

オリオン座流星群

2012-10-20 20:09:47 | 双眼鏡 望遠鏡
窓越しにお手軽観望しようという習性ができつつあるのか、4時前後に目覚め、まずは一旦外に出て、10x50で全天を見渡していました。

オリオンの肩の上あたりを左から右へ眩い光条が突き抜けていきます。
10月21日に極大を迎える、オリオン座流星群です。

一瞬のことでしたが、火球が落ちてきた(隕石)というより、青白く燃えるガスを噴き出しながら閃光となる氷の塊、と言ったイメージで、軌跡の曳きかた、というか長さが尋常ではありませんでした。
おそらくは、通常の隕石と違い、大気との摩擦で発熱発光するだけでなく、発熱で可燃成分含むガスを猛烈に蒸散しながら、ガス自体も発光し、長大な尾を引く流星となったのでしょう。
ハレー彗星を母天体とする、オリオン座流星群ならではの光景だったのかなと想像します。ようは、氷とチリの塊であるハレー彗星から太陽風で吹き飛ばされ曳く、彗星の尾っぽ、あれの同類が地球に降ってきているワケです。

流れ星は普段の日常でも、ずっと星空を眺めていれば、一日に何個も見る事が出来るのですが、ワタシの経験の中では、中学生の頃に見た、反対の空を向いてたのに、その火球の明るさで思わず振り向かせ、その後大小二つに分裂、大きい方が更に分裂というスペクタクルな流星に次いで、今回のレア度は高かったのです。
今夜も、星天であれば、期待できると思います。

クーゲルブリッツ

2012-10-19 23:40:03 | 脱線して底抜け
WW2で製造された装甲戦闘車両(AFV)のうち、もっとも近未来的なスタイルの対空戦車です。

球電(球雷)という意味の名を持つ、ラインメタル社の30mm対空機関砲を連装した対空戦車で、当時から戦車のまさに天敵であった地上攻撃機、具体的には、ソ連のイリューシン Il-2シュトルモヴィク、通称空飛ぶ缶切り、に対抗するためにドイツがつくった対空戦車の一つです。もっとも、試作2両の完成を見たのみで、量産はされたとも、されなかったともよく分からず、にもかかわらずAFVマニアのなかでは非常に人気の高い車両です。


実際、あまりにも資料が少なすぎて、現在でもキットは数えるほどしかなく、ワタシが現役のモデラーだったころは、この車両をスクラッチビルド(自作)することが、とてつもないステータスでした。残念ながら、ワタシは作ることがなかったのですが、当時の同好の知人が、少ない資料から球電の異名の元となった砲塔と車体前部を自作し、それをワタシの作った残りの車体(IV号戦車J型)と合体流用して作ったモデルがいまもどこかにあるはずです。

その人気から、昔はやったウォーゲーム(架空戦記ボードゲーム)にも武器として登場することが少なくなかったこの車両ですが、是非とも現代のタンクキラー、A-10サンダーボルトIIと対峙して、見事に擱座するさまを観てみたいものです。

夕焼け小焼け

2012-10-18 22:18:34 | 写真機 画像
最近の夕暮れは優秀で、小雨模様の本日でさえ、見事な色合いで楽しませてくれます。

ただ、いままで、肉眼で見て愉しく、綺麗で、感動する夕暮れの風景はたくさんあれど、写真や動画ではほとんどない。絵柄ではずっと綺麗な写真、動画でも、ほーっと感嘆する色合いは、肉眼での情景に全く及びません。フィルム時代のプリントやスライドでも同様でしたから、フルカラー対応の記録媒体ではムリなのかもしれません。
デジカメは上の写真のように車中から窓越し、信号待ち中でも手軽なので、いつかは何かの拍子にあの色合いを記録再現できないものか、と撮ってます。

日本的心

2012-10-17 20:28:45 | シロートの戯言
今回表面化した、尼崎の連続監禁収奪殺人は、10年前の北九州一家監禁殺人と同様、被害者の亡骸に対する所業で、私の思う日本的心とは、全く相容れません。
日本人の気質の一つに亡骸に対するフクザツな心情があります。
屍体に対する畏れは生物的本能の一端でもあるのですが、(身内でない)亡骸は忌むべき穢れであり、同時に、決して不遜に扱われるものでもありません。
大陸での故事(エジプト、中国、古代ヨーロッパなど)や、現代アメリカのように屍姦が行われたりすることもほとんどなく、何らかの意志で亡骸に手をかけたりすることを疎う風潮もあるようです。つまり、同胞であれ、仇敵であれ、死を境に、そのパーソナルは神道でのカミとなり、同時に仏教でのホトケとなるのです。亡骸はそのカミ、ホトケの旧い入れ物であり、依りしろとして、その生前のパーソナルに対する扱いとは異なる扱いをされます。

両事件の主犯は、他人を恫喝制御屈服させる特殊な気質と執着心を持ち、平常な人では全く対抗できない怪異です。その出自を取り沙汰すのは、無意味なのですが、少なくともその深い暗闇に決して取り込まれることのないよう、自分の気持ちをやすらかな方向へと持っていきたいと感じてます。
それくらい、陰鬱な気分にさせる、嫌な事件です。